端っこに積み上げられた使われていな
           い食事の台。
        住職「少しづつ皆普通の生活に戻っていきよ
         るとですね‥」
        作二「噴火もこの頃は収まっとるですね」
           咳をしている理介。
           膝の上に座っている小夜にご飯を食べ
           させている十与。
        呼十「りっちゃん、水路作業大丈夫と?きつ
         かとやなか?」
        理介「うんにゃです。給金ば貰われるとは有
         り難かし、いつかは俺も嬢ちゃんば連れて
         ここば出て行かなんけん」
        呼十「‥ばってん咳が治まるまでは無理せん
         方がよかごたるけど‥住職でんおって欲し
         かとじゃなかとやろか‥」
           食欲が無さそうにしながらも、懸命に
           食べようとしている理介。
        理介「でん、早よ大人にならんといけんとで
         す。呼十さんには小夜ばみてもろうて助か
               -201-


         っとります‥」
        呼十「そげんことなかよ。小夜ちゃんはお利
         口さんにしてくれとらすし、何かりっちゃ
         んがおらんけん大人しくしとかんといけん
         って思っとらすごたる感じのするとよ」
           小夜が呼十の膝を立ち、理介の膝へ座
           る。にっこりと微笑む理介。
        
        ○同・お堂
           お堂を拭き掃除している十与。
           近くで手鞠で遊んでいる小夜。
           住職が歩いて来る。
        十与「あ、すみません。もう終わります」
           十与、雑巾を桶に入れる。
        住職「理介さんは今日も水路作業に行きなは
         ったとですね‥」
        呼十「はい‥寝る前には勉強しよんなはるみ
         たいで、時々見て欲しかって持って来なは
         るです」
        住職「‥何か急ぎよんなはるごたる気のして
               -202-


         心配かごとあるけど、言うてもしょんなか
         とでしょうね‥」
        呼十「‥」
           ×   ×   ×
           お経をあげている住職。
           後方で目をつぶって正座して聞いてい
           る呼十の膝に座っている小夜。
        
        ○同・離れとお堂を結ぶ渡り廊下
           雑巾の入った桶を持ち、お堂から離れ
           へと移動していく呼十。
           離れの方から小夜を抱っこした住職が
           現れる。
        住職「呼十さん、帰って来なはったですよ」
        呼十「え?」
        住職「いっちゃん先生、向こうで尾花の荷物
         ば下ろしよんなはるけん、早よ行って来な
         はってください」
           庭の方を指さす住職。
           渡り廊下から庭の方を見ると、遠くの
               -203-


           隅の方で尾花を柵に繋いでいる五日
           らしき姿がある。
        呼十「え‥いっちゃん?」
        住職「はい」
           驚く呼十、駆け出す。
        
        ○同・庭
           尾花を柵に繋ぎ、荷物を下ろしている
           五日。
           駆けつける呼十、息を切らしたまま五
           日の前に立つ。
           顔を上げる五日、呼十に気づく。
        五日「‥え?」
        呼十「‥ほんとだ」
        五日「何で?‥何であんたがここにおると?」
           仁王立ちの呼十。
        呼十「待っとったとですよ!何で帰って来ん
         とですか!」
        五日「え‥」
           驚く五日。
               -204-


        呼十「お医者さんのいるとなら一回村に帰っ
         て来てから、それからまたここさん戻って
         来れば良かじゃなかですか。皆どれだけ心
         配しとるか‥」
        五日「‥すみません」
        呼十「…」
           怒りと涙が混ざってそれ以上言葉にな
           らない呼十、地面に置いてある荷物を
           持ち上げる。
           五日を睨んで、荷物を離れへと運んで
           行く呼十。
        五日「あ‥」
           荷物を持ち後を追う五日。
        五日「それと俺謝らんといけんくて‥せっか
         く薬草あげん採って貰ったとに、出来た薬
         ば全部ここで使ってしもて、売りに行けん
         やった‥悪かったね‥」
        呼十「‥そげんかこと怒る訳なかじゃなかで
         すか!」
        五日「ああ‥うん‥そうやけど‥」
               -205-


        呼十「‥すみません。別にウチが腹を立てる
         ことじゃなかとに‥」
        五日「‥いや」
           ふと、手で胸を押さえる五日。
        
        ○同・離れ・小部屋
           素麺を食べている五日。
        五日「うまいです」
           向かいに座り嬉しそうにお茶を飲む住
           職。
        住職「お父さんが持って来てくれなはったと
         ですよ」
        五日「そげんですか‥出来たとですね‥」
           住職の背中に掴まって立ち上がる小夜。
        五日「‥小夜ちゃん?」
        住職「大きくなったでしょう?」
        五日「すごい。もう立てるとですね‥小夜ち
         ゃん、覚えとる?」
           住職の背中に隠れる小夜。
        住職「少し人見知りの始まって」
               -206-


