「コとイ」
   登場人物
  稲本呼十(12)(15)小さな農家の娘
  藤沢五日(17)(20)農家で庄屋の息子、医者を志す
  稲本穣(17)・瀬戸穣(20)呼十の姉
  稲本珂内(11)(14)呼十の弟
  稲本藍太(13)(23)(26)呼十の兄
  稲本千穂(9)(19)(22)呼十の義姉、藍太の妻
  藤沢時蔵(47)農家で庄屋、五日の父親
  藤沢久爾子(36)(39)時蔵の妻で手習所の先生、
               五日の義母
  加藤のり(11)(14)農家の村、呼十の友達
  加藤ふみ(35)(38)のりの母
  加藤文月(12)(15)のりの兄
  稲本春(41)(44)呼十の母
  稲本太吉(45)呼十の父
  重光弥一(36)手代という役人
  田上達吉(27)田中村の農家の次男
  黒岩多之助(70)田中村の農家の重鎮
  東川介太(14)菊南村の農家の息子
  東川喜助(40)介太の叔父
  勝盛一之助(40)代官

  島田升三(50)菊南村の庄屋
  佐藤橋之助(45)菊南村の庄屋
  佐土原雲海(25)小豆島の素麺職人    
  滝(38)島原に住む呼十の叔母
  理介(12)有明旅館の奉公人
  住職(77)海守寺の住職
  作二(22)有明旅館の奉公人
  サチ(40)有明旅館の奉公人
  女将(24)有明旅館の女将
  旦那(29)有明旅館の旦那
  小夜(0)有明旅館の旦那と女将の娘       
  入江吾六(28)遠来の農民
  入江えつ(55)吾六の母
  入江千吉(5)吾六の息子
  広田耕作(40)遠来の庄屋
  富樫先生(35)天水村の医者、久爾子の弟
  なつ(11)田中村の農家の娘
  島原の水路工事の男性
  島原の用具店の女性
  山海荘の女将
  田中村の村人、菊南村の村人、遠来の村人
  


     〇田んぼ(夕)
        山や森に囲まれた広い田んぼ。
        青々とした稲が実っている田んぼが
        何枚も続いている。
        
     〇田んぼの脇の小さな丘(夕)
        丘に立っている大きな緑色の銀杏の木
        の下で鬼ごっこをして遊んでいる十
        人程の子供達。皆質素な絣の着物を着
        ている。
        稲本呼十(12)、稲本珂内(9)を追  
        いかけてタッチする。悔しがる珂内と
        得意気な呼十。
        着物の中の背中に赤ん坊を背負った
        なつ(11)が銀杏の木の幹に寄りか
        かり、うらやましそうに眺めている。
        稲本穣(17)丘に座って、二、三歳
        の小さな子供達を集め、緑の銀杏の葉
        や枝で飾り物を作ってあげている。
        穣、立ち上がってなつに近づき、着物
             -1-


        の中の背中の赤ん坊を器用に抱きか
        かえる。
     穣「赤さんみよくけん、なっちゃんもかたっ
      ておいで」
     なつ「よかと?」 
     穣「よかよ」 
        なつの乱れた着物を直しながらにっこ 
        り笑う穣、抱いている赤ん坊をあやす。
     なつ「ありがとう、みっちゃん!」
        なつ、嬉しそうに呼十の元へ走って行 
        く。
        
     〇田んぼの中の畦道(夕) 
        汚れた手や顔を見て笑い合いながら
        団子になって歩いている子供達。
        着物の中に赤ん坊を背負っているな
        つ、石に躓いて転び倒れる。背中の赤
        ん坊が大泣きする。
        穣、なつに駆け寄り着物から赤ん坊を
        抱きかかえる。
             -2-


     呼十「なっちゃん大丈夫?」 
     なつ「赤さんは?」 
     穣「驚ろかしただけやろ。大丈夫かよ」 
     なつ「着物の破けた‥お母ちゃんに怒らるる」 
        着物の袖口が破けているのを見て涙ぐ 
        むなつ。
        穣、右手で赤ん坊を抱っこし、左手で 
        なつの手を取る。立ち上がるなつ。
     穣「ウチがおばちゃんに話すけん大丈夫て。 
      呼十、かなちゃん連れて先に帰っとって」
     呼十「うん」 
        穣、なつと手をつなぎ先頭を歩いて行 
        く。他の子供達が穣の足元にじゃれ付
        く。皆に囲まれ笑っている穣。
        その姿を不満気に眺めている珂内。 
     呼十「かなちゃん行こう」 
        呼十、珂内に手を出すと不服そうに呼 
        十と手をつなぎ歩き出す珂内。
        
     〇海着川・川原(夕) 
             -3-


        田んぼ景色の間を通っている幅5メー
        トル程の海着川。
        川の両側に幅3メートル程の川原が広
        がっており、川原に沿った2メートル
        程の高さに道が続いている。
        川の畔に立ち、川面に石を投げて遊ん
        でいる呼十と珂内。小さく笑い声が聞
        こえたので、呼十と珂内、川の畔から
        川原沿いの道の方へと走る。
        途中の木の陰で立ち止まる珂内。つら
        れて呼十も止まり、声の方を眺める。
        穣と藤沢五日(17)が遠くから並ん
        で川原沿いの道を歩いて来ている。
     呼十「やっぱり、穣姉ちゃんやん」 
     珂内「…」 
        
     〇海着川・川原沿いの道(夕) 
        並んで歩いている穣と五日。ふと穣が 
        立ち止まる。
        二、三歩歩いて振り返る五日。 
             -4-


