珂内、風呂敷包みをのりに渡す。
     珂内「はい。煮物ば作ったけんって」
     のり「わ‥重かったやろ?ごめんね」
     珂内「うんにゃよ」
     のり「あ、お茶ば淹れてくるね」
     呼十「のりちゃん、よかよ。手習所はどこに
      あると?」
     のり「そっちば手習所に使いよんなはる」
     呼十「見て来てよか?」
        立ち上がる呼十。
            -251-

     珂内「呼十ちゃん、なら五日したら迎えに来
      るけんね」
        立ち上がる珂内。
     呼十「もう帰ると?」
     珂内「うん。女ん子のいっぱい来らすとよか
      ね」
     呼十「うん‥」
     珂内「のりちゃんも頑張ってね」
     のり「‥ゆっくり休んでいくといいとに」
     珂内「暗くならんうちに戻りたかけん」
            -251-

     のり「そう‥あ、お母ちゃんに着替えばあり
      がとうって言うとってくれる?」
     珂内「分かった。言うとくよ」
        襖が開き、富樫先生(35)が顔を出
        す。
     富樫「こんにちは、富樫です」
     呼十「あ、稲本呼十といいます。宜しくお願
      いします」
     富樫「こちらこそ、お願いします。って言い
      たかとばってん、それが一人も集まっとら
            -252-

      んとですよ」
        頭を掻く先生。
     呼十「そげんとですか?」
     富樫「わざわざ来てもらったとにすみません。
      良かったら今日は泊まって行きはなってく
      ださい。のりさんも話したかことのいっぱ
      いあろうけん」
     呼十「‥泊まっていってよかとですか?」
     富樫「はい。ご飯も用意しますけん、弟さん
      も是非」
            -252-

     珂内「え?」
     呼十「そうやん、明日帰るなら一緒に帰ろう」
     珂内「でも、泊まるて言うて来とらんけん心
      配さっさんやろか?」
     呼十「そげんやね‥帰った方がよかかな‥」
     のり「え?帰ると?‥」
     富樫「なら、石工の出来なはる元助さんが、
      瀬渡川の修繕に行くて言いよんなはったけ
      ん、田中村の人に伝えて貰うとよか。まだ
      出とんなはらんやろうか?」
            -253-

     のり「うち見て来てみます」
        急ぎ部屋を出て行くのり。
     富樫「‥嬉しかとですね。よかならゆっくり
      していってやって下さい」
     呼十「すみません。ありがとうございます」
        頭を下げる呼十と珂内。
        
     ○富樫家・板間(夜)
        富樫の家族と楽しそうに食事をしてい
        るのりと呼十、珂内。
            -253-

     富樫「悪かったですね。女ん子には読み書き
      はいらんて言う人のまだ多かけん‥庄屋さ
      んも謝っとって言いよんなはったです」
     呼十「全然です。ウチらの村も最初はそげん
      やったとです。でん、久爾子先生が皆ば説
      得してくれなはって‥」
     富樫「ウチも姉に来てもらうとよかとかな。
      私はどうもそげんかとが苦手で‥」
     呼十「そげんとですか?」
     富樫「はい。姉はあげん見えて頑固者で、子
            -254-

      供の頃自分にも字を教えてくれって父に毎
      日毎日嘆願してたのを覚えてます。最後は
      父が根負けして‥」
     呼十「‥そげんやったとですか」
     富樫「私も皆に分かって貰えるごつ何度も話
      しときますけん、また来て下さいね」
     呼十「はい、お願いします」
        
     ○畦道(夜)
        呼十とのりが並んで歩いている。
            -254-

        小さな松明を手に持っているのり。
     のり「天水の温泉はお湯がとろとろしとると
      よ。肌が綺麗になるとげな」
     呼十「へえ、よかね。行ってみたか」
     のり「うん。今度行こう」
     呼十「うん。‥ねえ、のりちゃん。いつか帰
      ってこられんと?」
     のり「帰ったらまた本家からお嫁に行く話ば
      されるかもしれんけんね‥ここも楽しかし、
      本家に行くよりここにおりたかとよ」
            -255-

     呼十「そげんと‥」
     のり「呼十ちゃんは?お嫁に行くとやろ?」
     呼十「え?行かんよ」
     のり「そげんと?」
     呼十「何で?」
     のり「やって、こないだお母ちゃんが来らし
      てから、島原から帰って来なはったら二人
      一緒にならすとやろねって言いよらしたよ」
     呼十「え?二人って‥ウチといっちゃん?」
     のり「違うと?」
            -255-

     呼十「‥うんにゃ、違わんけど違うというか
      ‥どげん言えばよかとかわからんけど‥い
      っちゃんは誰でんよかって言いよんなはっ
      たけんウチでもいいとかもしれんっていう
      くらいのことやけん‥」
     のり「誰でんよかとなら、他の人でんよかと
      じゃなかと?」
     呼十「ほんなごつやん‥どげんしよう‥」
     のり「あはは」
     呼十「のりちゃん、どげんしたらいい?」
            -256-

     のり「やけど‥呼十ちゃん、本当にそれでよ
      かと思っとると?」
     呼十「‥え?」
     のり「ウチも人のことは言えんけど‥」
     呼十「‥」
        庄屋の家が見える。
     のり「あ、ここのお家と」
        