        五日「そげんとですね。‥理介は?」
        住職「山崩れの後の湧き水がまだ続きよって
         ですね‥いつまでも止まらんけん、海さん
         水ば流すごと水路ば作るごと決まって、そ
         の作業に行きよんなはるとですよ。お役所
         から給金の出るとです‥」
        五日「働きに行きよるとですか?」
        住職「ここさんずっとおって良かですよって
         言いよるとけど、理介さんは早よう自分で
         小夜さんば育てていけるごつ、少しづつで
         も手に職ばつけたかごたるです‥帰って来
         たら字の練習ばしよよんなはるらしか‥」
        五日「休む暇のなかですね‥咳はどげんとで
         すか?」
        住職「酷なっとります‥」
        五日「‥」
        住職「何か、小夜さんば遠くさんやらんでよ
         かごつて思うてしよんなはることが、かえ
         って二人ば遠ざけてしまうごとして‥でん
         理介さんにどげん言うてもでけんとやろう
               -207-


         と思います。理介さんは何か自分の内側か
         ら感じ取るものがあるとかもしれん‥」
        五日「‥長崎の先生に聞いてみたとですけど、
         こん薬ば飲んで治らんとなら難しかかもし
         れんって言われて‥」
        住職「‥はい」
        五日「でん、まだ分からんです。とにかく安
         静にしとかんと」
        住職「そげんとですけど‥何か誰にも口出し
         出来んっていうか、あの切実さを前に正論
         とか言えんとです‥」
        五日「‥俺、水路作業の所に行ってみます」
           立ち上がる五日。
        
        ○白土湖
           山崩れにより湧き水が溜まり出来た白
           土湖。
           道路が寸断されイカダで行き来する
           人々。
        五日「水の増えとる‥」
               -208-


        
        ○白土湖からの水路
           白土湖より海へ向かって作られている
           水路。
           大勢の人が鋤や鍬で水路作業に従事し
           ている。
        
        ○水路沿いの道
           年端のいかない子が掘削された土を運
           んで行く。
           五日、その横を理介を探しながら歩い
           て行く。
        作二の声「いっちゃん先生?!」
           水路で作業していた作二が手を振って
           いる。
           周辺の人達も五日に気づき、作業の手
           を止めて五日に手を振る。
           「いっちゃん先生!」と嬉しそうに呼
           ぶ人達。
           駆け寄る五日。
               -209-


        五日「作二さん、皆さん、お元気そうですね」
        作二「先生の帰ってこらしたなら良かった。
         これで理介も元気になるやろ」
        五日「理介はどこにおるとですか?」
        作二「多分もっと下の海側に下ったとこにお
         らんやろか?」
        五日「ありがとうございます。行ってみます」
        作二「もうすぐ薬ののうなるて言いよったけ
         ん心配しとったとですよ。戻って来てもろ
         てほんなごつ良かった」
           「先生、また!」と手を振り作業に戻
           る人々。
           頭を下げて立ち去る五日。
        
        ○水路
           作業に戻り水路を掘削している作二。
           近くにいた男性が話しかける。
        男性「今の人は医者とね?」
        作二「あ、はい」
        男性「誰か病気と?」
               -210-


        作二「旅館で一緒に奉公しよった男ん子のず
         っと咳の治らんでから薬ば飲みよるとばっ
         てん、もうすぐそん薬のつくごたったけん
         戻って来てもろて良かったと思って」
        男性「薬ば飲みよるとに治らんておかしかね。
         そん薬がいけんとじゃなかとかな」
        作二「うんにゃ、いっちゃん先生はよかお医
         者さんで長崎さん勉強しに行って来なはっ
         たとです」
        男性「効くか分からん薬ば試す医者もおるげ
         なけんね」
        作二「何ば言いよるとですか!そげんか訳な
         か!いっちゃん先生は俺が足ば大怪我した
         時でん、遠くの山さん行って薬草ば見つけ
         てきて治してやんなはったとやっけん」
        男性「ああ、そげんね‥」
        作二「そげんです」
           怒ったように作業する作二。
        
        ○水路の脇の道
               -211-


           人の間をぬって道をずっと歩いて行く
           五日、先の方で働いている理介の姿を
           見つける。
        五日「理介」
           痩せている理介の姿。
        五日「‥」
           近づいて行く五日。
           理介、五日に気づき笑顔になる。
        理介「いっちゃん先生?!」
           嬉しそうに駆け寄る理介、途中で倒れ
           る。
        理介「いけん‥」
           気を失う理介。
        
        ○海守寺へ続く坂道(夕)
           理介を負ぶった五日が坂道を急いで駆
           け上っていく。
        
        ○海守寺・離れ・小部屋(夜)
           布団に寝ている理介のおでこに濡れた
               -212-


           手拭いをのせる五日。
           熱にうなされている理介。
           襖が開き作二が入って来る。
           布団の隣に座る作二。
        作二「いっちゃん先生‥理介は治るとですよ
         ね?先生からもろた薬ばずっと飲みよった
         けん大丈夫とですよね?」
        五日「‥薬は絶対に治る訳じゃなかとです。
         本人の体力が持ちこたえんことには、薬じ
         ゃ治らんとです」
        作二「‥でん、先生は俺の脚でん治してやん
         なはったとやけん、理介のことも治してく
         れらすって信じとるです」
        五日「‥うんにゃです。俺じゃなくてから、
         もっとよか先生に診て貰った方がよかとじ
         ゃなかとかなって思いよるとです」
           作二、理介の手を取る。
        作二「理介は先生に診て欲しかとと思います。
         こまか頃奉公に来てからずっと働きよって、
         旦さんも女将さんもほんにようしてやんな
               -213-