     五日「どげんしたと?」 
     穣「うんにゃ、何もなかよ。いっちゃん先歩 
      いてって」 
     五日「何で?」 
     穣「よかけん、先ば歩いて」 
     五日「何ばいいよると、おかしかね」 
        五日、前を向いて歩きだす。 
        五日の後ろ姿を見て嬉しそうに微笑む 
        穣、五日の背中を見ながら少し後ろを
        歩いていく。
        穣を振り返る五日。   
     五日「こそばゆかけん、みっちゃんが先ば歩 
      るかんね」
        五日、穣の後ろに回る。 
     穣「でけん」 
        笑いながらお互い後ろに回ろうとする 
        穣と五日。 
        
     〇海着川・川原(夕) 
        穣と五日が通り過ぎていく姿を、黙っ 
             -5-


        たまま川原から見ている呼十と珂内、
        顔を見合わせる。
     呼十「…何で声かけんやったと?」 
     珂内「…別に何もなか」 
        怒ったように答える珂内。 
     呼十「‥穣姉ちゃん、何か違っとったね」 
     珂内「‥」 
     呼十「あれって庄屋さんとこのいっちゃんや 
      ったよね?」
     珂内「知らん。よう見えんやった‥」 
        少しむくれて、歩き始める珂内。 
     呼十「‥かなちゃん、何ば怒っとると?」 
        珂内の後を追う呼十。 
        
     〇海着川・川原沿いの道(夕) 
        呼十と珂内、穣と五日のずっと後ろを 
        手を繋いで歩いて行く。
        
     〇稲本家・外観(夜) 
        小さな裏山を背にポツンと一軒ある平 
             -6-


        屋の家。前には田んぼが広がっており、
        東と西に竹藪、遠くにはいくつかの野
        山が見えている。
        少し離れたところに五、六軒や二、三
        軒の集落が数か所点在している。
        
     〇同・土間(夜)
        南に玄関の引き戸、西側に釜戸があり 
        その横に甕、農具などが置かれている。
        北側は囲炉裏のある板間。家の真ん中
        に小さな畳の小部屋と東側に和室が
        三部屋並んでいる。仕切りの障子や襖
        は開け放たれており、縁側の外によし
        ずが立て掛けられている。
       
     〇同・南部屋(夜)  
        和室三部屋中、一番南側にある部屋。
        縁側があり雨戸や障子が開いていて
        庭が見えている。軒下から月明かりが
        庭が見えている。軒下から月明かりが
             -7-


        蚊帳の中、四つ並んで敷かれた布団に
        稲本太吉(45)、稲本春(41)と珂
        内、呼十、穣の順に寝ている。目を開
        け天井を眺める呼十、ふと隣の穣へ顔
        を向けると目が合う。
     穣「どげんしたと?」
     呼十「うんにゃ‥」 
        穣、自分の薄い掛け布団をそっと腕で 
        上げ呼十に入るように促す。 
        呼十、嬉しそうに穣の布団へ潜り込む。 
     呼十「お日様の匂いのする‥」 
        穣、呼十の両頬を撫でる。嬉しそうな 
        呼十。
     穣「呼十と一緒におられるとも後少しやね‥」 
     呼十「‥お嫁行くと嫌じゃなかと?怖かろ?」 
     穣「うんにゃ‥家ば出なんとは嫌ばってん、 
      怖くはなかよ」 
     呼十「怖くなかと?知らん人とやろ?」 
     穣「うん‥ばってんお母ちゃんも祖母ちゃん 
      もしてこらしたことやけん、うちにも出来
             -8-


      るて」
     呼十「初めて会う人とに?」 
     穣「そげんかこと向こうでん一緒やんね」 
     呼十「うんにゃよ!穣姉ちゃんば好かん人や 
      らおらっさんもん」
     穣「あはは、そげんかことなかよ」 
     呼十「うんにゃ!あ‥ばってん向こうが穣姉 
      ちゃんば好きにならっさんやったら、戻っ
      てこられるかもしれんね」
     穣「あはは、そしたらまた別の所にお嫁に行 
      かなんたい」
     呼十「そげんと?何で?」 
     穣「この家には藍太兄ちゃんと千穂姉ちゃん 
      が住ますけんね。ウチの家の田んぼでは大
      勢は暮らせんとよ。やっけんウチらは大人
      になったなら出ていかないけんと」
     呼十「そしたら次はウチが出なんと?」 
     穣「呼十はまだ小さかけん今は居ってよかけ 
      ど‥まあいつかは出ていかなんやろね」
     呼十「そんなら何でウチらは生まれたとやろ。 
             -9-


      この家にはいらんていうことやろ?よその
      家にいるけん生ましたと?」
        穣、天井を見つめる。 
     穣「どげんやろね‥でもよその家にいるとな
      らそれでよかやん」
        呼十、穣に抱きつく。 
     呼十「‥行かんで」 
     穣「かなちゃんのこと面倒みらなんよ」 
        呼十の頭を撫でる穣。 
        
     〇同・玄関の外(朝) 
        玄関の引き戸の外に立っている呼十、 
        珂内、稲本千穂(19)。
        少し離れた所で、春が穣の背中に風呂 
        敷に包んだ荷物を背負わせている。太
        吉、稲本藍太(23)がそれぞれ荷物
        を背負い穣を待っている。
        穣、胸の前で風呂敷の結び目ををぎゅ
        っと縛る。
     春「重くなかね?」 
             -10-


        心配気に穣の背中の荷物を確かめる春。 
     穣「大丈夫」 
        穣、振り返り春と向き合う。 
     穣「お母ちゃん、体に気をつけてね。今まで 
      ありがとうございました」
     春「そげんかこと言わんでよか」 
        春、穣の腕を掴み耳元に顔を近づける。
     春「(小声で)どげんしても我慢出来んやった 
      ら、帰ってきてよかとやけんね。お母ちゃ
      んが何とかしてやるけん。よかね?」
        穣、微笑んで頷く。
     太吉「穣、行くばい‥」 
     穣「なら、呼十、かなちゃん、お手伝い頑張 
      らなんよ。千穂姉ちゃんもお母ちゃんのこ
      とよろしくお願いします」
        涙ぐみうなづく千穂。
        穣、太吉と藍太に続き一番後ろを歩き 
        始める。
        穣の後ろ姿を見つめる呼十、穣の姿が 
        垣根で見えなくなり、走り出す。
             -11-


