せて貰うことにした。また余力の出来た時
      に買い戻しなはってもよかごつしとくけん」
     達吉「ほんなごつ有難うございます」
     時蔵「‥天水村さん行くとね?」
     達吉「はい。子供のおらっさん叔父夫婦が、
      ウチに来んねって言わしてから‥」
     時蔵「良かった‥」
     達吉「お世話になりました」
        頭を下げる達吉。
     時蔵「俺の方がお世話になった‥すまんやっ
            -101-

      た‥」
        深々と頭を下げる時蔵の肩が震えてい
        る。
        
     ○同・表(朝)
        荷物を背負って歩いて行く達吉を見送
        っている時蔵。
        
     ○同・脇の一角(朝)
        石が置かれており、小さな花が添えら
            -101-

        れている。
     時蔵「何であんたが死なんといけん‥」
        時蔵、座って手を合わせる。
     時蔵「‥ほんなごつはあん時、手代の弥一さ
      んに思わず殴りかかろうてしたとよ‥ばっ
      てん何でか右手ば誰かに抑えられたごつ、
      動かんやった‥何もしてやれんで、たった
      一人の弟でん引き止められんで‥すまんこ
      つばっかし‥」
        じっと拝んでいる時蔵。
            -102-

        
     〇藤沢家・大部屋
        呼十、小さな子供達を廻り平仮名を教
        えている。
        間に仕切りの衝立があり、大きめの子
        供達を久爾子が教えている。算盤を使
        っている大きめの子供達。その中に珂
        内、介太、加藤のり(13)がいる。
        子供達の手元を見て回る久爾子。
        ×   ×   ×
            -102-

        帰り支度をしている子供達。
     呼十「先生、身体どげんですか?」
     久爾子「うん、大丈夫かよ。ありがとう」
     呼十「良かったです。なら、使った紙ば洗っ
      てきます」
        呼十、墨で真っ黒になった和紙を集め
        る。
        久爾子、のりに話しかける。
     久爾子「のりちゃん、お祖父ちゃんに持って
      いって欲しか薬のあるけんちょっと待っと
            -103-

      ってくれる」
     のり「はい。あ、ウチも久爾子先生に聞いて
      欲しかことのあって‥」
     久爾子「そげんね‥なら、部屋さん一緒にお
      いで」
     のり「はい。あ、かなちゃん先に帰っとって」
     珂内「待っとくよ」
     のり「よかよ。帰りにお姉ちゃんとこに寄っ
      て来てってお遣いも頼まれとるし、帰っと
      って」
            -103-

     珂内「うん‥」
        久爾子と部屋を出て行くのり。
       
     〇海着川・川原(夕)
        川原に咲いている花を摘んでいる珂内。
        声が聞こえてくる。
        川原から声の方を眺める珂内。
        のりと介太が田んぼの畦道を並んで
        遠くから歩いて来ているのが見える。
     珂内「…」
            -104-

        そっと二人から気づかれないよう近く
        の木にそっと身を寄せる珂内。
        
     〇同・川原沿いの道(夕)
        並んで歩いているのりと介太。
     のり「ずっと久爾子先生んとこで暮らすと?」
     介太「うん」
     のり「お母ちゃんに会いたくならんと?」
     介太「なるよ。三年前に死なしたばってん、
      毎日会いたかって思う。抱っこしてもろう
            -104-

      て眠ったとば毎日思い出す」
     のり「お母ちゃん死んなはったと?」
     介太「うん。お父ちゃんも祖母ちゃん誰もお
      らん」
     のり「‥誰もおらんで怖くなかと?」
     介太「仕方なかよ‥ばってん庄屋さんとこに
      おいてもろうて、学問ば教えてもらわれる
      だけでん嬉しかけん」
     のり「すごかね‥ウチはお母ちゃんが近くに
      おらんくなるて思っただけでん寂しくて、
            -104-

      どげんしてよかか分からんかもしれんて思
      うとに‥」
     介太「何もすごくなかよ。俺は死なんやった
      けんただ生きとっただけやけん‥」
     のり「…」
        
     〇同・川原(夕)
        介太とのりが通り過ぎ、木の陰から出
        てくる珂内。介太とのりが遠ざかって
        行く。
            -105-

        手元の花を見ている珂内。
        
     〇同・川原沿いの道(夕)
        川沿いの道に立っている珂内、のりと
        介太が歩いている後ろ姿を見ている。
        足音が聞こえて振り返ると、呼十が歩
        いて来ている。
        珂内に気づき手を振る呼十。
        傍に来た呼十に花を渡す珂内。
     珂内「‥これ咲いとった」
            -106-

     呼十「綺麗かね。ありがとう」
        嬉しそうに受け取る呼十。
        歩き出す呼十と珂内。
     呼十「あれ?あれのりちゃんやろ?隣誰や
      ろ?」
     珂内「‥介太」
     呼十「ああ、介ちゃんか。仲良くならしたと
      やね。良かった」
     珂内「うん‥」
        呼十、ふと手元の花をじっと見つめる。
            -106-

        前を歩くのりと介太の後ろ姿。
     呼十「‥」
        呼十、花をギュッと胸に抱く。
        前ののりと介太と距離を置きながらゆ
        っくりと歩いて行く呼十と珂内。
        
     〇藤沢家・馬屋・前(朝)
        馬屋へ近づいてくる五日、中をのぞく
        と呼十が尾花を洗っている。
     五日「おはよう」
            -107-