         はったとけど、でん奥にある寂しさは多分
         どげんしてん消えんで‥でんこの頃は嬢ち
         ゃんが理介の家族になったごとして、ああ
         ‥理介はやっと一人じゃなくなったとやな
         って思って‥」
        五日「‥はい」
           激しく咳き込む理介。
           五日背中をさする。
        作二「‥理介、頑張らなんぞ」
        理介「‥薬ば‥」
        五日「ああ‥」
           五日、薬を理介に飲ませていると咳込
           んで吐いてしまう。
        作二「大丈夫ね?!」
           手をギュッと握る作二。
           五日、手拭いで畳を拭くと、血の混じ
           った痰がついている。
        作二「‥」
        五日「すみません、お湯と手拭いば持って来
         てもらってもよかですか?」
               -214-


        作二「分かったです」
           立ち上がり急ぎ出て行く作二。
           ×   ×   ×
           理介の隣に敷かれた布団で寝ながら理
           介を見つめている五日。
        五日「落ち着いたごたるね‥」
        理介「‥ずっと見とって貰ったとですね‥」
        五日「うん‥大丈夫やけんね」
        理介「‥ありがとうございます」
        五日「何も心配せんでよかけん、ゆっくり寝
         とかんね」
           安心したように小さく息を吐く理介。
        理介「あの‥ずっと気になっとったことのあ
         るとですけど、聞いてよかですか‥」
        五日「ん?」
        理介「‥初めて会った時、いっちゃん先生、
         このままもう眠っときたかって言いよんな
         はったとです‥」
        五日「ああ‥助けて貰った時のこつ?」
        理介「はい‥ばってん、もしいっちゃん先生
               -215-


         があのまま眠りたかって思っとんなはった
         となら、俺は助けたことにはならとです‥」
           上半身起き上がる五日。
        五日「うんにゃよ。あん時、助けて貰ったと
         思っとるよ」
        
        ○(回想)海守寺・庭(夜)
           小夜を負ぶって掃き掃除をしている理
           介、ふと遠くから馬の嘶く声が聞こえ
           るのに気づく。
        理介「…何か動物の鳴き声のする」
        
        ○(回想)海守寺・表(夜)
           鳥居から出てくる理介、辺りを見回す
           と坂道の下の方から馬の鳴き声が聞
           こえる。
           鳴き声のする方へ坂道を降りて行く理
           介。
        
        ○(回想)人里近くの道(夜)
               -216-


           坂道を降りて来た理介、鳴いている尾
           花を見つけ近寄る。
           尾花の横に立つ理介、恐る恐る体に触
           れる。
        理介「‥」
           理介の背中で寝ていた小夜がぐずり始
           める。
        理介「‥ごめんね。よしよし」
           小夜に声を掛けながら尾花の身体を撫
           で続ける理介、次第に静かになる尾花。
           理介、尾花が立っているすぐ傍に背中
           にケガを負った五日が横たわってい
           るのに気づく。
        理介「‥人?」
           うつ伏せに倒れている五日。
           五日に近づき、しゃがんで揺さぶる理
           介。
        理介「‥大丈夫かですか?」
        五日「う‥」
        理介「良かった、生きとんなはる‥どこか痛
               -217-


         かとこはなかですか?」
        五日「‥」 
           朦朧としている五日。
        五日「‥もうこのまま‥眠らせてくれんね‥」
        理介「‥え?」
           心配そうに五日を覗く理介。
        (フラッシュ)土砂降りの雨の中の山道を歩
         いている五日と呼十。呼十「‥死なんで下
         さいよ」
           倒れていた五日、ゆっくりと目を開け
           る。
        理介「あ、目ば覚ましなはった。生きとんな
         はる。良かった‥」
           理介、五日の手を取り喜ぶ。
        五日「‥」
           不思議そうにぼうっと月を眺めている。
        
        ○海守寺・離れ・小部屋(夜)
           布団に上半身起こしている五日。
        五日「‥確かに俺、あん時はおらんくなれた
               -218-


         らいいとになって思っとって‥何か生きて
         いくとに意味が見出せんごつなとって‥」
           五日を見る理介。
        五日「いつもお世話になっとった島原の海岸
         端にあった滝さんちが流されとって、そん
         滝さんにも未だに会えんで‥ほんなごつ悲
         しくて心が塞がれるとに、悲しみが心の中
         に入ってこれんごとして‥悲しめん悲しみ
         が心の外側にずっと残っとって‥こっち来
         てずっとそげんやった‥誰と話しても、ど
         こか上の空のごたる感じで、誰とも心が交
         わらんで‥作り物の毎日に迷い込んだごた
         る感じで、ずっとこのまま生きていかんと
         いけんとかと思うと、暗がりの中におるご
         として怖かった‥」
        理介「俺‥いっちゃん先生のこと、お父さん
         の肥後から探しに来なはって、あげん心配
         されて羨ましかなって思っとりました」
        五日「そげんやね‥こげん恵まれとるとに‥」
        理介「うんにゃです‥」
               -219-


