珂内、風呂敷包みをのりに渡す。
珂内「はい。煮物ば作ったけんって」
のり「わ‥重かったやろ?ごめんね」
珂内「うんにゃよ」
のり「あ、お茶ば淹れてくるね」
呼十「のりちゃん、よかよ。手習所はどこに
あると?」
のり「そっちば手習所に使いよんなはる」
呼十「見て来てよか?」
立ち上がる呼十。
-251-
珂内「呼十ちゃん、なら五日したら迎えに来
るけんね」
立ち上がる珂内。
呼十「もう帰ると?」
珂内「うん。女ん子のいっぱい来らすとよか
ね」
呼十「うん‥」
珂内「のりちゃんも頑張ってね」
のり「‥ゆっくり休んでいくといいとに」
珂内「暗くならんうちに戻りたかけん」
-251-
のり「そう‥あ、お母ちゃんに着替えばあり
がとうって言うとってくれる?」
珂内「分かった。言うとくよ」
襖が開き、富樫先生(35)が顔を出
す。
富樫「こんにちは、富樫です」
呼十「あ、稲本呼十といいます。宜しくお願
いします」
富樫「こちらこそ、お願いします。って言い
たかとばってん、それが一人も集まっとら
-252-
んとですよ」
頭を掻く先生。
呼十「そげんとですか?」
富樫「わざわざ来てもらったとにすみません。
良かったら今日は泊まって行きはなってく
ださい。のりさんも話したかことのいっぱ
いあろうけん」
呼十「‥泊まっていってよかとですか?」
富樫「はい。ご飯も用意しますけん、弟さん
も是非」
-252-
珂内「え?」
呼十「そうやん、明日帰るなら一緒に帰ろう」
珂内「でも、泊まるて言うて来とらんけん心
配さっさんやろか?」
呼十「そげんやね‥帰った方がよかかな‥」
のり「え?帰ると?‥」
富樫「なら、石工の出来なはる元助さんが、
瀬渡川の修繕に行くて言いよんなはったけ
ん、田中村の人に伝えて貰うとよか。まだ
出とんなはらんやろうか?」
-253-
のり「うち見て来てみます」
急ぎ部屋を出て行くのり。
富樫「‥嬉しかとですね。よかならゆっくり
していってやって下さい」
呼十「すみません。ありがとうございます」
頭を下げる呼十と珂内。
○富樫家・板間(夜)
富樫の家族と楽しそうに食事をしてい
るのりと呼十、珂内。
-253-
富樫「悪かったですね。女ん子には読み書き
はいらんて言う人のまだ多かけん‥庄屋さ
んも謝っとって言いよんなはったです」
呼十「全然です。ウチらの村も最初はそげん
やったとです。でん、久爾子先生が皆ば説
得してくれなはって‥」
富樫「ウチも姉に来てもらうとよかとかな。
私はどうもそげんかとが苦手で‥」
呼十「そげんとですか?」
富樫「はい。姉はあげん見えて頑固者で、子
-254-
供の頃自分にも字を教えてくれって父に毎
日毎日嘆願してたのを覚えてます。最後は
父が根負けして‥」
呼十「‥そげんやったとですか」
富樫「私も皆に分かって貰えるごつ何度も話
しときますけん、また来て下さいね」
呼十「はい、お願いします」
○畦道(夜)
呼十とのりが並んで歩いている。
-254-
小さな松明を手に持っているのり。
のり「天水の温泉はお湯がとろとろしとると
よ。肌が綺麗になるとげな」
呼十「へえ、よかね。行ってみたか」
のり「うん。今度行こう」
呼十「うん。‥ねえ、のりちゃん。いつか帰
ってこられんと?」
のり「帰ったらまた本家からお嫁に行く話ば
されるかもしれんけんね‥ここも楽しかし、
本家に行くよりここにおりたかとよ」
-255-
呼十「そげんと‥」
のり「呼十ちゃんは?お嫁に行くとやろ?」
呼十「え?行かんよ」
のり「そげんと?」
呼十「何で?」
のり「やって、こないだお母ちゃんが来らし
てから、島原から帰って来なはったら二人