     呼十「あ、おはようございます」
     五日「今日は手習所ないとやろ?」
     呼十「はい、何か尾花に会いたくなったけん
      来ました。使いなはるとですか?」
     五日「うん‥たまに金峰山に登って山の上の
      草ば食べさせるとよ」
     呼十「そげんとですか」
     五日「‥尾花に乗ってみるね?」
     呼十「え?‥ばってんお役人に見つかったら
      怒られるとでしょ?」
            -107-

     五日「ちょっとなら大丈夫かよ。でん、結構
      高か所まで登るばってん大丈夫ね?」
        嬉しそうに頷く呼十。
        
     〇野道(朝)
        尾花の首をしっかり掴んで乗っている
        呼十。呼十の後ろの五日、手綱を握っ
        て尾花を走らせる。
        手綱を握っている五日の手に手拭いが
        巻かれている。
            -108-

     呼十「‥手、大丈夫かですか?」
     五日「ああ、そげん深くなかったけん」
     呼十「‥」
        
     〇金峰山・山道
        緩やかな山道。尾花の手綱を引く呼十
        と尾花を後ろから軽く押しながら歩
        いている五日。
        
     〇同・中腹の見晴らしの良い草原
            -108-

        呼十と五日、見晴らしのきいた中腹の
        草原から東側の城下町を見ている。
        碁盤の目状に武家屋敷や店がびっしり
        並んだ城下町。
     呼十「すごか‥」
        城下町から続く高台に見えている隈本
        城。
     呼十「銀杏城‥」
     五日「うん」
        山から見える裾野の道を、縄で繋がれ
            -109-

        た人達が役人に連れて行かれている。
     呼十「‥」
     五日「一揆にかたった人達が大分連れて行か
      れよるらしか‥」
     呼十「‥」
        転んだ人を役人が木刀で叩いている。
        気の毒そうに目を背ける通り掛かりの
        村の人。
     五日「皆の為に犠牲になれる人はすごかて思
      う‥生きていく為に死なんといけん人がお
            -109-

      る。こげんか世の中は間違っとる‥」
     呼十「…はい」
     五日「それには村が力ばつけんといけん。俺
      も何も出来んけど何かせんと‥」
     呼十「‥」
        町を眺めている呼十と五日の近くで草
        原の草を食べている尾花。
        五日、手綱を離し首をポンポンと触る
        と尾花が走り出し近くを駆け回る。
     五日「あっちに海の見ゆるよ」
            -110-

        西側を指さす五日。
        山と田畑や家々の向こうに海、その先
        に山が見えている。
     五日「雲仙の梺付近に滝おばさんが住んどん
      なはって、いつも泊めて貰いよるとよ」
     呼十「‥あげんかとこまで行きなはるとです
      ね‥何か想像できん‥」
        景色を見ている呼十と五日。五日ふと
        尾花がゆっくり立ち止まり丘の隅で
        じっとしているのに気づく。
            -110-

     五日「‥何やろ?」
        五日と呼十が近づいて行き、尾花の手
        綱を引っ張る。
     五日「さ、行こう」
        動こうとしない尾花。丘の先が崖にな
        っており、崖の下を覗いている。
     五日「‥」
        五日と呼十が尾花の見ている崖の下
        を覗くと崖の途中の小さな出っ張り
        のある所に身体を横たえている佐土
            -111-

        原雲海(25)の姿が見える。
     五日「あ‥人がおる‥」
     呼十「え?‥」
     五日「大丈夫かですか?!」
        下に向かって叫ぶ五日。
        横になっている雲海、動かない。
        五日、近くの水溜まりから水をすくい
        下の雲海に向かって垂らす。
        
     〇同・崖の途中の小さな出っ張り
            -111-

        横になっていた雲海の顔に水がかかり、
        目を覚ます。
     雲海「‥雨?」
        雲海、上を見上げると五日と呼十が下
        を覗き込んでいる。
     雲海「は‥」
        驚いて上半身を起こす雲海。
     五日「あ、動いた。大丈夫かですか?」
     雲海「あ‥はい」
        
            -112-

     〇同・草原
     五日「ちょっと待っとって下さい!」
        辺りを見回す五日。
     五日「何か綱んごたっとがないかな?」
     呼十「綱ですか?」
     五日「下に届かるぐらいの長さがあれば良か
      とばってん‥」
        五日と呼十、辺りを探すが見つからな
        い。
        自分の帯を解き、下に伸ばす五日。
            -112-

     五日「届かん‥」
        
     〇崖の途中の小さな出っ張り
        雲海、立ち上がり帯に手を伸ばすが届
        かない。
     雲海「すみません‥届きません‥」
        
     〇同・草原
        五日、帯の片方の端を尾花の首に結び
        付ける。
            -113-

     五日「俺が下さん降りて下から支えるけん、
      尾花と一緒に帯ば引っ張って引き上げて貰
      ってよか?」
     呼十「下さん降りるとですか?」
     五日「うん」
     呼十「大丈夫とですか?」
     五日「それしかなかけん」
     呼十「‥」
        五日、帯を下に下ろし、伝って雲海の
        元へ降りて行く。下から見上げている
            -113-

        雲海。
     雲海「駄目です!降りて来ないでください。
      あなたまで上がれなくなるかもしれません」
        帯が足りなくなり、ぶら下がったまま
        止まる五日。
        呼十、尾花の近くで帯を押さえている。
        