        五日「でん、長崎からこっちに戻って来たら、
         いきなり何でいっぺん肥後に帰ってこんと
         ですかって怒られて‥あん時、やっと言葉
         が心に届いたごつして、ずっと温度の無か
         った所に熱かお湯が注がれたごつして‥今
         は何か、やっと地面に足の着いたごたる気
         のしとると」
        理介「良かった‥俺、いっちゃん先生に嬢ち
         ゃんばお願いしたかとです」
        五日「小夜ちゃんは理介が育てるとやろ?」
        理介「もし‥それが出来んやったら‥」
        五日「でけん。気持ちが一番とよ」
        理介「‥はい」
        五日「しっかり休まんね‥」
        理介「はい‥」
           目を瞑る理介。
           理介の手を握る五日。
        
        ○同・離れ・廊下(夜)
           咳をしている理介を負ぶって走ってい
               -220-


           る五日。
        
        ○同・離れ・大部屋(夜)
           大部屋の隅で寝ている呼十と小夜。
           襖が開き、呼十が起きると理介を背負
           った五日が立っている。
        呼十「どげんしたとですか?」
        五日「理介に小夜ちゃんの顔ば見せてやりと
         うして‥」
           激しく咳き込んでいる理介。
        呼十「‥お水汲んできます」
           立ち上がる呼十。
           眠っている小夜。
        五日「隣におろすけんね‥」
           頷く理介を背中から降ろし、布団に寝
           せる五日。
        理介「すみません‥」
           小夜の頭を撫でる理介。
        理介「俺、嬢ちゃんに旦さんと女将さんのこ
         とば話しとかんといけん‥」
               -221-


           小夜の手を握る理介。
           壁に寄りかかり見守っている五日。
        理介「俺ね、九つの時に有明旅館に奉公に来
         たとよ‥そん頃、先代の女将さんが身体ば
         崩しなはって、二十歳にならした女将さん
         が後ば継ぐことにならしたと‥それで長崎
         の方の旅館の三男の人に婿に来てもらうっ
         ていう話のあって、その話の決まろうとし
         よった時に女将さんが断りたかって言い出
         さして‥」
           すやすや眠っている小夜。
        
        ○(回想)有明旅館・勝手口
           勝手口でタライに入った豆腐を料理人
           に渡している男性、笑って頭を下げ勝
           手口から出て行く。
           女将が追って勝手口から出て行く。
        
        ○(回想)同・勝手口の外
           空のタライを持って歩いている男性。
               -222-


           その向かい側に水を運んでくる理介の
           姿が遠くに見えている。
           勝手口から走って出てくる女将、男性
           を呼び止める。
        女将「‥お願いがあるとです」
        男性「え?」
           頭を下げる女将。
        理介の声:女将さんが自分と一緒に旅館ば支
         えて貰えんやろうかって今の旦さんに頼み
         なはったところば見たと‥
           驚いている男性。(後の旦那さん)
           運んで来た水を落としてしまう理介。
        
        ○(回想)同・玄関
        理介の声:旦さんは小さか頃から豆腐屋さん
         で奉公しよんなはったけん、俺ら奉公人の
         話しもよう聞いてくれなはって‥
           にこやかにお客さんを迎える旦さんと
           女将さん。
        
               -223-


        ○(回想)同・調理場
        理介の声:他のお店で働きよる人達から、羨
         ましがられよったとよ。
           十数本の紙縒りのくじを持った理介の
           周りに人が集まっており、一人づつ順
           番にくじを引いて行く。
           理介、一本余ったくじをみると白い紙
           縒りでがっかりする。
           赤い印のついた紙縒りを引いた旦さ
           んが大喜びしており、周りの人達が笑
           っている。ザルに一個余った琵琶をと
           り、そっと理介に渡す旦さん。
           驚く理介に微笑む人達。
        
        ○(回想)同・勝手口・表
        理介の声:旅館に暇ができたら里帰りさせて
         くれなはって‥家に帰って肩身の狭か思い
         ばせんごつっていつもお土産ばいっぱい持
         たせてくれなはった。
           風呂敷包みを背負い、帰省していく人。
               -224-


        理介の声:旦さんと女将さんは仲の良くてか
         ら‥あの山崩れの日、女将さんが残るって
         言わしたとは、旦さんと離れるとか怖かっ
         たとかもしれん‥
           手を振って見送っている旦さんと女将
           さん。
        
        ○海守寺・離れ・大部屋(夜)
           眠っている小夜の手を握っている理介、
           咳が酷くなる。
           お水を持った呼十が戻って来る。
           理介の背中をさすっている五日。
           呼十お水を五日に渡し、五日が理介に
           飲ませる。
        理介「すみません‥それから‥」
           咳をしながら話す理介。
        呼十「‥明日にした方がよかとじゃなかです
         か?」
           首を横に振る五日。
        呼十「‥」
               -225-


        五日「温石ば持ってこれる?」
        呼十「分かりました‥」
           部屋を出て行く呼十。
        
        ○同・離れ・炊事場の隣の部屋(夜)
           呼十、長い箸で火のついた囲炉裏の灰
           に石を埋めて温めている。
        
        ○同・離れ・小部屋(夜)
           理介の背中をさすっている五日。
        
        ○(回想)有明旅館・離れ・廊下
        理介の声:女将さんは優しか人で‥
           廊下で布団を運んでいる理介、ふと開
           いている襖の向こうの和室で眠って
           いる小夜に気づく。
        