一緒にならすとやろねって言いよらしたよ」
呼十「え?二人って‥ウチといっちゃん?」
のり「違うと?」
-255-
呼十「‥うんにゃ、違わんけど違うというか
‥どげん言えばよかとかわからんけど‥い
っちゃんは誰でんよかって言いよんなはっ
たけんウチでもいいとかもしれんっていう
くらいのことやけん‥」
のり「誰でんよかとなら、他の人でんよかと
じゃなかと?」
呼十「ほんなごつやん‥どげんしよう‥」
のり「あはは」
呼十「のりちゃん、どげんしたらいい?」
-256-
のり「やけど‥呼十ちゃん、本当にそれでよ
かと思っとると?」
呼十「‥え?」
のり「ウチも人のことは言えんけど‥」
呼十「‥」
庄屋の家が見える。
のり「あ、ここのお家と」
○庄屋の家・外観(夜)
広い長屋造りの家。
-256-
○同・玄関(夜)
のり、顔を出し声を掛ける。
のり「こんばんはー。お風呂貰いに来ました
ー」
奥から女の人の声が聞こえる。「はーい
、どうぞー」
○畦道(夜)
湯上りで帰って行っている呼十とのり。
-257-
呼十「のりちゃんは‥やっぱり介ちゃんば好
いとったと?」
のり「介ちゃん?何で?全然違うとけど‥」
呼十「え?違うと?」
のり「うん」
呼十「何か前に手習所からのりちゃんと介ち
ゃんが二人で帰って来よんなはるとば、か
なちゃんと見てから‥そげんとかなって思
っとった」
のり「‥あの日久爾子先生に奉公に出たかっ
-257-
ていう相談ばしたかったけん、かなちゃん
に先に帰っとってって言うたとよ。それで
久爾子先生にここば紹介してもろたと」
呼十「ああ、そげんやったと‥」
のり「何かかなちゃんには知られとうなかっ
たけん‥」
呼十「‥え」
のり「ん?」
呼十「‥かなちゃんは多分、のりちゃんが介
ちゃんば好いとらすと思っとらすと思う」
-258-
のり「え?ほんなごつ?どげんしよう、呼十
ちゃん‥」
呼十「ええ?‥えっと、あ‥ウチが言うてみ
ようか?」
のり「ええ?言わんで、呼十ちゃん‥」
呼十「‥ごめん」
のり「うんにゃ‥ウチ、お嫁に行くとは諦め
てここさん来たとやけん、やっぱりよかと。
ごめんね、ウチが変なこと言うたけん‥あ
りがと」
-258-
呼十「え‥そげん決めんでもよかやん」
のり「うんにゃ。そげん決めとった方がよか
とよ」
呼十「‥のりちゃん、何かウチより大人やね
‥」
のり「あはは」
並んで歩いて行く呼十とのり。
○富樫家・表(朝)
富樫とその家族、のりが見送ってくれ
-259-
ている。
お礼を言い、帰って行く呼十と珂内。
呼十、ふと振り返ると涙ぐみ手を振っ
ているのりと目が合う。
手を振り返す呼十。
微笑むのり。
○藤沢家・玄関
玄関に立っている藍太。
藍太「いっちゃん!」
-259-
足音が聞こえて五日が現れる。
五日「藍ちゃん、どげんしたと?」
藍太「菊南村の庄屋さんが代わったとげな」
五日「え?島田さんは?」
藍太「止めるって言いなはったらしか‥そっ
で入り札で組頭やった橋之助さんに決まっ
たとげな」
五日「ほんなごつね?島田さん、何で止める
て言いなはったとやろ‥」
藍太「去年の一揆のことの一段落したけんて
-260-
言いいよんなはったばってん‥あん時一揆
にかたらんやった田中村と仲良うすること
に反発しとらす人達のおらすごたる‥今度
の庄屋の橋之助さんはそっちとげな‥」
五日「でん、橋之助さんは去年菜種油ば集め
て、ウチの村さん届けてやらしたとに‥」
藍太「それが今年は菜種油は田中村には売ら
んって言いよらすとげな‥」
五日「‥何で?」
藍太「分からんばってん‥」
-260-
腕組みをする五日。