     ○庄屋の家・外観(夜)
        広い長屋造りの家。
            -256-

        
     ○同・玄関(夜)
        のり、顔を出し声を掛ける。
     のり「こんばんはー。お風呂貰いに来ました
      ー」
        奥から女の人の声が聞こえる。「はーい
        、どうぞー」
        
     ○畦道(夜)
        湯上りで帰って行っている呼十とのり。
            -257-

     呼十「のりちゃんは‥やっぱり介ちゃんば好
      いとったと?」
     のり「介ちゃん?何で?全然違うとけど‥」
     呼十「え?違うと?」
     のり「うん」
     呼十「何か前に手習所からのりちゃんと介ち
      ゃんが二人で帰って来よんなはるとば、か
      なちゃんと見てから‥そげんとかなって思
      っとった」
     のり「‥あの日久爾子先生に奉公に出たかっ
            -257-

      ていう相談ばしたかったけん、かなちゃん
      に先に帰っとってって言うたとよ。それで
      久爾子先生にここば紹介してもろたと」
     呼十「ああ、そげんやったと‥」
     のり「何かかなちゃんには知られとうなかっ
      たけん‥」
     呼十「‥え」
     のり「ん?」
     呼十「‥かなちゃんは多分、のりちゃんが介
      ちゃんば好いとらすと思っとらすと思う」
            -258-

     のり「え?ほんなごつ?どげんしよう、呼十
      ちゃん‥」
     呼十「ええ?‥えっと、あ‥ウチが言うてみ
      ようか?」
     のり「ええ?言わんで、呼十ちゃん‥」
     呼十「‥ごめん」
     のり「うんにゃ‥ウチ、お嫁に行くとは諦め
      てここさん来たとやけん、やっぱりよかと。
      ごめんね、ウチが変なこと言うたけん‥あ
      りがと」
            -258-

     呼十「え‥そげん決めんでもよかやん」
     のり「うんにゃ。そげん決めとった方がよか
      とよ」
     呼十「‥のりちゃん、何かウチより大人やね
      ‥」
     のり「あはは」
        並んで歩いて行く呼十とのり。
        
     ○富樫家・表(朝)
        富樫とその家族、のりが見送ってくれ
            -259-

        ている。
        お礼を言い、帰って行く呼十と珂内。
        呼十、ふと振り返ると涙ぐみ手を振っ
        ているのりと目が合う。
        手を振り返す呼十。
        微笑むのり。
        
     ○藤沢家・玄関
        玄関に立っている藍太。
     藍太「いっちゃん!」
            -259-

        足音が聞こえて五日が現れる。
     五日「藍ちゃん、どげんしたと?」
     藍太「菊南村の庄屋さんが代わったとげな」
     五日「え?島田さんは?」
     藍太「止めるって言いなはったらしか‥そっ
      で入り札で組頭やった橋之助さんに決まっ
      たとげな」
     五日「ほんなごつね?島田さん、何で止める
      て言いなはったとやろ‥」
     藍太「去年の一揆のことの一段落したけんて
            -260-

      言いいよんなはったばってん‥あん時一揆
      にかたらんやった田中村と仲良うすること
      に反発しとらす人達のおらすごたる‥今度
      の庄屋の橋之助さんはそっちとげな‥」
     五日「でん、橋之助さんは去年菜種油ば集め
      て、ウチの村さん届けてやらしたとに‥」
     藍太「それが今年は菜種油は田中村には売ら
      んって言いよらすとげな‥」
     五日「‥何で?」
     藍太「分からんばってん‥」
            -260-

        腕組みをする五日。
        
     ○藤沢家・表
        よちよち歩きしてくる小夜に、嬉しそ
        うに手を差し伸べている久爾子。
        遠くから数人の男の人達が歩いて来て
        いるのに気づく。
     久爾子「‥」
        歩いて来た小夜を抱き上げる。 
        
            -261-

     ○同・和室
        時蔵と五日が座っており、その向かい
        合わせに橋之助(45)と喜助(30)
        、その後ろに三人程座っている。
     橋之助「菊南村の介太がこの村に来とるとで
      しょ?返してもらえんやろうか?」
     時蔵「介太ばですか?」
     橋之助「村々間の脱走はお互いに元の村に返
      すごつ決め事のあったですよね?」
     五日「ばってん島田さんに言うて、介太はウ
            -261-

      チの村で暮らすごつ許して貰っとるとです」
     橋之助「でん介太の叔父の喜助はよかとは言
      うとらんとげなですよ。そげんやろ?」
     喜助「そげんとです。島田さんの何やら勝手
      に何か言うてから、俺はずっと介太ば心配
      しとったとに」
     時蔵「介太ば田中村に置いてくれんねって言
      いなはったとは、手代の弥一さんとですよ。
      ウチは介太ば返す訳にはいかんです」
     喜助「うんにゃ、あん頃は俺も具合の悪かっ
            -262-

      たけん介太がちょっときつかったかもしれ
      んばってん、今は俺もちゃんと田んぼばみ
      よるけん、介太に戻って来てもろてまた一
      緒に暮らせたらって思っとるとです」
     五日「そげん言われても、これまでのことば
      考ゆるとやっぱり、介太ば喜助さんのとこ
      さん返してんよかですとは言えんです」
     喜助「介太に会わせて貰えんやろか?」
      時蔵「‥」
     橋之助「叔父が会いたかて言いよるとやけん、
            -262-