        ○(回想)同・離れ・和室
           和室に入って来た理介、布団を傍に置
           き、小夜のほっぺにそっと触れる。
               -226-


        理介の声:寝とんなはった嬢ちゃんがあんま
         り可愛くて‥
        理介「やわか‥」
           人の気配にゆっくりと目を覚ます小夜、
           ぐずって泣き始める。
        理介「あ‥ご、ごめんね‥」
           慌てる理介。
           廊下から女将が入って来る。
        女将「はいはい‥あら起きたとね‥」
        理介「すみません‥俺が頬っぺたば触ってし
         もたけん‥」
           小夜を抱き上げる女将。
        理介「ほんなごつすみません‥」
           ゆっくりと小夜が泣き止む。
        女将「抱っこしてみるね?」
        理介「え?うんにゃ、よかです。すみません
         でした」
           頭を下げて立ち去ろうとする理介。
        女将「ほら、こげんして首の下に手ば添えて
         から抱っこするとよ」
               -227-


           女将、理介の方へ小夜を近づける。
        理介「え‥」
           恐る恐る小夜を抱っこする理介。
        女将「小夜、良かったね」
           少し照れたように小夜を眺める理介。
        理介「かわいか‥」
        女将「抱っこしてくれてありがとう。そのま
         まお布団に寝かせられる?」
        理介「‥こげんですか?」
           理介、そっとお布団に小夜を置く。
           機嫌のいい小夜。
        女将「ありがとう」
           嬉しそうに立ち上がる理介。
           女将、理介をひょいと抱き上げる。
        女将「よいしょ」
        理介「うわっ」
        女将「あはは、あら軽かね。もっとご飯ば食
         べんとしゃが」
        理介「よかですよかです。下ろしてください」
        女将「理介はね、小夜のお兄ちゃんのごたる
               -228-


         もんやけん、よろしうね」
        理介「とんでもなかです」
           ゆっくりと理介を下ろす女将。
        女将「お母さんも心配しとんなはるやろね‥」
        理介「‥」
        女将「お正月には帰ってやらんねね。お土産
         は何がよかかね。楽しみやね」
           理介の頭を撫でる女将。
        
        ○海守寺・離れ・小部屋(夜)
           布に包んだ温石をお布団に横になって
           いる理介の背中にあてる五日。
           小夜の手を握りしめる理介。
           少し離れた所に座り見ている呼十。
           ×   ×   ×
           朝の光が差している。
           布団で寝ている小夜の隣にまるで眠っ
           ているような理介が横になっている。
           布団の横で、泣きながら手を合わせて
           いる五日。
               -229-


           近くに座る呼十。
        呼十「綺麗かですね‥」
        五日「うん‥」
           朝の光が理介と小夜を包んでいる。
        
        ○同・お堂
           お経をあげている住職の後ろに手を合
           わせて座っている人々。
           小夜を抱っこして座っている呼十。
        
        ○同・離れ・大部屋
           炊き出しを振舞っている五日。
           思い思いに話したり、涙ぐんだりして
           いる人々。
           お茶を運んだり、呼び止められたりと
           忙しく動いている五日。
           
        ○同・お堂
           泣きながらお堂の掃除をしている呼十、
           住職が入って来る。
               -230-


        住職「掃除はよかですけん、向こうでよばれ
         てきなはらんですか」
        呼十「掃除ばしよってもよかですか?すみま
         せん‥」
        住職「‥よかですよ」
           本尊の前に座り、お経をあげ始める住
           職。
           お経を聴きながら拭き掃除をしている
           呼十。
        (フラッシュ)小夜を負ぶって字を練習して
         いる理介。冷たい手でおむつを干している
         理介。最期布団に横たわり、小夜を抱きし 
         める理介。
           涙を拭う呼十。
           作二が入って来る。
           住職お経を終え、振り返ると作二が座
           っている。
        作二「俺にもお経ばあげてください」
        住職「‥はい」
           住職、作二の前に座る。
               -231-


        住職「作二さんは私達より理介と過ごした時
         間の長かとですもんね‥」
        作二「‥理介の病気はどげんしようもなかっ
         たとですよね‥仕方のなかったとですよね
         ‥あれで良かったとですよね‥」
        住職「理介さんは理介さんにしか生きれん人
         生ば生きなはったごたる気がします。たっ
         た十二年やけど、これ以上頑張れんとやな
         いかと思うくらい濃い十二年やったんやろ
         うと思います」
        作二「‥」
        住職「その分、私達の心の中に色濃くおんな
         はる‥悲しみも濃く残ってしまう‥」
        作二「‥俺、どげんしてん追い払えん言葉が
         心の中にあるとです。全然名前も知らん人
         の言った言葉やとに、何で追い払えんとか
         自分でも分からんくて‥」
        住職「知らん人の何か言いなはったとです
         か?」
        作二「‥水路工事ばしよる時に、効くか分か
               -232-