     〇崖の途中の小さな出っ張り(朝)
        五日、雲海の元へ勢いをつけて飛び下
        りるが、勢い余ってバランスを崩し落
            -114-

        ちそうになる。雲海、慌てて五日を体
        ごと出っ張っりの床に押し付けて何
        とか二人事なきを得る。ホッとする雲
        海。
     雲海「危ないですよ!‥何で降りて来たんで
      すか?!」
     五日「いや、誰でんそげんします」
        言葉につまる雲海。
     五日「さ、早よ上がって下さい」
        五日、両手と膝をつき、踏み台になる。
            -114-

     雲海「‥だけど」
     五日「早く」
        雲海、履いていた草鞋を脱いで手に取
        り、そっと五日の背中を踏み台にし、
        帯を掴んで登って行く。
        五日立ち上がり、雲海のお尻を押し上
        げる。
        
     〇丘の上(朝)
        呼十、右手で帯を引っ張ったまま左手
            -115-

        で尾花の手綱を少し曳く。尾花、帯を
        引っ張るように少しづつ後ろに下が
        る。
        雲海の腕が崖の上に届き丘の上へ上が
        りつく。
     雲海「着いた‥」
     呼十「大丈夫かですか?」
        雲海の傍に駆け寄る呼十。
     雲海「ありがとうございます‥」
        雲海、自分の帯を解き繋げて、長くな
            -115-

        った帯を下に下ろす。
        
     〇崖の途中の小さな出っ張り(朝)
        五日、長くなった帯を掴み登って行く。
        
     〇丘の上
        五日、丘の上に辿り着く。
        雲海、五日の手を握る。
     雲海「もう駄目かと思ってました。ありがと
      うございます」
            -116-

     五日「いえ‥良かった」
        五日の手に巻いた拭いが血で真っ赤に
        なっているのに気づく呼十。
     呼十「‥」
     雲海「怪我‥大丈夫ですか?」
     五日「ああ、大丈夫かです。あの、馬に乗れ
      なはるですか?」
     雲海「え?いえ私は‥もう大丈夫なので‥本
      当にありがとうございました」
     五日「どこか行きよんなはるとですか?」
            -116-

     雲海「いや‥あの‥」
     五日「よかならウチに来なはらんですか?」
     雲海「いえ、とんでもないです」
     五日「こげんかとこに置いていけんですよ。
      身体もまだきつかと思うけん、どうぞ、乗
      って下さい」
     雲海「でも‥」
     五日「どうぞ」
        五日、雲海を馬に乗せるよう手伝う。
     五日「尾花、ありがとう」
            -117-

        五日、尾花の頬を撫で、呼十を振り返
        る。
     五日「ごめんけど歩かるる?」
     呼十「はい」
     五日「うん‥」
        五日、尾花の手綱を曳いて歩き出す。
        
     〇藤沢家・板間(夕)
        雲海、お膳に食事を出され恐縮してい
        る。
            -117-

        笑ってお茶を注いでいる久爾子。
        
     〇稲本家・和室(夜)
        布団に入って天井を眺めている呼十。
     呼十「はー‥お城綺麗やったな‥雲仙も見え
      たな‥」
        布団に潜り込む呼十。
     呼十の声「寝れん‥何で?」
        寝返りを繰り返す呼十。
        
            -118-

     〇藤沢家・五日の部屋(夜)
        並んだ布団で横になっている五日と雲
        海。
     雲海「命を助けてもらった上に、こんなにお
      世話になって、本当に有難うございます」
     五日「何もですよ‥大きか怪我もなくてから
      良かったです」
        起き上がり、正座をする雲海。
     雲海「私は雲海と言います。小豆島の素麺屋
      の生まれで、二年間清に素麺造りの修行に
            -118-

      行ってました。その帰りなんです」
        五日も起き上がり正座をする。
     五日「え?清に行きなはったとですか?」
     雲海「はい」
     五日「すごかですね‥清か‥想像できんな‥」
     雲海「そうですよね‥」
     五日「素麺ってどげんかとですか?」
     雲海「うどんをもっと細くしたような麺です。
      乾麺なので日持ちがするんです。飢饉のと
      きには助かりました」
            -119-

     五日「そげんとですか?この辺もやっと雨の
      降って、ずっと、日照りが続いとったとで
      す。今年は米が半分しか採れんで」
     雲海「そうなんですか‥ここは米の後は何を
      作ってらっしゃるんですか?」
     五日「小麦ば作りよります」
     雲海「小麦‥」
     五日「はい。干鰯ばくれらす人のおってから、
      それば肥料に出来るけん、質のよかとです」
     雲海「‥ここは水も綺麗そうだし、あとは油
            -119-

      があれば素麺が作れます。何とかなりませ
      んか?作り方は私が教えますので」
     五日「え?ほんなごつですか?教えて貰わる
      るとですか?」
     雲海「はい、是非そうさせて下さい。私に出
      来ることがあるなら是非お役に立ちたいん
      です」
     五日「‥でも清まで行って勉強してきなはっ
      たとに、教えて貰ってよかとですか?」
     雲海「勿論です。崖の下まで降りて来てもら
            -120-