        
     〇同・表の道(朝) 
        呼十、千穂、珂内、春が表へ出てくる。 
        穣達の姿が段々離れていく。 
        涙をためて呼十の隣に立っていた珂内 
        が走り出す。
     呼十「あ‥」 
     春「‥あん子は」 
        春、珂内の後を追う。 
        
     〇稲本家から続いている道(朝) 
        家々の集落が所々に見えている田んぼ 
        の中の一本道。
        歩いている穣の頬を涙が伝う。 
        後ろから走ってくる足音が近づいてく 
        る。
        珂内、穣の腰に後ろからしがみつく。 
        驚く穣、珂内がしがみついているのに 
        気づく。
     穣「かなちゃん、どげんしたと?」 
             -12-


     珂内「行ったらいけん」 
        声に振り返る太吉と藍太。 
        泣きながら穣にしがみついている珂内。 
        春が駆けつけ、珂内の体を穣から引き 
        離そうと後ろから抱きかかえる。 
        
     〇稲本家・表の道(朝) 
        呼十の隣で涙ぐみ穣達を見ている千穂。 
     千穂「呼十ちゃんごめんね‥みっちゃんにお 
      って欲しかったやろ‥何か、ごめんね」
     呼十「‥うんにゃよ。千穂姉ちゃんにおって 
      欲しかよ」
     千穂「‥ごめんね」 
        呼十、千穂の腕をぎゅっと握る。 
        
     〇同・板間(夜) 
        部屋の中心にある囲炉裏に火がたかれ 
        ている。上から吊るされている鍋。
        春、千穂、呼十がお膳を前に並んで食
        事をしている。お膳には雑穀米と味噌
             -13-


        汁とおひたしがのっている。
        一つだけポツンと空いたお膳。 
        隣の小部屋で珂内が布団に潜りこんで 
        いるのが見える。
        顔を見合わせて苦笑いする呼十達。 
     呼十「お父さん達もう向こうに着かしたやろ 
      か?」
     春「もう着いとらす頃やろ。隣村やけんね‥ 
      昔滝ちゃんが島原さん行かした時は、戻っ
      て来るとに何日もかかんなはったばってん
      ね」
     呼十「千穂姉ちゃんも知っとるやろ?お父ち 
      ゃんの妹の滝おばちゃん。去年も干魚ばも
      ろたもんね。あれ美味しかったね」
     千穂「うん、漁師ばしよんなはるお家とやろ? 
      藍ちゃんが小さか頃可愛がってもらったっ
      て言いよらした」
     春「藍太は滝ちゃんによう懐いとったけんね。 
      滝ちゃんがここば出て行かす時は納屋にこ
      もって出てこんやったとよ」
             -14-


     千穂「藍ちゃんらしか。でん、そっくりかで 
      すね」
        布団に潜ったままの珂内を見つめ微笑 
        む千穂。
     呼十「女の人は皆出ていかなんとやね‥」 
        箸を止める呼十。
     呼十「ねえお母ちゃん‥一緒になったらその 
      人のことばいつか好いとるようになると?
      何日したら好きになると?」
     春「え?知らんよ。一緒におるうちに、一緒 
      におることが当たり前になっていくとよ」
     呼十「一緒におることが当たり前になること 
      が好きっていうことやと?」
     春「‥まあ、そげんか感じやなかと?よう分 
      からんたい。早よ食べんね」
     呼十「‥」 
     春「食べ終わったなら片づけしとくけん、水 
      浴びに行って来んね」
        納得がいかない顔でご飯を食べる呼十。 
        
             -15-


     〇同・小部屋(夜) 
        珂内の布団の前で仁王立ちする春。 
     春「女ん子だけやと危なかけん、松明ば持っ 
      て付いて行ってやらんね」
        渋々潜っている布団から出てくる珂内。 
        
     〇海着川(夜) 
        月明かりで照らし出されている海着川。 
        蛙の鳴き声と梟の鳴き声が響いている。 
        呼十、川原の土に松明を埋めて明かり
        にする。
        珂内、川の水を桶で汲み行水している。
        珂内の膝下くらいの水嵩。
     珂内「冷たかー!」 
        急ぎ足で川原へ戻る珂内。 
        
     〇同・川原(夜) 
        呼十と千穂、松明の近くで大葉子を摘
        んでいる。
     呼十「‥ウチもいつか誰かと一緒にならんと 
             -16-


      いけんとかな?」
     千穂「‥嫌と?」 
     呼十「嫌っていうか、何かそれがどげんかこ 
      ととか分からんけん、ちょっとでも分かり
      たかと思って‥」
     千穂「‥ウチはね‥子供の頃一回、藍ちゃん 
      におうたことがあるとよ」
     呼十「ほんなごつ?」 
     千穂「うん。ウチのお祖父ちゃんとこに、藍 
      ちゃんのお祖父ちゃんが会いに来なはって、
      そん時に藍ちゃんが一緒に連いて来とんな
      はったと‥」
        
     〇(回想)千穂の実家・庭 
        庭にある一本の柿の木を見上げてい
        る千穂(9)。柿の木の上の方の枝に実
        が5・6個なっている。
     千穂の声「ウチが外で柿の木ば見上げよった 
        ら、藍ちゃんが近づいて来なはって、欲し
        かと?って聞かしてから、木に登ろうかさ
             -17-