      会わせてやらんですか」
     時蔵「‥介太の意見ば尊重するって約束して
      もらゆるですか?」
     喜助「よかです」
     五日「‥」
        席を立つ五日。
        
     ○藤沢家の田んぼ
        田んぼを畑にするため、水はけの溝を
        掘っている珂内と介太。
            -263-

        歩いて来た五日が声を掛ける。
     五日「介太」
        振り返る介太。
     五日「菊南村から叔父さんの来とんなはる」
     介太「え?」
     五日「介太に会いたかて言いよんなはるばっ
      てん、どげんするね?」
     介太「‥」
        心配そうに介太を見る珂内。
        
            -263-

     ○藤沢家・和室
        部屋に五日と介太が入って来る。
        五日の隣に座る介太。
     喜助「介太、心配しとったとよ。元気にしと
      ったとね?」
        身体を固くして俯いている介太。
     喜助「俺ももうこげん身体もようなったけん、
      家さん帰って来んね。そしてから祖母ちゃ
      んの墓にお参りばしてやってくれんね」
     介太「…」
            -264-

     橋之助「喜助さんもこげん言いよらすとやけ
      ん、村さん来んね」
     五日「でん、介太はここで素麺造りばしたか
      とやろ?」
        ゆっくり頷く介太。
     橋之助「ならウチの村で素麺ば造るとよかた
      い。な?それならよかろ?」
     介太「‥え?」
     喜助「それがよか。そげんせんね。帰ろう」
      俯いてじっとしている介太。
            -264-

     橋之助「心配せんでん誰もお前ば責めたりせ
      んけん、帰ってこい。そん方が祖母ちゃん
      も喜びなはるぞ」
     介太「…」
     喜助「帰ってくるやろ?介太?」
        恐る恐る頷く介太。
     五日「帰るとね?それでよかとね?」
        唇を噛みしめる介太。
     橋之助「本人がよかて言いよるとやけん。さ、
      帰ろう」
            -265-

        立ち上がろうとする喜助の肩を、後ろ
        に座っていた入江吾六(28)が押さ
        える。
     喜助「ん?」
        振り向く喜助。
        吾六、介太に話しかける。
     吾六「帰らん方がいいが」
        驚いて吾六を見る介太。
     喜助「何ば言いよるとね」
     吾六「こん人達はあんたから素麺の作り方ば
            -265-

      習ろうたら、そん後はあんたばこん人んち
      の田んぼで働かせようて思っとらすとやき」
     五日「ほんなごつですか?」
     橋之助「え?うんにゃ‥こん男はウチん村ん
      もんじゃなかけん、何もしらんとですよ。
      ついこないだ筑後の方から来て、仕方なか
      けんウチの村に置いとるだけとです」
     喜助「お前田中村に恨みのあるて言いよった
      やろ?」
     吾六「ああ‥田中村に恨みのあるとは父ちゃ
            -266-

      んの妹の旦那の知り合いの嫁さんの甥っ子
      やけん、別によかとです」
        笑う五日。
     橋之助「‥口出しすっとでけん。黙っとけ」
     吾六「ばってん黙っとくなら、そん介太っち
      ゅう子のあん村さん帰らないけんみたいや
      き、ここにおった方がよかよって言うてや
      らんと」
     橋之助「お前、村から追い出すぞ」
     吾六「分かりました。俺もあん村さんは帰ら
            -266-

      んき、ここに置いてください」
        手をついて時蔵にペコっと頭を下げる
        吾六。
        驚く時蔵。
        頭を上げる吾六、五日を見てニカッと
        笑う。
        戸惑う五日。
     橋之助「もし、介太ば返さんとなら今年は菜
      種油は田中村さんは売らんですよ。よかと
      ですか?」
            -267-

     時蔵「‥しょんなかです。介太にはおって貰
      わんと困る。菜種油は他ばあたってみます」
     橋之助「菜種油は簡単には手に入らんですよ。
      去年俺はあしこ集めるとにどれだけあちこ
      ち走り回ったか‥」
     時蔵「‥去年のこつは有難く思っとります」
        申し訳なさそうに俯いている介太。
        介太の肩を抱き寄せる五日。
     五日「心配せんでんよかとやけんね」
     介太「‥」
            -267-

        介太を睨んでいる喜助、苦しそうに胸
        を押さえる。
        
     ○藤沢家の田んぼ
        水はけの溝を掘っている珂内と介太と
        五日。
        脇で見ていた吾六、珂内に近づき鍬を
        とる。
     珂内「え?」
     吾六「疲れたやろう?替わるき」
            -268-

        鍬を振るい始める吾六、どんどん溝を
        掘っていく。
     珂内「すごい‥」
        顔を見合わせる珂内と五日。
        珂内、吾六が掘り起こした土を押し車
        に載せて運んで行く。
        時蔵が布袋を抱えて持ってくる。
        五日、時蔵の傍に歩いてくる。
        時蔵が袋を広げると菜種が入ってい
        る。
            -268-

     五日「菜種‥どげんしたとですか?」
     時蔵「島原に行った時、滝ちゃん達のことば
      聞いてみたら近くに住んどった人のおんな
      はって、山崩れの前の噴火の頃肥前に避難
      しなはったまま、まだ戻って来とんなはら
      んて言いよんなはったとよ」
     五日「え?滝さん達無事やったとですか?」
     時蔵「うん。それで帰る時に肥前に寄って、
      島原から避難してきた人達の住んどんなは
      る所ば幾つか回ってみたら会えたと」
            -269-