○藤沢家・表
よちよち歩きしてくる小夜に、嬉しそ
うに手を差し伸べている久爾子。
遠くから数人の男の人達が歩いて来て
いるのに気づく。
久爾子「‥」
歩いて来た小夜を抱き上げる。
-261-
○同・和室
時蔵と五日が座っており、その向かい
合わせに橋之助(45)と喜助(30)
、その後ろに三人程座っている。
橋之助「菊南村の介太がこの村に来とるとで
しょ?返してもらえんやろうか?」
時蔵「介太ばですか?」
橋之助「村々間の脱走はお互いに元の村に返
すごつ決め事のあったですよね?」
五日「ばってん島田さんに言うて、介太はウ
-261-
チの村で暮らすごつ許して貰っとるとです」
橋之助「でん介太の叔父の喜助はよかとは言
うとらんとげなですよ。そげんやろ?」
喜助「そげんとです。島田さんの何やら勝手
に何か言うてから、俺はずっと介太ば心配
しとったとに」
時蔵「介太ば田中村に置いてくれんねって言
いなはったとは、手代の弥一さんとですよ。
ウチは介太ば返す訳にはいかんです」
喜助「うんにゃ、あん頃は俺も具合の悪かっ
-262-
たけん介太がちょっときつかったかもしれ
んばってん、今は俺もちゃんと田んぼばみ
よるけん、介太に戻って来てもろてまた一
緒に暮らせたらって思っとるとです」
五日「そげん言われても、これまでのことば
考ゆるとやっぱり、介太ば喜助さんのとこ
さん返してんよかですとは言えんです」
喜助「介太に会わせて貰えんやろか?」
時蔵「‥」
橋之助「叔父が会いたかて言いよるとやけん、
-262-
会わせてやらんですか」
時蔵「‥介太の意見ば尊重するって約束して
もらゆるですか?」
喜助「よかです」
五日「‥」
席を立つ五日。
○藤沢家の田んぼ
田んぼを畑にするため、水はけの溝を
掘っている珂内と介太。
-263-
歩いて来た五日が声を掛ける。
五日「介太」
振り返る介太。
五日「菊南村から叔父さんの来とんなはる」
介太「え?」
五日「介太に会いたかて言いよんなはるばっ
てん、どげんするね?」
介太「‥」
心配そうに介太を見る珂内。
-263-
○藤沢家・和室
部屋に五日と介太が入って来る。
五日の隣に座る介太。
喜助「介太、心配しとったとよ。元気にしと
ったとね?」
身体を固くして俯いている介太。
喜助「俺ももうこげん身体もようなったけん、
家さん帰って来んね。そしてから祖母ちゃ
んの墓にお参りばしてやってくれんね」
介太「…」
-264-
橋之助「喜助さんもこげん言いよらすとやけ
ん、村さん来んね」
五日「でん、介太はここで素麺造りばしたか
とやろ?」
ゆっくり頷く介太。
橋之助「ならウチの村で素麺ば造るとよかた
い。な?それならよかろ?」
介太「‥え?」
喜助「それがよか。そげんせんね。帰ろう」
俯いてじっとしている介太。
-264-
橋之助「心配せんでん誰もお前ば責めたりせ
んけん、帰ってこい。そん方が祖母ちゃん
も喜びなはるぞ」
介太「…」
喜助「帰ってくるやろ?介太?」
恐る恐る頷く介太。
五日「帰るとね?それでよかとね?」
唇を噛みしめる介太。
橋之助「本人がよかて言いよるとやけん。さ、
帰ろう」
-265-
立ち上がろうとする喜助の肩を、後ろ
に座っていた入江吾六(28)が押さ
える。
喜助「ん?」
振り向く喜助。
吾六、介太に話しかける。
吾六「帰らん方がいいが」
驚いて吾六を見る介太。
喜助「何ば言いよるとね」
吾六「こん人達はあんたから素麺の作り方ば
-265-
習ろうたら、そん後はあんたばこん人んち
の田んぼで働かせようて思っとらすとやき」
五日「ほんなごつですか?」