      したと」  
        千穂の傍に歩み寄る藍太(13)。 
     千穂の声「ばってん枝が上の方にしかなか木 
      やったけん、何べんも落ちなはって、手も
      足もすり傷だらけになんなはって‥」
        木の幹に?まりずるずる落ちる藍太。 
        腕や手のひらにすり傷ができ、血が滲
        んでいる。
        駆け寄る千穂。 
     千穂「大丈夫?」 
     藍太「うん‥」 
        立ち上がり、再び登ろうとする藍太、 
        一番下の枝に足を掛けようとするが、
        届かず力尽きて落ちてしまう。
     藍太「いったー」 
        上半身を起こす藍太の背中の土を払う 
        千穂。
     千穂「昨日いっぱい食べたけん、ただ見よっ 
      ただけと」
     藍太「俺が食べたかとよ」 
             -18-


        立ち上がる藍太。 
     藍太「見らんで‥」 
     千穂「‥うん」 
        千穂、後ずさる。 
        
     〇海着川・川原(夜) 
        珂内、川原に上がり浴衣を着ている。 
        摘んだ大葉子をざるに入れ、珂内の頭
        を手拭いで拭いている呼十。
        千穂、川の近くに埋めていた松明をと
        り、少し川から離れた所へ埋め直す。
     呼十「そしたらウチらがかかるけん、かなち 
      ゃん、誰か来たら教えなんよ」
     珂内「わかっとる」 
        着物を脱ぎ、肌襦袢になる呼十と千穂、 
        川へと近づいていく。
        
     〇同・川原(夜) 
        桶で川の水をすくって浴びる呼十。 
     呼十「わっ、冷たかね」 
             -19-


     千穂「うん、冷たかね」 
        呼十、手拭いを濡らして絞り、千穂の 
        背中を肌襦袢の上からごしごし洗う。 
     呼十「‥そしてどげんなったと?」 
     千穂「それから‥何でかそのことがずっと忘 
      れられんでから、何か辛かこととかあった
      らいっつも、そん時の藍ちゃんのことば何
      でか思い出したとよ。やっけん一緒になる
      話があった時もいっちょん迷わんやったと」
     呼十「ふーん‥なら、千穂姉ちゃんはすぐ藍 
      太兄ちゃんば好きになったってことと?」
     千穂「え‥うん、まあ‥」 
        照れながら答える千穂。 
     呼十「何か‥最初から好いとる人と一緒にな 
      るとが一番よかとじゃなかとかなって思う 
      とけど、何で皆そげんさっさんとやろ?」
     千穂「一緒になるとは家同士のことやっけん 
      ね‥誰でん好いとる人と一緒になるなら、
      家が続かんごとなったりして、困るけんじ
      ゃかなかとやろか?」
             -20-


     呼十「家の為に皆我慢しとると?」 
     千穂「ウチは我慢はしとらんけど‥」 
     呼十「皆が嫌て言うなら変わるとじゃなかと 
      かな?」
     千穂「さあ‥そげん簡単にはいかんとやろね。 
      ずっと昔からこげんしてきたとやっけん」
     呼十「昔からしてきたことがよかこととやろ 
      か?」
     千穂「うーん、そげんやね‥」 
     呼十「ウチがお母ちゃんになった時は、子供 
      には好いとる人と一緒にならんねって言お
      う」
     千穂「そうやね。‥ウチもそげんしようかな」 
     呼十「ほんなごつ?!」 
        嬉しそうな呼十に、少し寂しそうに微 
        笑み返す千穂。
        
     〇藤沢家・外観 
        平屋の大きな一軒家。 
        南側の広い庭の先に竹林があり、その 
             -21-


        先は視界が開け下の方に隣の村、遠く
        に海と海の向こうの雲仙が見えてい
        る。
        東側は山になっており、西側には海着
        川の支流が田んぼの少し先に流れて
        いる。
        北側は広大な田畑が辺り一帯に広がっ
        ている。その先の遠くに見える山々。
        
     〇藤沢家へ続く道 
        呼十、少し遠くに藤沢家が見えている 
        山の梺沿いの道を歩いている。
     呼十「にいちてんさくのご‥」 
        八算を口ずさみながら歩いている呼十。 
        
     〇藤沢家の東側の山の中 
        五日、梺沿いの道から山の中の竹藪に 
        入り、オランダ語で書かれた植物の写
        し絵を片手に薬草を探している。
     五日「あった‥これやろか?」 
             -22-


        摘んだ薬草と写し絵を見比べる五日。 
     五日「‥ちょっと葉っぱの形の違うごたるな」 
     呼十の声「にしんがいんじゅう‥さんいちさ 
      んじゅうのいち‥さにろくじゅうの‥に?」
        呼十の声が近くを通っていき、振り返 
        る五日。
     五日「…女ん子?」 
        竹藪の隙間から見える呼十の後ろ姿を 
        怪訝そうに見る。
        
     〇藤沢家へ続く道 
        呼十、指を折りながら歩いて行く。 
        
     〇藤沢家・大部屋 
        二十畳ほどの広い部屋で二十人くらい 
        の男の子が勉強している。
        南側には縁側があり、障子と雨戸が開 
        け放たれ広い庭と外の景色が見えて
        いる。
        文机が並んでおり、漢字を書いている 
             -23-


        子や、八算を唱えている子、その間を 
        見て回っている一人の女性。
        珂内、一番前で正座をし、筆で川、山、 
        水、木、土等の漢字を書いている。
        藤沢久爾子(36)、漢字に丸をつけた 
        り九九の暗唱を聞いたりしながら、一
        人一人の文机の間を廻って行く。
        珂内の隣に来た久爾子、珂内の書き順 
        が間違っていることに気づく。
     久爾子「かなちゃん、ここは横から先に書く 
      とよ。横、縦、横」
        久爾子、指で書き順を示す。 
     珂内「はい」 
        珂内、間違えた文字の横に書き直す。 
     久爾子「昨日の数字は練習してきた?」 
     珂内「‥はい」 
        珂内、少し躊躇いながら風呂敷包みか 
        ら一から十と百、千、万という字が沢
        山が書かれた紙を取り出し久爾子に
        渡す。
             -24-