     五日「良かった‥」
     時蔵「うん。今は肥前で小作ばしながら漁に
      も出よんなはるらしか。で、そこに菜種の
      植わっとったけん、素麺ば造りよるて話し
      たら種ば分けてやんなはったと。今年植え
      る分やけん、来年しか油はとれんばってん
      ね‥」
     五日「なら来年は大丈夫とですね」
     時蔵「うん。でん今年は街で買うて来るしか
      なかやろね‥」
            -269-

     五日「難しかとですか?」
     時蔵「街で売っとるとは高かけんね‥菜種油
      は他にも欲しか人のいっぱいおらすやろう
      けん、少しでも手に入るならよかばってん
      ‥」
        溝を掘っていた吾六、ふと手を止める。
     吾六「菜種油じゃないといけんのですか?」
     時蔵「いや‥どげんとやろ‥」
     介太「‥雲海さんがごま油とか綿実油でも出
      来るて言いよんなはったです。ほんなごつ
            -270-

      は綿実油が一番風味のよからしかとけど、
      菜種油よりも高かげなです」
     吾六「前におった遠来川の辺り一帯で綿花造
      りしよったき、あの辺に行けば売って貰え
      るかもしれんですけど‥」
     時蔵「ほんなごつですか?」
     吾六「行ってみらんと分からんですけど、案
      内しましょうか?」
     時蔵「‥なら今年は綿花油で造ってみるね?
      菜種油でんそげん量は買えんやろうし、や
            -270-

      ったら質のよか綿実油で作った方がよかか
      もしれんね」
     五日「そげんですね。案内してもらってよか
      とですか?」
     吾六「はい」
     時蔵「助かります。なら二人で行って来んね」
     五日「え?」
        吾六、五日に近づき肩を叩く。
     吾六「よろしゅうね!」
     五日「あ‥こちらこそ」
            -271-

        嬉しそうな吾六。
        
     ○山道(朝)
        尾花を連れた五日と吾六が歩いている。
        後ろから走って来ている呼十。
     呼十「いっちゃーん!」
        声に立ち止まる尾花。
     五日「ん?」
     呼十の声「いっちゃーん‥」
        五日、振り向くと遠くから呼十が走っ
            -271-

        て来る。
     呼十「おむすび、忘れとるって久爾子先生が
      ‥」
     五日「あ‥ごめん」
        竹の皮に包まれたおむすびを受け取る
        五日。
     呼十「遠来に行くとですか?」
     五日「うん。綿花油ば分けて貰えんか話して
      くるとよ。吾六さんが遠来に住んどんなは
      ったらしくて案内して貰わるると」
            -272-

     呼十「そげんですか‥」
        吾六に頭を下げる呼十。
     呼十「どんくらい行きなはるとですか?」
     五日「さあ‥十日くらいやろか‥」
     呼十「そげんとですか‥気を付けて‥」
     五日「うん、ありがとう。あ、もしよかなら
      小屋に置いとる薬草ば干しとって貰われる
      と助かるとけど」
     呼十「分かりました。摘みにも行ってみます」
     五日「ありがとう。怪我せんごつ」
            -272-

     呼十「はい。なら気を付けて」
     五日「うん」
        歩いて行く五日達。
        振り返り頭を下げる吾六。
        頭を下げ返す呼十。
     吾六「見送りよってよ」
     五日「え?ああ‥」
        手を振る五日。
     吾六「もっとちゃんと振らんと」
        五日の手を取り大きく振る吾六。
            -273-

        笑う呼十。
     五日「何ばするとですか」
        歩いて行く五日達。
        
     ○遠来川・川岸
        一面に綿の花が咲いている。
        
     ○入江家・外観(夕)
        山の梺にある小さな家。緑に囲まれて
        いる。
            -273-

        
     ○同・玄関(夕)
        板間でコマを回して遊んでいる入江千
        吉(5)。
        戸が開き吾六が姿を見せる。
     吾六「ただいま」
        千吉、声に振り向く。
     千吉「お父ちゃん!」
        走り寄る千吉、玄関に立っている吾六
        に抱きつく。
            -274-

        後ろに立っている五日、驚く。
     五日「お父ちゃん?」
     吾六「千吉、また大きくなったな」
     千吉「帰って来たと?」
     吾六「祖母ちゃんは?」
     千吉「今、畑さんいっちょってよ。呼んで来
      るき、まっちょって」
        草履を履き、五日の横をすり抜けて外
        へ出て行く千吉、ふと振り返る。
     千吉「こんにちは!」
            -274-

     五日「あ‥こんにちは」
     千吉「誰?」
     五日「あ、俺肥後から来た藤沢五日と」
     吾六「いっちゃん」
     千吉「いっちゃん?」
     五日「うん」
     千吉「いっちゃん!」
        にっこり笑って走り出す千吉。
     吾六「今んとがうちの息子。嫁さんが病気で
      亡くなったき、母ちゃんにみてもらいよう
            -275-

      んよ」
     五日「そげんやったとですか‥」
        えつ(55)千吉に手を引かれて来る。
     えつ「あら、お客さんの来とんしゃあ。早よ
      ウチさん上がって貰わんば。疲れんとんし
      ゃあとでしょ?上がらんですか」
        後ろから五日の背中を押すえつ。
     五日「あ‥急に来てからすみません‥」
     えつ「何のですか」 
        嬉しそうなえつ。
            -275-