橋之助「え?うんにゃ‥こん男はウチん村ん
もんじゃなかけん、何もしらんとですよ。
ついこないだ筑後の方から来て、仕方なか
けんウチの村に置いとるだけとです」
喜助「お前田中村に恨みのあるて言いよった
やろ?」
吾六「ああ‥田中村に恨みのあるとは父ちゃ
-266-
んの妹の旦那の知り合いの嫁さんの甥っ子
やけん、別によかとです」
笑う五日。
橋之助「‥口出しすっとでけん。黙っとけ」
吾六「ばってん黙っとくなら、そん介太っち
ゅう子のあん村さん帰らないけんみたいや
き、ここにおった方がよかよって言うてや
らんと」
橋之助「お前、村から追い出すぞ」
吾六「分かりました。俺もあん村さんは帰ら
-266-
んき、ここに置いてください」
手をついて時蔵にペコっと頭を下げる
吾六。
驚く時蔵。
頭を上げる吾六、五日を見てニカッと
笑う。
戸惑う五日。
橋之助「もし、介太ば返さんとなら今年は菜
種油は田中村さんは売らんですよ。よかと
ですか?」
-267-
時蔵「‥しょんなかです。介太にはおって貰
わんと困る。菜種油は他ばあたってみます」
橋之助「菜種油は簡単には手に入らんですよ。
去年俺はあしこ集めるとにどれだけあちこ
ち走り回ったか‥」
時蔵「‥去年のこつは有難く思っとります」
申し訳なさそうに俯いている介太。
介太の肩を抱き寄せる五日。
五日「心配せんでんよかとやけんね」
介太「‥」
-267-
介太を睨んでいる喜助、苦しそうに胸
を押さえる。
○藤沢家の田んぼ
水はけの溝を掘っている珂内と介太と
五日。
脇で見ていた吾六、珂内に近づき鍬を
とる。
珂内「え?」
吾六「疲れたやろう?替わるき」
-268-
鍬を振るい始める吾六、どんどん溝を
掘っていく。
珂内「すごい‥」
顔を見合わせる珂内と五日。
珂内、吾六が掘り起こした土を押し車
に載せて運んで行く。
時蔵が布袋を抱えて持ってくる。
五日、時蔵の傍に歩いてくる。
時蔵が袋を広げると菜種が入ってい
る。
-268-
五日「菜種‥どげんしたとですか?」
時蔵「島原に行った時、滝ちゃん達のことば
聞いてみたら近くに住んどった人のおんな
はって、山崩れの前の噴火の頃肥前に避難
しなはったまま、まだ戻って来とんなはら
んて言いよんなはったとよ」
五日「え?滝さん達無事やったとですか?」
時蔵「うん。それで帰る時に肥前に寄って、
島原から避難してきた人達の住んどんなは
る所ば幾つか回ってみたら会えたと」
-269-
五日「良かった‥」
時蔵「うん。今は肥前で小作ばしながら漁に
も出よんなはるらしか。で、そこに菜種の
植わっとったけん、素麺ば造りよるて話し
たら種ば分けてやんなはったと。今年植え
る分やけん、来年しか油はとれんばってん
ね‥」
五日「なら来年は大丈夫とですね」
時蔵「うん。でん今年は街で買うて来るしか
なかやろね‥」
-269-
五日「難しかとですか?」
時蔵「街で売っとるとは高かけんね‥菜種油
は他にも欲しか人のいっぱいおらすやろう
けん、少しでも手に入るならよかばってん
‥」
溝を掘っていた吾六、ふと手を止める。
吾六「菜種油じゃないといけんのですか?」
時蔵「いや‥どげんとやろ‥」
介太「‥雲海さんがごま油とか綿実油でも出
来るて言いよんなはったです。ほんなごつ
-270-
は綿実油が一番風味のよからしかとけど、
菜種油よりも高かげなです」
吾六「前におった遠来川の辺り一帯で綿花造
りしよったき、あの辺に行けば売って貰え
るかもしれんですけど‥」
時蔵「ほんなごつですか?」
吾六「行ってみらんと分からんですけど、案
内しましょうか?」
時蔵「‥なら今年は綿花油で造ってみるね?