         らん薬ば試す医者もおるって言われて‥い
         っちゃん先生がそげんことする訳なかって
         分かっとるとに‥何でそげんか言葉に翻弄
         されてしまうとか、ほんなごつ自分が嫌に
         なって‥」
        住職「誰でんそげんです‥何で信じれんくな
         ってしまうとか分からんですけど‥人の心
         は不思議に出来とって、何かを信じようと
         すると、それに抗うように信じさせん作用
         が働くごたるように思います。時間が経て
         ばちゃんと信じれるって見えることが、一
         瞬にしてどこかへ隠れてしまうごとなるこ
         とのあります。一度だけじゃなく何度も、
         誰にでもです」
        作二「‥どげんしたらいいとですか?」
        住職「私にも分からんですけど、目を瞑って
         心の行きたい方に行ったらいいとかな‥と
         思います」
        作二「‥心の行きたか方は信じる方やと思い
         ます」
               -233-


        住職「なら多分それが答えとでしょう。心は
         本当は答えを知ってるとかなと思うとです。
         心がずっといっちゃん先生ば見て来たとや
         けん」
        作二「‥よう分からんけど、分かりました‥」
        住職「無理せんでもいいとですけんね。駄目
         なら駄目で仕方のなかことやけん」
        作二「はい」
           少し安心した様子の作二。
           掃除をしている呼十、嗚咽で手が止ま
           る。
        
        ○同・表(夕)
           帰って行く人々を見送っている住職、
           作二、五日、小夜を負ぶった呼十。
        
        ○同・庭(夕)
           離れへと歩いて行く呼十へ話しかける
           五日。
        五日「‥そろそろ肥後に帰ろうかと思っとる」
               -234-


        呼十「え?‥そげんですか‥」
        五日「よかなら小夜ちゃんも一緒にって思っ
         とるとよ‥」
        呼十「‥庄屋さんも喜びなはるですね」
        五日「‥」
        
        ○同・離れ・小部屋(夜)
           木箱から理介の荷物を整理している五
           日。
           自分で繕った跡のある衣服。
           涙を拭う五日。
           襖が開き、作二が入って来る。
        作二「今日は全部取り仕切って貰って、あり
         がとうございます‥」
        五日「いえ、動いとった方がよかとです」
        作二「理介の荷物ですか‥」
        五日「はい‥」
        作二「こしこしかなかとですね‥」
        五日「あの‥小夜ちゃんのこととですけど、
         理介に頼まれたこともあって‥もしもよか
               -235-


         なら、肥後の方さん連れて行きたかと思っ
         とるとですけど、どげんでしょうか?」
        作二「理介がそげん言いよったとですか?」
        五日「はい。亡くなる前の晩に」
        作二「理介が望んだとなら俺はよかと思いま
         すけど‥いっちゃん先生の実家の方は大丈
         夫とですか?」
        五日「うちは母もおるですし、面倒見てくれ
         る人も周りにいっぱいおんなはるけん大丈
         夫かと思います」
        作二「そっか‥帰んなはるとですね」
        五日「はい‥噴火もこの頃は収まったごたる
         し、理介の初七日が終わったら帰ろうと思
         います」
        作二「‥寂しくなりますけど‥いっちゃん先
         生はまた長崎さん行きなはることもあると
         でしょう?」
        五日「はい。長崎の先生に薬のことば聞いた
         ら、あの薬草はこっちの方には自生しとら
         んらしくて、向こうに戻ってまた薬ば作っ
               -236-


         て来て欲しかと言われました。少し苗ば移
         してみてもよかとかなと思っとります」
        作二「そげんですか‥なら、帰ってからも忙
         しかですね。でん待っとりますけん、また
         来なはってください」
        五日「はい‥長い間お世話になりました」
           頭を下げる五日。
        作二「うんにゃです。ずっとおって貰って皆、 
         助かりました。ありがとうございました」
           頭を下げる作二。
           小夜の泣き声が聞こえてくる。
        
        ○同・離れ・大部屋(夜)
           泣いている小夜を抱っこしている呼十。
           五日が部屋に入って来る。
        五日「大丈夫かね?」
        呼十「‥りっちゃんがおらした時はいつもす
         ぐ泣き止みなはったとですけど‥」
        五日「‥小夜ちゃんはお母さんば山崩れで亡
         くして、やっと理介に慣れて‥やとに今度
               -237-


         はその理介ば亡くして‥やれんとやろうね
         ‥」
        呼十「‥」
           小夜をぎゅっと抱きしめる呼十。
        
        ○同・庭(夜)
           小夜を負んぶして子守歌を歌っている
           五日。
        
        ○同・お堂と離れを結ぶ渡り廊下(夜)
           お堂へお供えされていたご飯茶碗と湯
           呑を離れへと下げている呼十と住職
           が並んで歩いている。
        住職「帰んなはるとですね‥呼十さんにもお
         世話になって、ありがとうございました。
         理介も呼十さんがおってくれて助かったろ
         うと思います」
        呼十「いえ‥何も出来んやったです‥」
           ふと、庭に小夜を負んぶしている五日
           がいる姿に気づく住職、立ち止まる。
               -238-