        
     ○遠来川・土手
        土手に立ち、川原の綿花畑を眺めてい
        る吾六と五日。
        
     ○同・綿花畑
        花の間に生っている綿花を摘んでいる
        人々。吾六が土手から降りてきている
        姿に気づく。
     遠来の村人1「あれ六さんなんやないん?」
            -276-

     遠来の村人2「え?そうやね、六さんっちゃ」
     遠来の村人3「六さん?」
        口々に広がっていく。
        手を振りながら近づいてくる吾六。
     吾六「今年もいい綿が育っちょるね」
     遠来の村人1「六さん、帰って来たとね!」
        人々が集まって来る。
        後ろから歩いて来ている五日、その様
        子を少し離れた所から見ている。
        
            -276-

     ○同・川岸
        綿花畑から少し離れた場所で摘まれて
        来た綿花を集めている籠が置かれて
        いる。
        集めた綿花が入った籠を荷車で運んで
        行く人。
        
     ○作業所の小屋の中
        女性たちが幾つかの班に分かれて作業
        をしている。
            -277-

        綿の実から綿の部分を集めていく班。
        綿から手作業で種を取っていく班。
        種取り機で種を取る班。
        五日、感心したように綿や種を手に取
        って見ている。
        広田耕作(40)が五日の傍に立つ。
     耕作「綿から種を取るんが大変なんよ」
     五日「そげんごたるですね。でん器用に取り
      よんなはるですね」
     耕作「綿は重宝されるき、五年前から始めた
            -277-

      んよ。最初の年は木が育ちすぎて花の数が
      少ないで全然採れんやったんやけど、今は
      よう採れるんよ」
     吾六「種はどうしよん?」
     耕作「最初ん頃は肥前に欲しいち言われて売
      りよったんやけど、今はここで精油しよん
      よ。それを大阪まで売りに行きよるっちゃ」
     吾六「幸作さん、それどうにか分けて貰えん
      やか?大阪に出す値段でいいき」
     耕作「油がいるん?」
            -278-

     吾六「肥後で素麺を作るんよ。それに油を使
      うんち」
     耕作「そうなん?まあ‥六さんの頼みなら聞
      かん訳にはいかんけね‥」
     吾六「いいと?!」
     耕作「皆に聞いてみんといけんけ、まだ返事
      は出来んけど‥」
     吾六「分かった。もし何か耕作さんから頼み
      があるなら言うてちゃ」
     耕作「うーん、そうやね‥綿ば造りよる分、
            -278-

      麦が作れんけね‥麦があると助かるっちゃ
      けど、素麺なら麦は小麦なんよね?でんそ
      れは素麺作りに使いようとやろ?」
     五日「今年は油ば沢山は買われんけん、その
      分少し素麺の作る量ば減らすとです。だけ
      ん小麦ば残しとこうって話しよるとですけ
      ど、もし要りようならそげん言うてみます」
     耕作「そうなん?大阪さん行かんでいいなら
      旅賃もかからんけ綿実油もその分安くでき
      るし、小麦も融通してもらわれるんやった
            -279-

      らなおいいね。お願いしようかち皆に話そ
      うかね」
     吾六「うん。いいんやないん?」
        入口に人が集まって来ている。
     遠来の村人4「ほんとに六さんやん」
        吾六、あっという間に人に囲まれる。
     五日「一回村ば出たなら普通もうそこには帰
      られんって聞いたことのあるとけど、吾六
      さんば見よるとそげんか感じのせんですね」
     耕作「六さんは特別とやろね。何かあん人に
            -279-

      頼まれると、何とかせなねって思うっちゃ
      んね。不思議やけど」
     五日「はい‥何か分かるごたる気のします」
     耕作「ここで綿花作りを始めるきっかけにな
      ったんも、六さんの祖父ちゃんからなんよ」
     五日「そうとですか?」
     耕作「うん。忠兵衛さんが綿花作りしようて
      言うて、色々調べてやらしたっちゃね。軌
      道に乗る前に亡くなったっちゃけど‥」
     五日「‥そげんですか」
            -280-

        人々に囲まれて笑っている吾六。
        
     ○吾六の家・縁側(夕)
        縁側に向かい合わせで座っている五日
        と吾六。吾六、自分の膝を枕に眠って
        いる千吉を抱えて茣蓙へと運ぶ。
        紙を持って戻って来た吾六、縁側に紙
        を広げて五日に見せる。
     吾六「これ見てん」
        水車の構造が書かれている紙。
            -280-

     吾六「すごいやろ?」
     五日「歯車ですか?」
     吾六「水車っていうんよ。川の流れで動くっ
      ちゃ」
     五日「川に浮かべるとですか?」
     吾六「遠来川の中流の朝丘っていうとこに水
      車があるんよ。遠来川の支流から高台の田
      んぼに水を引くんに水車を使うんちゃ。そ
      れであの辺は農地が広がって、あん時は感
      動したがー」
            -281-

     五日「へえ‥水車か‥」
     吾六「俺、そん時お願いして水車造りに入れ
      て貰ったんよ。それば絵に残しとこうち思
      って自分でこれ描いたんちゃ」
     五日「これ吾六さんが描きなはったとです
      か?」
     吾六「うん。まず川の水の勢いを強めるため
      に小さい堰を作るんよ。それでこの水輪の
      先についた柄杓がここで川の水をすくって、
      そして川の流れで水輪のこう回って柄杓が
            -281-