菜種油でんそげん量は買えんやろうし、や
-270-
ったら質のよか綿実油で作った方がよかか
もしれんね」
五日「そげんですね。案内してもらってよか
とですか?」
吾六「はい」
時蔵「助かります。なら二人で行って来んね」
五日「え?」
吾六、五日に近づき肩を叩く。
吾六「よろしゅうね!」
五日「あ‥こちらこそ」
-271-
嬉しそうな吾六。
○山道(朝)
尾花を連れた五日と吾六が歩いている。
後ろから走って来ている呼十。
呼十「いっちゃーん!」
声に立ち止まる尾花。
五日「ん?」
呼十の声「いっちゃーん‥」
五日、振り向くと遠くから呼十が走っ
-271-
て来る。
呼十「おむすび、忘れとるって久爾子先生が
‥」
五日「あ‥ごめん」
竹の皮に包まれたおむすびを受け取る
五日。
呼十「遠来に行くとですか?」
五日「うん。綿花油ば分けて貰えんか話して
くるとよ。吾六さんが遠来に住んどんなは
ったらしくて案内して貰わるると」
-272-
呼十「そげんですか‥」
吾六に頭を下げる呼十。
呼十「どんくらい行きなはるとですか?」
五日「さあ‥十日くらいやろか‥」
呼十「そげんとですか‥気を付けて‥」
五日「うん、ありがとう。あ、もしよかなら
小屋に置いとる薬草ば干しとって貰われる
と助かるとけど」
呼十「分かりました。摘みにも行ってみます」
五日「ありがとう。怪我せんごつ」
-272-
呼十「はい。なら気を付けて」
五日「うん」
歩いて行く五日達。
振り返り頭を下げる吾六。
頭を下げ返す呼十。
吾六「見送りよってよ」
五日「え?ああ‥」
手を振る五日。
吾六「もっとちゃんと振らんと」
五日の手を取り大きく振る吾六。
-273-
笑う呼十。
五日「何ばするとですか」
歩いて行く五日達。
○遠来川・川岸
一面に綿の花が咲いている。
○入江家・外観(夕)
山の梺にある小さな家。緑に囲まれて
いる。
-273-
○同・玄関(夕)
板間でコマを回して遊んでいる入江千
吉(5)。
戸が開き吾六が姿を見せる。
吾六「ただいま」
千吉、声に振り向く。
千吉「お父ちゃん!」
走り寄る千吉、玄関に立っている吾六
に抱きつく。
-274-
後ろに立っている五日、驚く。
五日「お父ちゃん?」
吾六「千吉、また大きくなったな」
千吉「帰って来たと?」
吾六「祖母ちゃんは?」
千吉「今、畑さんいっちょってよ。呼んで来
るき、まっちょって」
草履を履き、五日の横をすり抜けて外
へ出て行く千吉、ふと振り返る。
千吉「こんにちは!」
-274-
五日「あ‥こんにちは」
千吉「誰?」
五日「あ、俺肥後から来た藤沢五日と」
吾六「いっちゃん」
千吉「いっちゃん?」
五日「うん」
千吉「いっちゃん!」
にっこり笑って走り出す千吉。
吾六「今んとがうちの息子。嫁さんが病気で
亡くなったき、母ちゃんにみてもらいよう
-275-
んよ」
五日「そげんやったとですか‥」
えつ(55)千吉に手を引かれて来る。
えつ「あら、お客さんの来とんしゃあ。早よ
ウチさん上がって貰わんば。疲れんとんし
ゃあとでしょ?上がらんですか」
後ろから五日の背中を押すえつ。
五日「あ‥急に来てからすみません‥」
えつ「何のですか」
嬉しそうなえつ。
-275-
○遠来川・土手
土手に立ち、川原の綿花畑を眺めてい
る吾六と五日。
○同・綿花畑
花の間に生っている綿花を摘んでいる
人々。吾六が土手から降りてきている
姿に気づく。
遠来の村人1「あれ六さんなんやないん?」
-276-
遠来の村人2「え?そうやね、六さんっちゃ」
遠来の村人3「六さん?」
口々に広がっていく。
手を振りながら近づいてくる吾六。
吾六「今年もいい綿が育っちょるね」
遠来の村人1「六さん、帰って来たとね!」
人々が集まって来る。
後ろから歩いて来ている五日、その様
子を少し離れた所から見ている。
-276-
○同・川岸
綿花畑から少し離れた場所で摘まれて
来た綿花を集めている籠が置かれて
いる。