      って‥本当に感謝しています」
     五日「いや、そげんことはなかです‥」
     雲海「‥暗闇の中で足を踏み外して崖の下に
      落ちてしまって、途中のあの窪みに救われ
      て‥だけど‥」
     (フラッシュ)真っ暗な中歩いている雲海、
        足を踏み外し崖の下に転げ落ちる。
     雲海「一睡も出来ないまま日が照ってきて自
      分の置かれた状況が分かった時絶望に包ま
      れました‥崖の下が地獄のように思えて怖
            -120-

      くて堪らなかった‥」
     (フラッシュ)照り付ける太陽に汗を流しな
      がら、崖の壁に背中を付け、必死に怖さに
      耐えている雲海。
     五日「‥怖かでしょうね」
     (フラッシュ)ぐったりと横になっている雲
      海に土砂降りの雨が降りつけている。
     雲海「そんな中に五日間いました。もう駄目
      だと何度も何度も思って、もう下に落ちた
      方がラクなんじゃないかと思って、思いと
            -120-

      どまって‥」
     五日「‥」
     雲海「だから恩返しさせてほしいんです」
     五日「そんな‥そんなんじゃなかですけど、
      でんウチの村も今ギリギリのところで‥や
      けん、もしも素麺づくりば教えて貰わるる
      となら本当に有難かです」
        正座をし、頭を下げる五日。
     雲海「いえ、よろしくお願いします」
        正座をし、頭を下げる雲海。
            -121-

        立ち上がる五日。
     五日「父さんに伝えてくるです」
        嬉しそうに部屋を出て行く五日。
        
     〇野山の中の畦道(夕)
        普段の姿を取り戻した野山の植物たち。
        呼十、藍太、稲本千穂(22)、珂内が
        小枝や落ち葉を拾い集めている。
     藍太「今年は団子のなかけん焼き芋でお月見
      ばするとげな」
            -122-

     呼十「ウチ団子も好きけど焼き芋も好いとる」
     千穂「ウチも」
        笑い合う呼十と千穂。
        ×   ×   ×
        落ち葉や枯れ枝でいっぱいになった籠
        を背中に背負った藍太、千穂の手を取
        り歩いて行く。
        後ろを歩く歩途、藍太と千穂の後姿を
        微笑んで見ている。
        
            -122-

     〇藤沢家へ続く山の梺沿いの道(夕)
        遠くに見える藤沢家の前の空き地に人
        が集まって焚火を燃やしている。
        藤沢家に向かって歩いて行く呼十達。
        
     〇藤沢家・表(夕)
        家族連れで五十人程の人々が表の空き
        地に集まり、焚火で薩摩芋を焼いてい
        る。
        手を繋いで歩いて来ている藍太と千穂
            -123-

        を見つけ、ひやかす友達。
     友達「藍ちゃんとこはほんなごつ仲ん良かね」
     藍太「あはは。皆もやろ」
        藍太背中の籠を下ろし、焚火に落ち葉
        を加える。
        焚火を囲んで輪になって座り、皆それ
        ぞれに焼き芋を美味しそうに食べて
        いる。
        輪の中にいるのりと介太。
        五日、火の中から焼けた芋を取り出し、
            -123-

        紙に包んで珂内に渡す。
        珂内と藍太、輪の中に加わっていく。
        珂内の後ろに立っていた呼十。
     五日「昨日は手伝って貰って悪かったね。は
      い」
     呼十「ありがとうございます」
        呼十、五日から受け取った焼き芋を半
        分に割って隣の千穂に渡し、少し離れ
        た岩に二人で腰掛ける。
     呼十「‥やっぱり藍太兄ちゃんと千穂姉ちゃ
            -124-

      んは仲の良かとやね」
     千穂「さあ‥どげんやろう‥」
     呼十「良かね」
     千穂「うん‥藍ちゃんで良かったって本当に
      思っとる」
     呼十「そっか‥幸せとやね」
     千穂「それはそれで怖かけど‥何か起こると
      じゃなかとかなって怖くなる」
     呼十「‥そげんかと?」
        五日、虫に刺され泣いている子供の腕
            -124-

        を取り、傷口を吸い取って唾を吐く。
        近くにあったヨモギの葉をとり、傷口
        に塗る。
        そんな様子を少し離れた所から見つ
        めている呼十。
     千穂「呼十ちゃん‥さっきからずっといっち
      ゃんのこと見よるよ」
     呼十「えっ?」
        焼き芋を落としそうになり、慌てて掴
        もうとして岩から転げ落ちて尻もち
            -125-

        をついてしまう呼十。宙に浮いた焼き
        芋が呼十の前にすとんと落ちる。
        全員が呼十をポカンと見ている。
        呆気にとられた藍太が大声で笑う。
     藍太「何ばしよるとね?」
        皆に笑われ恥ずかしそうな呼十、五日
        と目が合い顔が真っ赤になる。
        転がった焼き芋を拾って砂を払う呼十。
     五日「はい」
        ふと見ると、五日が前に立ち、焼き芋
            -125-

        を交換してくれる。
     呼十「あ‥どうも‥」
        小さくお礼を言う呼十。
        五日、焼き芋を頬張りながら火の番に
        戻る。
     呼十「はっ‥交換してしもた。泥がついとっ
      たとに‥どげんしよう‥千穂姉ちゃん、ど
      げんしよう‥」
        ふと千穂を見ると、笑って呼十を見て
        いる。
            -126-