      上に運ばれて、ここの樋に水を流すんよ。
      それでこの樋の水が‥」
        吾六、絵を見ながら説明する。
     五日「へえ、すごか‥これはよかですね」
     吾六「そうやろう?肥前の方にある水車は水
      輪の回る動力で石臼を回すんち」
     五日「石臼ば水車が回してくれるとですか?」
     吾六「うん。俺、これからはどこも水車が必
      要になると思うんよ」
     五日「へえ‥」
            -282-

     吾六「田中村もこれから小麦挽いたり、菜種
      から油ば搾ったりせないけんけん、水車が
      あったら助かるやろうて思うっちゃん」
     五日「ほんなごつそげんなるなら助かるです
      ね。寝とる間でん川の流れで、水車が小麦
      ば挽いてくれるってことですもんね」
     吾六「そうっちゃ」
     五日「なら帰って皆に話ばしましょう」
     吾六「‥え?ほんとに言いよん?」
     五日「当たり前とです。何でですか?」
            -282-

     吾六「いや‥俺、今までもこうして色んな所
      の人に水車の話ばしたんよ。でも、いいね
      って言いながらも誰も本気では考えてくれ
      んやったっちゃ‥やけん、ちょっと驚いて
      ‥」
     五日「‥村さん帰ったら、六さんも一緒に話
      して貰ゆるですか?」
        頷く吾六。
     吾六「‥もし水車を造れんってなっても、俺
      田中村にずっとおってもいいやか?」
            -283-

     五日「吾六さんにおって貰われるなら心強か
      です」
     吾六「母ちゃんと千吉も一緒に連れて行って
      もいいね?」
     五日「勿論、その方がもっと嬉しかです」
     吾六「うん‥うん‥」
     五日「‥少し気になっとったとけど、前に田
      中村に恨みのあるって言いよんなはったけ
      ど‥何かあるとですか?」
     吾六「ああ、違うっちゃ。あげん言うたら田
            -283-

      中村に連れて行って貰われるかなって思っ
      たと」
     五日「え?」
     吾六「菊南村におった時、一揆にかたらんや
      ったっていう田中村の話ば聞いて、急にど
      うしてん行ってみたかって思ったっちゃ」
     五日「ああ‥そげんやったとですか」
     吾六「うん‥何でかあん時、どうしてんそげ
      ん思ったっちゃんね‥不思議やけど‥」
        吾六、茣蓙で寝ている千吉を見つめる。
            -284-

        
     ○同・庭の畑(夕)
        畑の野菜を採っているえつ。
        横に来て手伝う吾六。
     えつ「いいっちゃ。休んどき」
     吾六「母ちゃん、肥後の田中村に住もうち思
      うんやけど、一緒に行ってくれんやか?」
     えつ「え?田中村にね?」
     吾六「うん‥嫌ね?」
     えつ「嫌なわけないちゃ。祖父ちゃんも喜び
            -284-

      んしゃあやろう。一度でいいき帰りたいっ
      てずっと言いよらしたけえ。六ちゃんあり
      がとう」
     吾六「いや‥」
     えつ「あ、なら引越しの挨拶してこなね」
        野菜を抱えて笑うえつ。
        
     ○藤沢家・診療所
        部屋一面に薬草を干している呼十。
        
            -285-

     ○同・大部屋
        大勢の人が集まって五日と吾六の話を
        聞いている。
        手を叩いて賛同する人々。
        少し離れた所から嬉しそうに見ている
        時蔵。
        
     ○山の森の中
        木を触って確かめて行く吾六。
        吾六、汗だくになり横挽き鋸で木を切
            -285-

        っていく。
        吾六の手際の良さに驚く人々。
        吾六に教えて貰いながら木を切ってい
        く人々。
        嬉しそうに眺めている五日、斧を手に
        取る。
        五日に気づいた藍太が近づく。
     藍太「いっちゃん、ここはよかよ。薬作りば
      しときたかとじゃなかと?」
     五日「うん‥でん水車づくりは俺が言い出し
            -286-

      たことやけん、皆が協力してくれよるとに
      一人別のことは出来んよ」
     藍太「うんにゃよ。いっちゃんには薬ば作っ
      て貰わんと。それはいっちゃんにしか出来
      んことやけん、そっちば頑張って欲しかよ」
     五日「でん‥何か悪かよ‥」
     藍太「うんにゃて。分からんじゃか。はよ、
      診療所さん戻って」
        藍太、五日の手から斧をとり背中を押
        して作業場から追い出す。
            -286-

        
     ○山の森の中(夕)
        日が暮れてきたので作業を止める人々。
        切り採られた丸太が並べられており、
        皆集まっている。
     吾六「うわ。二、三日かかるやろうち思っと
      ったんやけど、かなり集まりましたね」
     時蔵「うん、はかどったね」
        汗や土で汚れているが嬉しそうな人々。
     吾六「半年乾燥させんといけんき、どうしま
            -287-

      すか?」
     時蔵「梺まで下ろして、置き場さん立てとこ
      うか?」
     吾六「そうですね。明日運びましょうか?」
     時蔵「それがよかけど、明日から肥前さん行
      って水車ば見てこようかと思っとるとよ」
     吾六「え?肥前の水車、見に行きんしゃあと
      ですか?」
     時蔵「うん、代官には許可ばもろたとやけど
      ‥六さんも一緒に行ってくれんやろか?」
            -287-