集めた綿花が入った籠を荷車で運んで
行く人。
○作業所の小屋の中
女性たちが幾つかの班に分かれて作業
をしている。
-277-
綿の実から綿の部分を集めていく班。
綿から手作業で種を取っていく班。
種取り機で種を取る班。
五日、感心したように綿や種を手に取
って見ている。
広田耕作(40)が五日の傍に立つ。
耕作「綿から種を取るんが大変なんよ」
五日「そげんごたるですね。でん器用に取り
よんなはるですね」
耕作「綿は重宝されるき、五年前から始めた
-277-
んよ。最初の年は木が育ちすぎて花の数が
少ないで全然採れんやったんやけど、今は
よう採れるんよ」
吾六「種はどうしよん?」
耕作「最初ん頃は肥前に欲しいち言われて売
りよったんやけど、今はここで精油しよん
よ。それを大阪まで売りに行きよるっちゃ」
吾六「幸作さん、それどうにか分けて貰えん
やか?大阪に出す値段でいいき」
耕作「油がいるん?」
-278-
吾六「肥後で素麺を作るんよ。それに油を使
うんち」
耕作「そうなん?まあ‥六さんの頼みなら聞
かん訳にはいかんけね‥」
吾六「いいと?!」
耕作「皆に聞いてみんといけんけ、まだ返事
は出来んけど‥」
吾六「分かった。もし何か耕作さんから頼み
があるなら言うてちゃ」
耕作「うーん、そうやね‥綿ば造りよる分、
-278-
麦が作れんけね‥麦があると助かるっちゃ
けど、素麺なら麦は小麦なんよね?でんそ
れは素麺作りに使いようとやろ?」
五日「今年は油ば沢山は買われんけん、その
分少し素麺の作る量ば減らすとです。だけ
ん小麦ば残しとこうって話しよるとですけ
ど、もし要りようならそげん言うてみます」
耕作「そうなん?大阪さん行かんでいいなら
旅賃もかからんけ綿実油もその分安くでき
るし、小麦も融通してもらわれるんやった
-279-
らなおいいね。お願いしようかち皆に話そ
うかね」
吾六「うん。いいんやないん?」
入口に人が集まって来ている。
遠来の村人4「ほんとに六さんやん」
吾六、あっという間に人に囲まれる。
五日「一回村ば出たなら普通もうそこには帰
られんって聞いたことのあるとけど、吾六
さんば見よるとそげんか感じのせんですね」
耕作「六さんは特別とやろね。何かあん人に
-279-
頼まれると、何とかせなねって思うっちゃ
んね。不思議やけど」
五日「はい‥何か分かるごたる気のします」
耕作「ここで綿花作りを始めるきっかけにな
ったんも、六さんの祖父ちゃんからなんよ」
五日「そうとですか?」
耕作「うん。忠兵衛さんが綿花作りしようて
言うて、色々調べてやらしたっちゃね。軌
道に乗る前に亡くなったっちゃけど‥」
五日「‥そげんですか」
-280-
人々に囲まれて笑っている吾六。
○吾六の家・縁側(夕)
縁側に向かい合わせで座っている五日
と吾六。吾六、自分の膝を枕に眠って
いる千吉を抱えて茣蓙へと運ぶ。
紙を持って戻って来た吾六、縁側に紙
を広げて五日に見せる。
吾六「これ見てん」
水車の構造が書かれている紙。
-280-
吾六「すごいやろ?」
五日「歯車ですか?」
吾六「水車っていうんよ。川の流れで動くっ
ちゃ」
五日「川に浮かべるとですか?」
吾六「遠来川の中流の朝丘っていうとこに水
車があるんよ。遠来川の支流から高台の田
んぼに水を引くんに水車を使うんちゃ。そ
れであの辺は農地が広がって、あん時は感
動したがー」
-281-
五日「へえ‥水車か‥」
吾六「俺、そん時お願いして水車造りに入れ
て貰ったんよ。それば絵に残しとこうち思
って自分でこれ描いたんちゃ」
五日「これ吾六さんが描きなはったとです
か?」
吾六「うん。まず川の水の勢いを強めるため
に小さい堰を作るんよ。それでこの水輪の
先についた柄杓がここで川の水をすくって、
そして川の流れで水輪のこう回って柄杓が
-281-
上に運ばれて、ここの樋に水を流すんよ。
それでこの樋の水が‥」
吾六、絵を見ながら説明する。
五日「へえ、すごか‥これはよかですね」