     久爾子「いっぱい練習してきたとやね」 
        久爾子、見ると紙いっぱいに文字が
        隅々までびっしり書かれているが、明
        らかに二種類の筆跡があることに気
        づく。角ばった文字に混ざって少し柔
        らかい筆跡の文字が書かれている。
     珂内「…」 
        心配そうに久爾子を見つめる珂内に微 
        笑む久爾子。珂内に小声で囁く。
     久爾子「そしたら今日は練習の紙ば二枚渡す 
      けんね。二枚とも見てあげるけん持ってお
      いでね」
        ホッとする珂内、頭を下げる。
     珂内「‥ありがとうございます」 
        久爾子、朱色の墨で五重丸をつけ、柔 
        らかい筆跡の字の横に「じょうずにか
        けています」と書き添える。
        
     〇同・表(夕) 
        家の北側にある大きな引き戸の玄関が 
             -25-


        開き、沢山の子供達が外へ駆け出して
        くる。
        珂内、呼十が少し向こうで手を振って 
        いるのを見つけ、恥ずかしそうに微笑
        む。
        
     〇藤沢家から続く道(夕) 
        呼十と珂内が並んで歩いている。 
        前から薬草を手に持った五日が歩いて 
        来る。
     呼十「こんにちは。今日もありがとうござい 
      ました」
        五日に深々と頭を下げる呼十と珂内。 
     五日「こんにちは」 
        頭を下げ返す五日。 
     五日「あ‥さにろくじゅうのにであっとるよ」 
     呼十「え?」 
     五日「もうすぐ雨の降るけん早よ帰らんと。 
      トンボの低く飛びよろ?」
     呼十「トンボの低く飛ぶと雨の降るとです 
             -26-


      か?」
     五日「うん。そげんとげな」 
     珂内「…知らんやった」 
     五日「気を付けんねね」 
     呼十・珂内「はい。さようなら」 
        呼十と珂内、五日に挨拶をして歩いて
        行く。
        歩きながらふと五日を振り返る呼十。 
     呼十「…」 
        家とへ歩いて行く五日の後姿を見てい 
        る。
     珂内「久爾子先生が丸付けしてくれらしたよ」 
        珂内、筆や硯の入った風呂敷から紙を 
        取り出し見せる。
     呼十「あ、上手って書いてある」 
     珂内「うん‥先生多分呼十ちゃんが書いたっ 
      て分かっとらすよ。今日は紙二枚くれなは
      った」
     呼十「‥ごめんね」 
     珂内「いっちょんよかよ‥ばってん俺は漢字 
             -27-


      ば書くとよりか、田んぼば手伝っとる方が
      良かけどな‥」
        話しながら歩いて行く呼十と珂内。 
        
     〇藤沢家・玄関の外・前(夕) 
        玄関の外の空き地に立ち、子供達が帰 
        っていく姿を見ている久爾子。視線の
        先に呼十と珂内の姿。
        久爾子の前を五日が通りかかる。 
     久爾子「いっちゃん、薬草どげんやった?」 
     五日「うん、本のとは違っとった。でん、じ 
      いちゃんが使いよらしたとはこれやったと
      思う」
        五日、薬草を久爾子に見せる。 
     久爾子「そげんね。薬ば作ってみると?」
     五日「乾燥ばさせてから煎じてみる」 
     久爾子「うん。ねえいっちゃん‥稲本さんと 
      このかなちゃんのお姉ちゃんっていくつと
      やろか?」
        五日、呼十と珂内の方を見やる。 
             -28-


     五日「ああ、稲本さんとこやったったい‥確
      か妹は俺らの五こくらい下じゃなかったか
      な‥」
     久爾子「そっか‥みっちゃんの妹さんとやね」
     五日「ん?ああ‥そうやね」
     久爾子「…」
        
     〇同・土間(夕)
        玄関の引き戸から入って来る五日、広
        い土間を横切り、つっかい棒を取って
        西側の仕切り戸を開け、馬屋へ入って
        行く。
        
     〇同・馬屋(夕) 
        土間側からも入れる、一頭用の小さな 
        馬屋。北側が柵になっており馬の顔が
        出せるようになっている。
        栗毛で鬣が金色した馬の尾花が五日
        に歩み寄る。
        五日、尾花の顔と鬣を撫でる。
             -29-


        外に雨がポツポツと降り始める。
        
     〇稲本家・田んぼ(夕) 
        緑色の苗の田んぼの除草作業をしてい 
        る藍太、春、千穂。ポツポツと雨が降
        り出す。
        遠くから走って来る呼十と珂内、田ん 
        ぼへと入って来る。
     珂内「ただいま」 
     春・千穂「お帰り」 
     藍太「雨の降って来たね。俺達もそろそろ帰 
      ろうか」
        雑草の入ったざるを片手に立ち上がる 
        藍太。
        
     〇同・板間(夜) 
        囲炉裏の上に吊るされた鍋にごった煮 
        のような料理が入っている。
        囲炉裏を挟んで、東側の奥から太吉、
        珂内、呼十、西側の奥から藍太、千穂、
             -30-


        春がそれぞれのお膳を前に向かい合
        って並び食事をしている。
        お膳に乗った雑穀米とごった煮とお
        漬物。
     太吉「呼十、お前手習所に行きたかとか?」 
     呼十「‥え?」 
     春「え‥お父さん、何ば言いよると?」 
     太吉「うんにゃ‥お前明日から珂内と一緒に 
      手習所に行ってみるか?」
     呼十「ウチも行って良かとですか?」 
     珂内「呼十ちゃん良かったやん」 
     呼十「‥うん」 
        突然のことに戸惑う呼十。 
     春「いけんよ、何でね?女ん子は誰も来とら 
      っさんめ?」
     珂内「‥うん」 
     春「珂内でん、ほとんどタダんごとして教え 
      て貰いよるとに気の毒っかよ。ウチだけ女
      ん子の呼十までみてもらう訳にはいかんて」
     太吉「ばってんさっき、庄屋さんとこの奥さ 
             -31-