     吾六「え?‥いいとですか?一ぺん見てみた
      かち思っとったんです」
     時蔵「なら一緒に行ってこい」
     吾六「はい!」
     村人1「六さん、肥前さん行くとね?」
     吾六「仕事で行くんちゃ」
     村人1「分かっとるよ」
        笑う人々。
        時蔵、藍太に手招きする。
     藍太「はい」
            -288-

     時蔵「もしよかなら明日から木材ば置き場ま
      で運んでもろていいね?それでそれが終わ
      ったなら菜種と麦ば植えてもらうとよかば
      ってん」
     藍太「分かりました」
     時蔵「よし、なら今日はお終いにしよう。皆
      ご苦労さんでした」
     村人1「おー」
     村人2「お疲れさん」
        声を掛け合い帰って行く人々。
            -288-

        吾六と時蔵、丸太を確認している。
     村人3「六さーん」
        吾六振り向くと、手を振っている人々。
     村人3「待っとるけんねー。ちゃんと帰って
      こなんばーい。怪我せんごつねー」
     吾六「はいよー」
        手を振り返す吾六。
        微笑む時蔵。
        
     ○藤沢家・診療所(夕)
            -289-

        乾燥した薬草を擂り潰している五日。
        扉が開き、呼十が入って来る。
     呼十「久爾子先生が母屋に来て欲しかて言い
      よんなはったです」
     五日「ああ、分かりました」
     呼十「もうこげん出来たとですか?」
        薬の包みが山積みにされている。
     五日「うん。助かったよ。ありがとう」
     呼十「いえ‥」
     五日「これば全部薬に出来たら一回長崎に持
            -289-

      って行こうと思いよる」
     呼十「なら島原に寄りなはるとですか?」
     五日「うん。住職に会いたかね」
     呼十「はい」
     五日「いつか小夜も連れて行ってやりたかな」
     呼十「そげんですね」
        
     ○同・表(夕)
        玄関へと入っていく五日。
     呼十「なら、帰りますけん、久爾子先生にま
            -290-

      た明日来ますって言うとってください」
        頭を下げて帰って行く呼十。
        
     ○同・玄関(夕)
        声に振り返る五日、玄関から身を乗り
        出す。
     五日「え?大丈夫と?」
     呼十の声「はーい!」
     五日「‥」
        五日、玄関から上がろうとすると小夜
            -290-

        を抱っこした久爾子が立っている。
     五日「わっ」
     久爾子「送ってやらんと」
     五日「え?戻って来いって言うたとじゃなか
      とですか?」
     久爾子「あ‥それはもう済んだけん、送って
      来てよかよ」
     五日「‥」
     久爾子「早よ、暗くなりよるよ」
        五日を押し出し、扉を閉める久爾子。
            -291-

        
     ○藤沢家から続いている道(夕)
        並んで歩いている呼十と五日。
     呼十「何か皆勘違いしとんなはるとです」
     五日「ああ‥まあ、いいとじゃない‥」
     呼十「いいとですか?」
     五日「あ、嫌と?」
        首を横に振る呼十。
     呼十「嫌じゃなかです」
     五日「昔、この林のとこで薬草ば採りよった
            -291-

      ら、あんたが八算ば言いながら歩いて行き
      よるとば見たとよ」
     十与「え?八算?」
     五日「うん。やけん久爾子さんが女ん子が手
      習所に来たかとげなって言いよらした時、
      すぐにああ、あん八算の子やろなって思っ
      たと」
     十与「はあ‥他にそげんか子おらんですもん
      ね」
     五日「そうやね‥」
            -292-

     十与「自分でも分かっとるとです。ウチがこ
      げんした方がいいとになって思っとること
      は、皆とは違っとったり、皆がよかって言
      うことがウチにはよかとは思えんやったり
      ‥何で皆に出来ることがウチには出来んと
      やろうって、何かそげんか時、自分一人し
      かおらんとこにおるごたる気がして心が小
      さくなるとです」
     五日「‥俺も時々そげん思う時のあった」
     十与「そげんとですか?何でん出来なはると
            -292-

      に‥」
     五日「あはは‥でん何度か、自分の居場所が
      ないごたる気がして、このままおらんごと
      なれたらいいとにって思ったことのある‥」
     呼十「‥ウチ、島原におった時意外に思った
      とです。小夜ちゃんば負んぶして子守唄ば
      歌いよんなはった時、あ、この人一人だ‥
      って何でか思ったとです‥」
        
     ○(回想)海守寺・庭(夜)
            -293-

        小夜を負んぶして子守歌を歌っている
        五日。
     呼十の声「こげん周りに人のおんなはって光
      の中におんなはるごとしか見えんとに、何
      でそげんか風に思うとか自分でも分からん
      くて‥」
        
     ○藤沢家から続いている道(夕)
     五日「うん‥」
     呼十「あ、それで帰る前の時、変なことば言
            -293-

      うてしまって‥」
     五日「え?ああ、あん時‥まあ俺もやけど‥」
     呼十「でんあん時言うたことやけど、今はち
      ょっと違っとって‥やっぱり誰でんいいと
      言われるのはちょっと嫌やというか‥」
     五日「‥うん」
     呼十「‥傍で過ごせたらいいというのは本当
      やけど、ただ普通に傍におれるだけとはち
      ょっと違うというか‥どげん言ったらいい
      とか分からんけど‥」
            -294-