     呼十「‥千穂姉ちゃん?」
     千穂「呼十ちゃん、顔が焼けたごと赤うなっ
      とるよ」
     呼十「え?顔が?何で?」
        うろたえて両手で頬を押さえる呼十を
        微笑んで見る千穂。
        呼十の近くに立つ加藤文月(15)。
     文月「あの‥」
     呼十「‥ふっちゃん、どげんしたと?」
     文月「あと何日かしたら、のりが天水村のお
            -126-

      医者さんの家に手伝いに行くごと決まった
      けん、良かなら見送りに来てやって欲しか
      とけど‥」
     呼十「え‥」
     文月「かなちゃんも一緒に‥よかやか?」
     呼十「うん‥分かった」
        頭を下げる文月、涙を拭う。
     呼十「‥」
        珂内を見る呼十。
        
            -127-

     〇稲本家・中部屋(夜)
        繕い物をしている春と呼十。
        少し離れた所で縄を石で叩いてほぐし
        ている珂内。
     呼十「のりちゃんまだあげん小さかとに天水
      村さん手伝いに行かすと?」
     春「うん‥ほんなごつはふみちゃんもやりと
      うなかげなけど、実家の本家からのりちゃ
      んばお嫁さんにって言う話があってから、
      のりちゃんが嫌がっとらすとげな」
            -127-

     呼十「だってのりちゃんまだ小さかやん」
     春「ばってんお家に早よ慣れるごつって向こ
      うが急ぎよんなはって、断られんとって」
     呼十「そげん言うたっちゃ‥可哀想か‥」
     春「そしたら、それなら子守に出た方がよか
      てのりちゃんがきかっさんで‥それで庄屋
      さんとこの奥さんに話しなはったら自分の
      弟が天水村でお医者さんばしよるけんって
      言いはなったらしくて、そこにお世話に手
      伝いに行かすごつ決まったとげな」
            -128-

     呼十「‥そげんやったと」
     春「ふみちゃんも泣きよらした‥」
        黙々と縄を叩いている珂内。
     呼十「‥」
        
     〇稲本家の田んぼ(朝)
        荷車に積んである土をざるで田んぼに
        運んでいる藍太。
        千穂が手伝いに田んぼに入って来る。
        座って藍太が運んだ土を手でならして
            -128-

        いく千穂。
     藍太「昨日、お月見楽しかったな」
        藍太、土を運びながら千穂に話しかけ
        る。
        立ち上がる千穂。
     千穂「藍ちゃん‥ウチ、実家に帰ろうかと思
      いよるとです」
     藍太「‥でけんよ」
        構わず土を運び続ける藍太。
     千穂「ばってんもうここさん来て四年も経つ
            -129-

      とに‥普通なら二、三年で返されるです。
      お義父さんもお義母さんも何も言いなはら
      んけんて甘えとったらいけんて思って‥藍
      ちゃんは長男やけん、跡継ぎの出来んなら
      他の人ばもらいなはらないけんけん‥」
     藍太「うんにゃよ。家にはまだ珂内がおる。
      もし赤ん坊が出来んなら珂内にここば継い
      でもらえばよか」
     千穂「ばってんそしたら食べていかれんごつ
      なるですよ」
            -129-

     藍太「‥滝叔母さんが俺達に漁ば手伝いに来
      んやろかて言いよんなはったっていっちゃ
      んから聞いたとよ。だけん珂内がもう少し
      大きうなるまで待ってみて、それでん駄目
      やったら二人で滝叔母さんとこさん行って
      むい。海の近くやけん塩の香りがして良か
      ばい」
     千穂「‥ばってんそれで良かとですか?この
      村ば好いとるとでしょ‥」
     藍太「あんたの為じゃなかとよ。俺がそげん
            -130-

      じゃなかと駄目やと‥」
     千穂「‥すみません」
     藍太「泣かんで‥」
        涙をポロポロ流しながら頷く千穂。
        黙々と作業を続ける二人。
        
     〇加藤家・表
        人々がのりの見送りに集まっている。
        木で作った人形や綺麗な色の落ち葉な
        どをのりに渡す友達。
            -130-

        珂内、人だかりの後ろの方で見ている。
        介太、のりに小さな平たい石を渡す。
        のり受け取ると墨で絵が描かれている。
     介太「川の石にのりちゃんのお母ちゃんの絵
      ば描いたとよ」
     のり「ほんなごつお母ちゃんやん‥ありがと
      う」
     介太「‥いつか、どげんしてでも超えられん
      夜がくるけん、飲み込まれそうになって怖
      くなった時は、この石に話しかけてみて気
            -131-

      ば紛らわして‥」
     のり「分かった‥ありがとう」
        のり、貰った物を風呂敷の中にしまい、
        背中に背負う。
     のり「皆ありがとう」
        のり、深々とお辞儀をする。
        「元気でね」「頑張ってね」と声を掛け
        る友達。
        のり、付き添いの人達と歩き出す。
        のりの姿を泣きながら見送っている加
            -131-

        藤ふみ(38)とふみの背中にそっと
        手を置く春。
        珂内の隣に立つ呼十。
     呼十「何も渡さんで良かったと?」
     珂内「‥うん」
     呼十「…」
        遠ざかっていくのりの後ろ姿を見送っ
        ている珂内。
        
     〇藤沢家・表(朝)
            -132-

        時蔵と五日が向かい合って話している。
     時蔵「すまんね、急に柳井村に来てくれって
      言われて。一人で大丈夫かね?」
     五日「はい。父さんこそ柳井村はどげんか感
      じとかいっちょん分からんとに、大丈夫か
      ですか?」
     時蔵「うん‥分からんばってん何さま行って
      話ばしてみる。菊南村んこつ頼んどくけん
      ね‥」
     五日「はい。父さんの気持ちは分かっとると
            -132-