        住職「‥いっちゃん先生も、次々に重かこと
         ば引き受けていきなはるですね‥大変かろ
         うに‥」
        呼十「あの‥あの薬はいっちゃんが自分のお
         母さんの為に作んなはった薬とで、お母さ
         んはあの薬でほんなごつ咳が治んなはって
         今も元気にしとんなはるとです」
        住職「ああ‥そげんやったとですか」
        呼十「元々は長崎さん薬ば売りに行くって言
         うて出て行きなはったとけど、ここで使っ
         たけんごめんって言うて謝んなはって‥や
         とに何でそげんことになってしまうとか‥」
        住職「‥良かれと思ってしたことが裏返しに
         なって戻って来ることは実はよく起こるこ
         とかもしれんくて、物事は正しい方に流れ
         るという訳ではないとかもしれません‥」
        呼十「‥仕方なかとですか?」
        住職「理不尽かごたるけど‥でも誰か信じて 
         くれる人がたった一人でもおったなら、人
         は意外に生きていけるとですよね‥こげん
               -239-


         人のおるとに何でたった一人だけで生きて
         いけるとやろうかって不思議にも思うけど、
         でもそうとですよね‥」」
        呼十「‥ウチ、信じることやったら出来るかもしれ
         ません」
           頷く住職。
           五日と小夜の姿を見ている呼十。
        
        ○同・離れ・大部屋(朝)
           朝ごはんを食べている人々。
           
        ○水路の脇の道
           お握りの詰まったタライを抱えて運ん
           で行く十与。
           水路から少し離れた小さな小屋で怪我
           人の手当てをしている五日を見つけ
           る。
           
        ○海守寺・表の道(夕)
           道の脇にある山菜を摘んでいる呼十。
               -240-


           坂の下の方から五日が上って来る。
        呼十「野蒜のありました」
           山菜を見せる呼十。
        五日「へえ‥野蒜は薬草にもなるとよ」
        呼十「え‥どげんしますか?」
        五日「あはは。食べよう」
           下に広がる景色を眺める五日。
        五日「ここからいつも向こうば見よった」
           海の向こうに見えている肥後の山。
        呼十「あと三日とですね‥」
        五日「うん‥」
        呼十「長崎さん行きなはった日、あげん言う
         てしまったとけど、やっぱり‥もし誰でん
         よかってまだ思っとんなはるなら、ウチで
         もいいとですか?」
        五日「‥誰でんよかという訳じゃなかけど」
        呼十「え?駄目とですか?」
        五日「いや‥何かそげん言うてしまって申し
         訳なかったなって思って‥」
        呼十「いえ、変なこと言うてしまったけんす
               -241-


         みません」
        五日「いや‥」
        呼十「よかとですよ。ウチは一緒に薬ば作っ
         たり、素?が出来て喜んだり、読み書き出
         来る人が増えたり、そげんか時間ば一緒に
         過ごせたら、何かそれが嬉しいとです」
        五日「うん‥何かいい加減かことは言えんけ
         ど‥俺、これからせんといけんことが山の
         ごつあって、ばってん俺は無力で何も出来
         んくて‥けど、そげんか時あんたがおった
         らなって思って‥何か今はそれぐらいしか
         言われんでごめんけど‥」
        呼十「いや、十分とです‥」
        五日「え?‥そげんかな‥」
        呼十「はあ‥何か緊張したです‥」
        五日「あはは‥俺も‥」
        呼十「りっちゃん、見よんなはったかな‥」
        五日「理介に会いたかな‥」
           空を見上げる五日と呼十の背中を夕日
           が照らしている。
               -242-


        
        ○稲本家・土間(夜)
           玄関が開き、呼十と五日が入って来る。
           板間で食事をしていた太吉、春、藍太、
           千穂、珂内、穣、驚いて二人を見る。
        
        ○藤沢家・玄関(夜)
           小夜を負ぶった五日、玄関を開けると、
           忙しそうに座布団を運んでいる久爾
           子が偶然通りかかる。
        久爾子「‥いっちゃん?!」
           座布団を放り投げ、五日に抱きつく久
           爾子。
        五日「‥遅くなってすみません」
           久爾子、ふと背中の小夜に気づく。
        久爾子「‥え?‥いっちゃん?」
        五日「あ‥違うとです」
           足音が近づき、時蔵が駆けつける。
        時蔵「帰って来たとね‥」
        五日「はい‥」
               -243-


        久爾子「疲れたやろ?はよ上がって」
           中へ入る五日。
        
        ○稲本家・板間(夜)
           家族に囲まれ、食事をしている呼十。
        
        ○同・南部屋(夜)
           一つの布団に穣と子供、隣の布団に呼
           十が寝ている。
        穣「十与が島原に行ったって藍太兄ちゃんに
         聞いたとよ‥」
        呼十「うん‥ウチ、最初穣姉ちゃんのこと知
         らんかったと‥ごめんね‥」
        穣「謝らんでいいとって。気にすることじゃ
         なかとよ。幼馴染みとやっけんね」
        呼十「でん、穣姉ちゃんがお母ちゃんの頼み
         ば聞いて嫁いで行ってくれなはったけん、
         だけんウチは自分の好きなこつの出来ると
         に‥」
        穣「ウチも自分で選んで嫁いだとやけん、一
               -244-