      んが連れてこんねって言いよんなはったぞ」
     春「奥さんが?何でやろか‥でん、だけんて 
      甘えられんめ。そして呼十はまだ炊事やら
      お裁縫やらそげんかことも何も出来んし‥」
     藍太「ばってんお母ちゃんいつも回覧ば読み 
      きるならねて言うて、俺んとこさん持って
      来よるやん。女ん人でん字ば読みきるごつ
      なるならよかとじゃなかと?」
     呼十「炊事もお裁縫もちゃんと覚ゆるけん‥ 
      女ん子一人が駄目とならなっちゃんも手習
      所に一緒に行かっさんかな?」
     春「なっちゃんげは下に赤さんが生まれらし 
      たばっかりやっけん、まだ子守ば手伝わっ
      さなんめ」
     呼十「ならふきちゃんは?」 
     春「ふきちゃんはもう十六てから、手習所ん 
      ごたる年じゃなかよ」
     太吉「ほら、藤沢さんげに馬のおろうが。あ 
      の馬の世話ばみてくれる人ば探しよらすと
      げな。それば呼十にしてもろうて、その代
             -32-


      わりに教えてもらうとどげんかって言うて
      くれなはっとる」
     藍太「行かせてやったら?な?」 
     千穂「うん。呼十ちゃんが字ば読みきるごと 
      なったなら、お祭りの時でん助かるかもし
      れんね」
     藍太「何でお祭りと?」 
     千穂「去年お祭りに行った時お茶屋さんに入 
      ったとばってん、お品書きば読み切らんや
      ったけん隣の人が食べよらしたとと同じか
      としか頼み切らんやったとよ」
        
     〇(回想)お祭りの茶店(夜) 
        お祭りの夜茶店の椅子に座り、膝の上 
        のごった煮を眺めている千穂と穣と
        呼十。
        隣の長椅子に新しく座ったお客が上か 
        らぶら下がっている品書きを見て店
        の人に注文する。
        葛切りを美味しそうに食べている隣の 
             -33-


        お客を羨ましそうに見ている三人。
        
     〇稲本家・板間(夜) 
     藍太「あはは。そげんね‥ね、お母ちゃんそ 
      げんしたら?」
     春「そげん言うても‥」 
     太吉「まあ駄目なら駄目でやむるとよかたい。 
      な?」
     呼十「手伝いも頑張るけん」 
        心配そうに呼十を見る春。 
        
     〇同・中部屋(夜) 
        座って草鞋を編んでいる太吉。 
        隣の南部間に四つ布団が並んでおり、 
        その内の一つに珂内が眠っている。
        たどたどしい手付きで縫物をしている 
        呼十。その横で破れた浴衣を慣れた手
        つきで繕っていく春。
     呼十「ウチも上手くなれるとやろか‥」 
     春「まだまだずっと先やね」 
             -34-


     呼十「そげんやね‥」 
     春「‥お母ちゃん、お嫁に行くて決まってか 
      ら実家ば出る時ね‥あーもうウチはこん家
      には絶対戻ってこれんって思ったとよ」
     (フラッシュ)小さく粗末な一軒家を風呂敷 
        包み一つ背負って振り返っている若
        い頃の春。
     呼十「‥」 
     春「こん家はもう弟とお嫁さんの家やけんて。 
      だけんここんちに初めて来た時、何ば言わ
      れてもよかけど、頼むけん、出て行けとだ
      けは言わんで下さいって言うたと。ウチに
      はもう戻る所はなかけんって」
     太吉「そげんやったな‥」 
     (フラッシュ)正座して床に手を付き頭を下 
        げている若い頃の春と、向かい合い正
        座をしている若い頃の太吉。
     春「でもここのお義父さんとお義母さんがほ
      んなごつようしてやらして‥」
     呼十「…うん」 
             -35-


     春「‥何かね、呼十が字ば覚えたり算術が出 
      来たりするとが喜ばれるならよかとけど、
      もしそげんやなかったならって思ってしま
      うとよ」
     呼十「‥」 
     太吉「‥藤沢さんの奥さんがいいよんなはっ 
      たけど、こん頃は女の子でん手習所に行か
      せる村もあるとげな」
     春「へえ‥」 
     太吉「奥さんはこん村もそげんしたかとって。 
      だけん呼十になるだけ来て欲しかっていい
      よらしたったい」
     春「ああ‥今はそげんかったいね‥」 
     太吉「行くごつ頼んでみようかね」 
     春「うん‥そうやね」 
     呼十「ごめんなさい‥」 
        複雑そうに微笑む春。 
        
     〇藤沢家・大部屋 
        文机が並んでおり、生徒たちはそれぞ 
             -36-


        れ自分の勉強をしている。
        珂内と呼十、正座をし、筆で漢字を書 
        いている。
        久爾子、一人一人確認しながら文机の 
        間を歩く。
        呼十の隣に来た久爾子、呼十の手の上 
        から筆の握り方を直す。
        
     〇同・馬屋・柵の前(夕) 
        柵から頭を出している尾花。 
        尾花の前に立つ呼十とその後ろから顔 
        を出している珂内。
     呼十「馬だ‥」 
        恐る恐る首を触る呼十。 
        後ろから五日が歩いて近づいてくる。 
     五日「‥後ろに立つと蹴られて死ぬこともあ 
      るけん、よう気を付けて」
        振り向く呼十。 
     呼十「あ、はい」 
     五日「名前は尾花ていうとよ。顔ば洗ってや 
             -37-