      思っとります。それに一人で行った方が覚
      悟の伝わるかもしれんです」
     時蔵「うん。ありがとう」
     五日「なら、気を付けて」
     時蔵「うん‥」
        歩いて行く五日の後姿を見つめる時蔵。
        
     〇島田家・表
        島田家の表の大きな道。
        槍や鎌などの武器を持った菊南村の
            -133-

        人々と、刀を持ち武装した役人たちが
        島田家を境に向かい合って睨み合っ
        ている。
        
     〇同・居間
        升三の隣に座っている五日。
        向かい合って代官の勝盛一之助(40)
        と弥一、その後ろに役人が数人座って
        いる。
     五日「怒っとんなはるとは分かります。ばっ
            -133-

      てんあん状況はどげんしようもなかったて
      思うとです。前の庄屋さん達が連れて行か
      れて、もうそれでよかじゃなかですか。も
      う終わりにさして下さい」
     一之助「でけん。甘か処分ばするならまた他
      ん村ででん同じかことん起こる。二度と一
      揆やら起こらんごつ、徹底的に処分せんと
      いけん」
     五日「甘か処分ばしたけんて同じかこととか
      起こらんですよ。俺達はそげん馬鹿じゃな
            -134-

      か。ここで助けて貰わるるならそれに報い
      たかと思うです」
     一之助「そげんかこと信用出来ん。村全滅覚
      悟で戦う支度ばしよるて聞いとる。今でん
      外におるじゃなかか」
     五日「そげんしたくなかけん、今話しよると
      です。こん村が全滅したなら石高でん減る
      ごつなる。菊南村はこの辺じゃ一番大きか
      村です。こん村ば全滅させてどげんするで
      すか」
            -134-

     弥一「でんもう村には米一粒残っとらんて聞
      いとる。雨は降ってきたばってん、作物が
      すぐ育つ訳じゃなかろうが。どげんして生
      き延びるとか?」
     五日「ウチの村も天水村も何とか菊南村には
      踏ん張って欲しかて思っとります。確かに
      自分たちの村でん食ぶるとの精一杯です。
      でんここば凌がるるなら、菊南村の米は美
      味しかって定評もあるし、裏作の菜種もウ
      チの村で買わせて貰って素麺ば作りたかと
            -135-

      思っとるとです」
     弥一「素麺ば?」
     五日「素麺は小麦と油で出来るとげなです」
     一之助「あの冷や麦のごたるとやろ?あら美
      味かな」
     五日「今ウチの村に小豆島から来とんなはる
      人がおって、素麺の作り方ば教えて貰われ
      るとです」
     一之助「ほんなごつかい?」
     五日「小麦と油がいるらしくてから、小麦は
            -135-

      ウチの村で作りよるけど、菜種は菊南村に
      しかなかけん菊南村で作って貰われんやろ
      るかと思っとるとです」
     弥一「裏作の菜種のせいで米の少のうなるこ
      つもあるけんどげんやとうと思いよったけ
      ど、ならその方が良かかもしれんですね」
     一之助「うーん、ばってん‥ほんなごつ戦う
      気はなかとか?」
     升三「なかです」
     五日「何とか頼みます」
            -136-

        頭を下げる時蔵と升三。
     弥一「そげんしまっしょか?そん方が良かて
      私も思うです」
     一之助「うん‥」
     五日「それですみませんけど、作り方ば教え
      てもらうとに少しでよかけん、小麦と油ば
      調達してもらえんでしょうか?」
     一之助「今や?」
     弥一「分かった。俺が何とか知っとるところ
      ば掛けおうてみっです」
            -136-

     五日「ありがとうございます。それともう一
      つ‥救済米ば出してもらえんですか?うち
      の村は何とかなるて思いよるけど、菊南村
      はこんままではどげんもなりません。苦し
      かとは分かっとりますが、今後のことば考
      えて何とか今菊南村ば助けて貰えんでしょ
      うか?」
     弥一「何とかならんですか?」
     五日「お願いします」
     一之助「素?は美味かもんな‥分からんばっ
            -137-

      てん、頼んでみようたい」
     五日・升三「ありがとうございます!」
        
     〇同・土間
        升三、五日に頭を下げる。
     升三「すまんかったね‥」
     五日「いえ、救済米が出るとよかですね。で
      ん、戦わんで済むとならそれが一番よかと
      思うです」
     升三「うん。連れて行かれたもんのこつば考
            -137-

      ゆると生き残ることが、何か申し訳なかご
      として全滅してでん後ば追わんといけんと
      じゃなかかって思っとって‥ばってん時蔵
      さんに村の為ば思うて犠牲になってくれた
      とやっけん、それば無駄にしたらいかんて
      言われてから思い直した‥」
     五日「ほんなごつ犠牲になった人んこつば思
      うと、ちゃんと生きていかんといけんなて
      思うです‥残された家族ん人の思いははか
      り知れん。そげんか境遇ん人が実際におん
            -138-

      なはる。自分なら一日ば過ごすとでん辛か
      ろうと思うです。尊敬するとしか言いよう
      のなかです」
     升三「うん‥嘆願書のことば後悔しそうにな
      るばってん、それも申し訳なかごとして。
      とにかくこん村ばようすることに専念しよ
      うて今は思うとるです」
     五日「はい‥あの、実は俺‥升三さんに頼み
      たかことのあるとです」
     升三「何ばですか?」
            -138-