     五日「うん‥分かった‥」
        歩いて行く呼十と五日。
        
     ○藤沢家・五日の部屋(夜)
        布団を敷いている五日。
        襖が開き、吾六が姿を見せる。
     五日「どげんしたとですか?」
     吾六「いや‥一緒に寝ようかと思って‥」
     五日「は?」
     吾六「あはは。嘘やき、そげん驚かんで」
            -294-

     五日「驚くですよ。‥明日肥前さん行きなは
      るとでしょ?」
     吾六「うん。ありがとね。あんたに会えて良
      かったと思っちょる」
     五日「‥こっちこそ、六さんに会わんやった
      ら水車とか思いもせんかったです。皆感謝
      しとります」
     吾六「俺、色んな村ば見て来たっちゃけど、
      この村はそん中で一番の村やち思っとるっ
      ちゃん」
            -295-

     五日「‥ありがとうございます」
     吾六「やけん、いっちゃんはもっと皆に我儘
      言うてもよかち思うよ。こん村の人達なら
      受け入れてくれるっちゃ」
     五日「‥我儘は確かに言えんかもしれんです」
     吾六「皆言うて欲しかとやろうと思うよ」
     五日「そげんとですかね‥」
     吾六「うん。やき、今日は語り明かそう」
     五日「いや‥大丈夫かです」
        吾六を部屋から押し出し、襖を閉める
            -295-

        五日。
        笑っている吾六の足音が遠ざかる。
     五日「‥何やろう。気になるやないですか‥」
        天井を見上げる五日。
        
     ○同・表(朝)
        出発していく時蔵と吾六を見送ってい
        る五日と小夜を抱いた久爾子、えつと
        千吉。
        
            -296-

     ○藤沢家・台所(朝)
        お握りを握っている久爾子とえつ。
     久爾子「すみません。こげん人数分‥」
     えつ「うんにゃですよ。昨日こっそり見に行
      ったら皆で歌ば歌いながら木ば伐りよんな
      はって、何か楽しかごたったです」
     久爾子「そげんですか。吾六さんすっかり馴
      染んどんなはるごたるですね」
     えつ「そげんでしょ?あん子は昔から何かそ
      げんかったとです」
            -296-

        嬉しそうに笑うえつ。
        久爾子の足元で小夜の遊び相手をし
        ている千吉。
     久爾子「えつさん、もうこっちの言葉になり
      なはったとですね」
     えつ「ああ、ウチの父は小さか頃田中村にお
      ったとですよ」
     久爾子「そうとですか?」
     えつ「はい。だけん時々こっちの言葉が出よ
      んなはって、それで何かすぅぐ馴染んだと
            -297-

      です」
        笑う久爾子とえつ。
     久爾子「お父さん、いつまでここにおんなは
      ったとですか?」
     えつ「‥十二歳の時の台風で、住んどった家
      が土砂崩れにあったらしかです」
     久爾子「‥え?」
        
     ○(回想)えつの父の家・外観(夜)
        普通の一軒家。強風が吹き、大雨が降
            -297-

        っている。
        裏山の木々が次第に傾いてきて、土砂
        と一緒に家へとなだれ落ちる。
        
     ○(回想)同・和室(夜)
        貫助(33)、ふみ(30)、甚兵衛(
        10)、忠兵衛(12)が布団に寝て
        いる所に土砂が流れ込んでくる。
        一番端に寝ていた忠兵衛、自力で土砂
        から抜け出す。
            -298-

        半身が埋まり泣いている甚兵衛を助
        け出す忠兵衛。
     忠兵衛「お父ちゃん!お母ちゃん!」
        必死に土砂を掻き出す忠兵衛。
        ふみの腕が見えて周りを掘り起こす
        と、土砂に埋まったふみが苦しんでい
        る。
        激しく泣き始める甚兵衛。
        
     ○(回想)畦道(夜)
            -298-

        風雨の中、畦道を必死に走って行く忠
        兵衛。
        
     ○(回想)近くの家(夜)
        玄関を叩く忠兵衛、出て来た人に事情
        を話す。忠兵衛と一緒に走り出す人。
        
     ○(回想)えつの父の家(朝)
        台風の去った朝。晴れ間が見えている。
        土砂に潰された家に数人の人が集ま
            -299-

        っている。
        泣いているふみと甚兵衛。
        大人達と話をしている忠兵衛。
     えつの声「お父さんは土砂の下敷きになって
      亡くなったらしかです。お母さんは何とか
      助け出されたけど、それから歩くことの出
      来んごつなんなはったらしくて‥」
        
     ○(回想)田んぼ(朝)
        田んぼを耕している人。
            -299-

        その様子を遠くから見ている忠兵衛。
     えつの声「田んぼば売るしかなくてそのお金
      と、父がよその家の手伝いで貰った食べ物
      とで暫く小屋で親子三人で暮らしよったけ
      ど、それだけで三人食べていくとは難しか
      ったげなです」
        
     ○(回想)えつの父の家の小屋・外観
        小さな小屋。
        
            -300-

     ○(回想)同・小屋の中
        戸が開き、村人が入って来る。
        外へと出て行く忠兵衛。
        
     ○(回想)同・小屋の外
     忠兵衛「分かったです。弟はまだ小さかけん、
      俺が奉公に出るけん、その分食べ物ば渡し
      てやって下さい」
        頷く村人。
        ×   ×   ×
            -300-

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