      ってみる?手拭いば固う絞ってから優しく
      目ヤニば拭いてやって」
        五日、桶と手拭いを呼十に渡す。 
        
     〇同・馬屋・中(夕) 
        尾花の体に桶の水をかける五日。手拭 
        いでそっと顔を拭いている呼十。
        干し草を運んでくる珂内。 
        
     〇海着川・川原 
        川原で洗濯をしている春と加藤ふみ 
        (35)。 
     ふみ「呼十ちゃん、庄屋さんとこの手習所に 
      行きよらすとげなね?」
     春「うん‥女ん子やとにね‥」 
     ふみ「よかやんね。ウチげも、のりば行かせ 
      てみようかと思って」
     春「のりちゃんば?」 
        加藤のり(11)少し離れた所で、タ 
        ライの中の洗濯物を足で踏んで洗っ
             -38-


        ている。
     ふみ「うん。そしたらのりが、お母ちゃんに 
      も字ば教えてやるけんねって言うてね」
        嬉しそうに話すふみ。 
     春「そげんね‥そうやね。何か呼十だけ気の 
      毒かねって思ったとばってん、皆で行かる
      るならよかね」
     ふみ「うん。庄屋さんとこの奥さんがいつで 
      も来てよかですよって言うてやんなはった
      けん、甘えゆうかと思って」
     春「‥こん村は庄屋さんとこがよかごとして 
      やらすけんほんなごつ助かるね」
     ふみ「そげんやね。いっちゃんも長崎のお医 
      者さんとこに勉強に行きよんなはるとや
      ろ?こん村にお医者さんのおらすごつなる
      なら皆、天水村まで行かんでよかね」
     春「うん、そげんなるならよかね。具合の悪 
      か人ば連れて山越えせなんとはきつかもん
      ね」
     ふみ「ほんなごつ‥ウチげは二年前も庄屋さ 
             -39-


      んに助けてもろたし‥」
     春「ああ‥蓮根畑んこと?」 
     ふみ「うん‥あの田んぼは一年中森の陰にな 
      って水はけの悪くてどげんしよん無かった
      けんね」
     春「そげんやったね‥」 
     ふみ「ならいっそ沼にしたらどげんねって庄 
      屋さんの言ってくれなはって‥」
        
     〇(回想)森の陰になっている田んぼ 
        すぐ近くに流れている小川から堀を繋 
        げている村人達。
     ふみの声「代官所にも申告してやらして、蓮 
      根畑にしてもろて‥」
        沼になった田んぼに入り泥だらけにな 
        って笑っている村人達。
        
     〇海着川・川原 
        春、洗濯物の片方を足で踏み、もう片 
        方を手で掴みねじるようにして絞っ
             -40-


        ている。
     春「あん時は皆で沼さん入って泥だらけにな 
      って、おかしかったね。でも去年は大分蓮
      根畑にしなはった家の増えたね」
     ふみ「うん、庄屋さんとこも始めなはったと 
      ば城下町で売って、村の為にて蓄えばして
      くれとんなはるとげな」
        ふみ、タライを洗っている。近くでの 
        りが洗濯物を岩に打ち付けている。
     ふみ「ウチ達こん村に嫁いで来られてよかっ 
      たね」
     春「そうやね、ウチとふみちゃんは菊南村生 
      まれやけんね。菊南村はどげんやろかね」
     ふみ「うーん‥あんまりよかごと聞かんけど 
      ‥」
     春「そげんね…」 
        絞り終わり岩に並べてあった洗濯物を 
        タライに入れていく春とふみ。
     ふみ「みっちゃん大丈夫てね?嫁がしたとは 
      春ちゃんの知り合いの家やったとかね?」
             -41-


     春「うん‥ウチが子供ん頃お世話になった人 
      に穣ば、て頼まれてやったけんね。穣には
      悪かごとしてね‥どげんもなかとよかけど
      ‥」
     ふみ「みっちゃんは器量よしやし、しっかり 
      しとらすけん大丈夫かろ」
     春「うん‥」 
        
     〇藤沢家に続く山の梺沿いの道(朝) 
        呼十と珂内、風呂敷包みを背負い藤沢 
        家に向かって歩いている。
        後ろから笑い声が聞こえて呼十と珂内 
        が振り返ると、加藤文月(12)との
        りが並んで歩いて来る姿が見える。
        顔を見合わせる呼十と珂内走り出し、 
        文月達の元へ駆け寄る。のりの手を取
        る呼十、四人で嬉しそうに藤沢家へと
        向かって歩いて行く。
        
     〇藤沢家・馬屋・前(朝) 
             -42-


        走って近づいてくる呼十を柵から首を 
        出した尾花が見ている。
        呼十、尾花の前に立ち首をそっと叩く。 
        気持ちよさそうな尾花。
     呼十「おはよう、尾花」 
        土間側からの戸が開き餌の入った籠を 
        抱えた五日が入って来る。
     五日「ああ、おはよう」 
     呼十「おはようございます」 
     五日「今日から文月んとこの妹も来るとげな 
      ね」
        木の餌箱に野菜の切れ端などを詰める 
        五日。
     呼十「はい」 
     五日「良かったたい」 
     呼十「そしたらいつかこん村の女ん人は皆、 
      自分で字ば読めるごとなります。字ば読み
      きるとは嬉しかです」
     五日「そっか‥俺もそげんやったかな‥」 
     呼十「はい。今までただの模様にしか見えん 
             -43-