     五日「‥ウチに今こん村から来た介太ってい
      う男ん子のおるとですけど知っとんなはる
      ですか?」
     升三「‥介太っちゃ東川さんとこの介太やろ
      か?そげん言えば次男の喜助が戻って来た
      ばってん、全然働きよらんて組頭から聞い
      たです」
     五日「その喜助さんっていう人に介太ば家で
      預かるごつ話しばしてもらえんでしょう
      か?」
            -139-

     升三「そげんか事情なら仕方なか。俺が引き
      受くるけん心配せんで下さい」
     五日「ありがとうございます」
        頭を下げる五日。
        
     〇藤沢家に続く道(夕)
        タイトル『翌年 夏』
        
     〇藤沢家・土間・炊事場(朝) 
          土間の一角にある釜戸と水の溜まった 
            -139-

        甕などがおかれている炊事場。
        石臼で小麦を挽いている珂内。
        隣に見える板間では雲海と介太が菜種
        を釜戸で炒っている。
        
     〇同・馬屋(朝)
        尾花の体を洗っている珂内。
        尾花が少し暴れ始め、身体を押さえる
        珂内。
     珂内「尾花、どげんしたと」
            -140-

        遠くで噴火の音がして、地震のように
        建物が揺れる。
     珂内「あ‥また噴火やね。大丈夫やけんね‥」
        尾花の首を撫でる珂内、少しして揺れ
        がおさまる。
     呼十「あ‥収まった‥」
        柵の向こうから五日が現れる。
     五日「大丈夫ね?」
     珂内「あ、はい‥少し興奮したみたいやけど、
      すぐおとなしくしてくれました」
            -140-

     五日「そげんね。尾花は珂内に懐いとるけん
      ね。良かった」
        柵を超えて馬屋へ入って来る五日に尾
        花が近寄る。
     珂内「でん、尾花には噴火の起こるとがわか 
      るとですかね?」
     五日「島原で山崩れのあった日もずっと落ち
      着かんやったけん、何かおかしかねって父
      さんと話しよったとよ‥何か分かるとやろ
      うね‥」
            -141-

     珂内「生き物はすごかですね‥」
     五日「俺らは何も分からんやったけど‥山崩
      れも津波んことも‥」
     珂内「ほんなごつ、まさか肥後にまでそげん
      大きか津波がくるとか思わんかったです。
      加美山の向こうは全部浸かったって聞いた
      ばってん、酷かとでしょ?」
     五日「うん。俺らが手伝いに行ったとは津波
      の次の日やったばってん、どこもぬかるん
      どって荷車が通られんやった‥今は少しづ
            -141-

      つ片付きよるて言いよらしたけど‥」
     珂内「そげんですか‥大変かですね‥」
        五日、尾花の蹄を確認する。
     五日「近々長崎に行こうかと思いよるとやけ
      ど、尾花も一緒に連れて行って大丈夫やろ
      か?珂内はどげん思う?」
        尾花の身体を洗っていた珂内、驚いて
        五日を見る。
     珂内「長崎さん行きなはるとですか?」
     五日「うん、薬草が採れるごつなって咳の薬
            -142-

      も大分出来たし、向こうは火山灰で咳の酷
      か人の増えよるごたるけん」
     珂内「ばってんまだ噴火の続きよるとに、大
      丈夫とですか?」
     五日「そげんやけど、滝さんちも気になって
      ‥どげんか見てこようと思っとる」
     珂内「‥滝おばちゃんのことはお父ちゃんも
      心配しとらすごたるです」
     五日「俺もいつもお世話になっとるけんね」
     珂内「よう分からんけど、何か尾花はいっち
            -142-

      ゃんが遠くさん行く時は、自分も一緒に行
      かなんって思っとるごたる気がするです」
     五日「ああ‥そげんかもね‥」
        尾花の頬を撫でながら、身体の調子を
        確認していく五日。
     五日「じゃあ一緒に行こうかね」
     珂内「‥ほんなごつ気を付けて行って来てく
      ださい」
     五日「うん」
        馬屋を出て行く五日。
            -143-

        珂内、尾花の部屋を掃き掃除を始める。
        餌を抱えた呼十が柵の向こうから現れ
        る。
     呼十「また噴火したとやろかね。大丈夫やっ
      た?」
     珂内「呼十ちゃん、いっちゃんに会わんやっ
      た?」
     呼十「会わんやったよ、何で?」
     珂内「今、尾花の様子ば見に来なはって‥い
      っちゃん長崎に行きなはるとって‥」
            -143-

     呼十「え?‥いつ?」
     珂内「近々って言いよんなはった」
     呼十「ふーん‥」
        餌を木箱に移す呼十。
        尾花の体に水を掛ける珂内。
     珂内「‥ねえ呼十ちゃん。だいぶ前にいっち
      ゃんと穣姉ちゃんが歩きよらしたとば見た
      と覚えとる?」
     呼十「‥ああ‥そう言えばそげんやった‥」
     珂内「あれ何やったとやろうね‥」
            -144-

     呼十「‥忘れとった‥何で忘れとったとやろ
      ‥」
        ぼうっとする呼十。
        
     〇稲本家・炊事場(夜)
        春が釜戸でお団子を茹でている。
        後ろに立つ呼十。
     呼十「お団子?」
     春「うん。明日穣が赤さん見せに来るげな。
      藍太が菊南村に野菜ば届けに行かしたとき
            -144-