         緒よ」
        呼十「‥ごめんね」
        穣「いいとよ。いいと」
        呼十「うん‥」
        穣「いっちゃんも大切か幼馴染みやし、呼十
         はたった一人の妹とやけん‥」
        呼十「うん‥」
        穣「‥呼十がまだお母ちゃんのお腹の中にお
         る時、うちいつもんごつお母ちゃんの膝に
         どんって座ったとよ。そしたらお母ちゃん
         のいたたたってお腹ば押さえなはって、そ
         ん時お父ちゃんとお母ちゃんに、お腹ん中
         に赤ちゃんのおらすとやけん、どんって膝
         に乗ったらいけん。もうお姉ちゃんになる
         とやけんって怒られたと。そん時、ああ‥
         お姉ちゃんになるというこつはもうお母さ
         んの膝に座れんというこつとやねって思っ
         たとば覚えとると」
        呼十「‥うん」
        穣「でんお母ちゃんの膝に座れんことよりか、
               -245-


         弟か妹の生まれる嬉しさの方がうんと勝っ
         とたと。生まれた呼十の可愛いうして、毎
         日ずっと眺めとった。電電太鼓ば叩くと泣
         き止んで、音のする方ば目で追いなはって
         ‥あん時何とも言えん暖かか光の差しとっ
         て、神様がそこにおらすごと幸せか空気に
         包まれたごたる気がしたとば覚えとる」
           呼十に手を伸ばす穣。穣の手を握る呼
           十。
        呼十「‥ウチは自慢やったよ。皆がみっちゃ
         んがお姉ちゃんでよかねって羨ましがりな
         はって、何か嬉しくて。かなちゃんもそげ
         んやったとと思う」
        穣「楽しかったね‥」
        呼十「皆ずっと一緒におられるとよかとにね
         ‥」
        穣「そうやね‥」
           天井を眺めている呼十と穣。
        
        ○同・土間(朝)
               -246-


           玄関が開き五日が入って来る。
        五日「おはようございます」
           小部屋から姿を見せる穣。
        穣「いっちゃん。あ、呼十?」
        五日「うん‥」
        穣「さっき天水村さん行ったよ」
        五日「天水村に?」
        穣「藍太兄ちゃんが天水村の人に呼十に来て
         欲しかって頼まれなはって、ほんとにさっ
         き‥」
        五日「え‥」
           五日、玄関から出て行く。
        穣「ん?…あ‥まさか‥」
           穣、慌てて土間へと降りる。
        
        ○稲本家へと続いている道(朝)
           走っている五日を追いかける穣。
        穣「いっちゃーん!違う!違うとー」
           穣が追いかけて来ていることに気づい
           て止まる五日。
               -247-


           息を切らし追いつく穣。
        穣「‥あのね、呼十手習所の手伝いに行っと
         らすと」
        五日「‥ああ」
        穣「天水村の女ん子がなかなか来なはらんら
         しくて‥それで女ん人の教えらすなら女ん
         子も来やすかかもしれんけんって向こうの
         庄屋さんに藍太兄ちゃんが頼まれとんなは
         ったらしくて‥それで島原から帰って来た
         ならって今朝、呼十と珂内と一緒に出て行
         きなはったとよ」
        五日「そげんね‥俺、また同じかことになる
         とかと思って‥」
        穣「‥」
        五日「なら分かった‥言いに来てもろてあり
         がとう」
        穣「‥いっちゃん、慌てて出て行きなはった
         けん、絶対誤解しとんなはると思って‥」
        五日「あはは。そうやね‥誤解するとこやっ
         た。いけんね‥」
               -248-


        穣「あの‥いっちゃん、前に話してくれて‥
         ああ、やっぱりいっちゃんも気にしとって
         くれとんなはったとやなって分かって‥あ
         の時の気持ちば教えて貰って、良かったと
         今は思っとる。ずっと分からんままやった
         けん‥ほんなごつ良かった‥ありがとう」
        五日「うんにゃ‥」
        穣「今から天水村さん行くと?」
        五日「いや‥何か診療所にいっぱい薬草の干
         してあったけん、俺がおらん間も摘んでく
         れとったとやねってお礼ば言おうと思って」
        穣「そげんね。何日か向こうにおるって言い
         よらしたけど‥」
        五日「いや‥今じゃなくてもよかけん」
        穣「分かった‥なら、気を付けてね」
        五日「うん、みっちゃんも」
        穣「あはは。ウチはすぐそこやけん」
        五日「見よくよ」
        穣「うん‥ならね」
           穣、歩いて戻って行く。
               -249-


        五日の声:分かっとらんよ、みっちゃん‥あ
         れからどれだけ後悔したつか‥どげんも出
         来んことがどげん苦しかったつか‥でん誰
         にも分からんでよかとと思う。俺だけにし
         か分からんことと‥
           歩いて行く穣を見ている五日。
        
        ○天水村の診療所・外観
           平屋の大きめの診療所。
        
        ○同・小部屋
           のりと向かい合って話している呼十と
           珂内。
        のり「遠かったやろ?」
        呼十「うんにゃ。のりちゃんが元気そうやけ
         ん良かった」
        のり「うん。先生も優しかし、手伝うとも楽
         しかとよ」
        呼十「あ、おばちゃんから何か預かって来た
         よ。かなちゃんが持って来てくれらした」
               -250-

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