      やった物に意味が出てきて‥たったそげん
      かことやけど全然違うとです」
        五日、餌を食べている尾花の後ろ脚を 
        取り、蹄を手拭いで拭く。
     五日「‥俺の祖父ちゃんは字ば読みきらっさ 
      んやったけど、何でん知っとらした。猟も
      上手かったし薬草にも詳しくて、囲碁も一
      ぺんも勝ちきらんやったな‥何も一個も敵
      わんやった」
     五日「‥生きていくとに必要かとは学問とか 
      じゃなくて、本当はそげんかこととじゃな
      かとかなって思っとったけど、でんもしか
      したら祖父ちゃんも字ば読みたかったとか
      な‥」
     呼十「‥確かにウチは字ば読みきるごとなっ 
      ても、生きていくとに必要なことは何も出
      来んです‥」
        呼十しゃがんで、餌を食べている尾花 
        を眺めながらため息をつく。
     呼十「‥ウチは何も出来んけん、だけんいつ 
             -44-


      か嫁がないけんとが怖かとです」
     五日「怖かと?」 
     呼十「はい‥だって何も出来んウチがお嫁さ 
      んに来たら相手ん人が気落ちしなはる。ウ
      チは絶対ウチをお嫁さんに貰いたくなかで
      す。…気落ちさせる自分に気づくとは怖か
      です」
     五日「なら‥ウチさんくればよかやん。ウチ 
      やったらよしさんが裁縫も教えてくれらす
      し、俺も相手誰でんよかけん」
     呼十「え‥誰でんよかとですか?」 
     五日「うん」 
     呼十「ほんなこつですか?ほんなごて誰でん 
      よかとですか?!ならウチでもよかとです
      か?」
        立ち上がり柵から身を乗り出す呼十。 
     五日「うん‥」 
        呼十の剣幕にたじろぐ五日。 
     呼十「うわー、何ちゅうよか人や!ありがと 
      うございます!よかったー!」
             -45-


     五日「‥ああ」 
     呼十「じゃあ手習所行かなんけん、失礼しま 
      す!」
        頭を下げて「良かったー」と万歳しな 
        がら走っていく呼十を見ている五日、
        首を傾げる。
     五日「‥まあよかか」 
        尾花の鬣を撫でる五日。 
        
     〇稲本家・北部屋(夕) 
        藍太と千穂が使っている北部屋。部屋 
        の北側には障子があり、その向こうに
        狭い廊下がある。廊下のる板戸の向こ
        うには小さな畑が見えている。西側の 
        板間との間に壁があり、壁際に積まれ
        た布団が衝立で囲ってある。
        千穂が座って洗濯物を畳んでいる。 
        玄関の開き戸が開く音が聞こえる。 
     呼十の声「ただいま!」 
     千穂「お帰り」 
             -46-


        玄関に向かって答える千穂。 
        呼十が近くに立つ。 
     呼十「ただいま!」 
        呼十、千穂の向かいに座り一緒に洗濯 
        物を畳み始める。
        洗濯物を畳みながらにんまり顔が緩む 
        呼十。
     千穂「‥どげんしたと?」 
     呼十「あのね、ウチね‥」 
     春の声「呼十」 
        呼十と千穂、声の方を振り向くと春が 
        立っている。
     春「あんた、藤沢さんとこのいっちゃんと何 
      ば話したと?」
     呼十「お母ちゃん!いっちゃんウチばお嫁に 
      貰ってくれなはるって」
     千穂「え?」 
     春「何ば言いよると、駄目に決まっとるやろ」 
     呼十「‥何で駄目と?」 
     春「あんたに務まる訳なかて。あんたには向 
             -47-


      いとらん」
     呼十「向いとらんって?」 
     春「あそこんちは村のこととか考えらっさん 
      といけんとこやっけん」
     呼十「そげん‥ただいっちゃんが貰ってくれ 
      らすって言ってくれなはったけん、ならそ
      げんしようっていうだけじゃいけんと?」
     春「でけんに決まっとるよ!あんたは後先考 
      えんし、周りにもよう迷惑かけるし、もっ
      とよか人がおんなはるて。やめとこう。お
      母さんが断っとくけんね」
        畳んだ洗濯物を持ち、立ち上がる呼十。 
     呼十「ウチは確かに駄目なことばっかりやけ 
      ど、何でお母ちゃんが決めると?うちのこ
      とやん」
     春「いけん、そげんか訳にはいかんとよ」 
     呼十「家のこととか分からんよ。何が一番大 
      事かと?人より家が大事かと?ウチには皆
      が言いよることが分からんよ」
        呼十、洗濯物を持ったまま背を向け中 
             -48-


        部屋を通り南部屋へと歩いて行く。
        
     〇同・南部屋(夕) 
        衣服を長い木箱にしまっている呼十。 
     呼十「‥何で?誰かに嫁ぐってどういうこと 
      なんか、誰に聞いてん全然分からん‥」
        木箱の蓋を閉め、天井を見上げてため 
        息をつく呼十。 
     呼十「‥多分、ウチが一番分かっとらん」 
        涙を拭う。 
        
     〇田んぼ 
        タイトル「4年後 初秋」 
        カンカン照りの太陽。 
        荒れ果てた田畑。
        干上がった支流からの水路。 
        
     〇海着川・川原沿いの道 
        稲本呼十(15)、洗濯物の入ったタラ 
        イを抱えながら歩いている。
             -49-


        水が少なくなった川。 
        呼十、川原へと降りていく。 
        
     〇藤沢家・診療所・外観 
        母屋から少し離れた西側に建てられた 
        新しい小さな木造の建物。
        
     〇同・診療所・中 
        小さな土間と板間、その奥に畳の間が 
        ある。
        壁際に薬草が何本も吊るされている。
        藤沢五日(20)板間に胡坐をかき、 
        すり鉢に入った薬草をすりこ木です
        り潰している。額に流れている汗。
        開いている入口から、藤沢時蔵(47) 
        が入ってくる。土間に立つ時蔵。
     時蔵「明日長崎さん行くとね?」 
     五日「はい。こないだ乾先生んとこに行った 
      時、こん薬ば見てくれなはるって言いなは
      ったけん、持って行ってみようかと思っと
             -50-

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