      に穣に会うて、たまには帰ってこんねって
      言うたとって」
     呼十「‥そげんね」
     春「あんた嬉しかろ?」
     呼十「‥うん」
        
     〇藤沢家・診療所・中
        五日、布袋に薬を詰めている。
        呼十、竹の皮で包まれたおにぎりの包
        みを持って、入口から入ってくる。
            -145-

     呼十「おむすびげなです」
        五日に渡す呼十。
     五日「ありがと」
     呼十「‥行きなはるとですか?」
     五日「うん」
     呼十「あの‥今日、穣姉ちゃんが帰ってくる
      らしかです。おうてから行きなはるとよか
      とに」
     五日「‥何で?」
     呼十「‥その方がいいとかなって思って」
            -145-

     五日「‥何それ?」
     呼十「やって‥会いたかでしょ?」
        短くため息をつく五日。
     五日「‥大体あんた、ウチに来る話でん三年
      前に断ったくせに、何で俺の前にいつも現
      れて色々入り込んできて、何がしたいと?」
     呼十「違うとです!断ったとはお母ちゃんが
      勝手にさしたことで、やってウチは変やし
      あんたはあの家には向いとらんって言わし
      て‥ウチは器量よしでもないし、色は黒い
            -146-

      し、何も出来んし‥」
     五日「‥それやけんあん時ウチに来ればよか
      て言うたとやろ?」
     呼十「‥そげんです。あん時誰でんよかけん
      って言いなはって、よう考えればひどか話
      です」
     五日「‥あん時はよか人て言いよらんやっ
      た?」
     呼十「あん時はそれが嬉しかったとけど、何
      か分からんけど今はそれが嫌とです」
            -146-

     五日「来たくなかってこと?」
     呼十「うんにゃです」
     五日「‥どげんしたかと?」
     呼十「‥ウチは恩返しがしたかっです。でも
      分からん。何かずっと胸が塞がったごとし
      て、腹の立つごたるし悲しかごたるし、何
      かもう分からんです」
     五日「‥俺も分からんよ。急に来て何でそげ
      んかこといわれやんとか‥」
     呼十「‥すみません。でん穣姉ちゃんが来る
            -147-

      ことば言わんといけんと思って‥そげんせ
      んと後悔しそうやったけん‥」
     五日「あんたが後悔するかどげんかとか知ら
      んよ。とにかくもう行かなんけん」
     呼十「‥行きなはるとですか?」
     五日「‥おむすびありがとうって久爾子さん
      に言うとって」
     呼十「‥」
        五日、尾花を柵から出す。
        
            -147-

     〇野道
        尾花に乗り走っている怒った顔の五日。
     五日「何やろう‥何か腹が立つ‥」
        少し走って行くと、赤ん坊を負ぶった
        瀬戸穣(20)が歩いて来ているのが
        見える。
     穣「いっちゃん‥」
     五日「‥」
        尾花から降りる五日。
     穣「どこか行きよると?」
            -148-

     五日「‥長崎に」
     穣「今から?大変やね」
     五日「‥うんにゃ‥家さん帰りよると?」
     穣「うん。麦の採れたけん貰いにおいでって
      藍太兄ちゃんが言うてくれなはって‥」
     五日「そげんね‥皆待っとんなはるやろね」
     穣「この村でんまだ十分に食べ物が足りとる
      訳じゃなかとに‥」
     五日「‥心配しとんなはるとやろ」
     穣「‥うん」
            -148-

     五日「赤さん寝とんなはるとやね。可愛かね」
        背中の赤ん坊を覗く五日。
     穣「ありがとう」
     五日「(小声で)静かにせんと起きなはるね」
        微笑む穣。
     穣「‥ずっとウチ、いっちゃんに謝らんで村
      ば出て行ってから‥ごめんね‥」
     五日「え‥」
     穣「‥あの日海着川沿いの道ば歩いたやん」
     五日「‥うん」
            -149-

        
     ○(回想)海着川・川原沿いの道(夕)
        並んで歩いている穣と五日。
     穣「‥やっぱりお母ちゃん断られんて言いよ
      らして‥」
     五日「‥俺も父さんに話してみるけん、大丈
      夫て」
     穣「大丈夫とかな‥」
        ふと立ち止まる穣。
     穣「もし‥二人でどこか別の村さん行ったら、
            -149-

      どげんなるかな‥」
     五日「‥皆心配しなはるよ」
     穣「うん、そげんやね‥いっちゃんはお医者
      さんになってこん村の人達が、遠くの診療
      所まで行かんでよかごとしたいとやし‥ウ
      チもそげんなって欲しかし‥ウチでんお母
      ちゃんがどげん肩身の狭か思いばしなはる
      か‥」
     五日「大丈夫やけん。絶対何とかなる。無理
      矢理行かせたりはしなはらんよ」
            -149-

     穣「‥うん」
        歩いて行く五日と穣。
        
     ○野道
     五日「あの時、ほんなごつはどこか行くしか
      なかって思っとったとじゃなかとかなって
      ‥俺、気づいとらんやったとかなって後で
      思って‥」
     穣「‥うんにゃ、ウチもあげん言うたけんい
      っちゃんが気にしとるとかもしれんって思
            -150-

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