吾六「そうやろう?肥前の方にある水車は水
輪の回る動力で石臼を回すんち」
五日「石臼ば水車が回してくれるとですか?」
吾六「うん。俺、これからはどこも水車が必
要になると思うんよ」
五日「へえ‥」
-282-
吾六「田中村もこれから小麦挽いたり、菜種
から油ば搾ったりせないけんけん、水車が
あったら助かるやろうて思うっちゃん」
五日「ほんなごつそげんなるなら助かるです
ね。寝とる間でん川の流れで、水車が小麦
ば挽いてくれるってことですもんね」
吾六「そうっちゃ」
五日「なら帰って皆に話ばしましょう」
吾六「‥え?ほんとに言いよん?」
五日「当たり前とです。何でですか?」
-282-
吾六「いや‥俺、今までもこうして色んな所
の人に水車の話ばしたんよ。でも、いいね
って言いながらも誰も本気では考えてくれ
んやったっちゃ‥やけん、ちょっと驚いて
‥」
五日「‥村さん帰ったら、六さんも一緒に話
して貰ゆるですか?」
頷く吾六。
吾六「‥もし水車を造れんってなっても、俺
田中村にずっとおってもいいやか?」
-283-
五日「吾六さんにおって貰われるなら心強か
です」
吾六「母ちゃんと千吉も一緒に連れて行って
もいいね?」
五日「勿論、その方がもっと嬉しかです」
吾六「うん‥うん‥」
五日「‥少し気になっとったとけど、前に田
中村に恨みのあるって言いよんなはったけ
ど‥何かあるとですか?」
吾六「ああ、違うっちゃ。あげん言うたら田
-283-
中村に連れて行って貰われるかなって思っ
たと」
五日「え?」
吾六「菊南村におった時、一揆にかたらんや
ったっていう田中村の話ば聞いて、急にど
うしてん行ってみたかって思ったっちゃ」
五日「ああ‥そげんやったとですか」
吾六「うん‥何でかあん時、どうしてんそげ
ん思ったっちゃんね‥不思議やけど‥」
吾六、茣蓙で寝ている千吉を見つめる。
-284-
○同・庭の畑(夕)
畑の野菜を採っているえつ。
横に来て手伝う吾六。
えつ「いいっちゃ。休んどき」
吾六「母ちゃん、肥後の田中村に住もうち思
うんやけど、一緒に行ってくれんやか?」
えつ「え?田中村にね?」
吾六「うん‥嫌ね?」
えつ「嫌なわけないちゃ。祖父ちゃんも喜び
-284-
んしゃあやろう。一度でいいき帰りたいっ
てずっと言いよらしたけえ。六ちゃんあり
がとう」
吾六「いや‥」
えつ「あ、なら引越しの挨拶してこなね」
野菜を抱えて笑うえつ。
○藤沢家・診療所
部屋一面に薬草を干している呼十。
-285-
○同・大部屋
大勢の人が集まって五日と吾六の話を
聞いている。
手を叩いて賛同する人々。
少し離れた所から嬉しそうに見ている
時蔵。
○山の森の中
木を触って確かめて行く吾六。
吾六、汗だくになり横挽き鋸で木を切
-285-
っていく。
吾六の手際の良さに驚く人々。
吾六に教えて貰いながら木を切ってい
く人々。
嬉しそうに眺めている五日、斧を手に
取る。
五日に気づいた藍太が近づく。
藍太「いっちゃん、ここはよかよ。薬作りば
しときたかとじゃなかと?」
五日「うん‥でん水車づくりは俺が言い出し
-286-
たことやけん、皆が協力してくれよるとに
一人別のことは出来んよ」
藍太「うんにゃよ。いっちゃんには薬ば作っ
て貰わんと。それはいっちゃんにしか出来
んことやけん、そっちば頑張って欲しかよ」
五日「でん‥何か悪かよ‥」
藍太「うんにゃて。分からんじゃか。はよ、
診療所さん戻って」
藍太、五日の手から斧をとり背中を押
して作業場から追い出す。
-286-
○山の森の中(夕)
日が暮れてきたので作業を止める人々。
切り採られた丸太が並べられており、
皆集まっている。
吾六「うわ。二、三日かかるやろうち思っと
ったんやけど、かなり集まりましたね」
時蔵「うん、はかどったね」
汗や土で汚れているが嬉しそうな人々。
吾六「半年乾燥させんといけんき、どうしま
-287-
すか?」
時蔵「梺まで下ろして、置き場さん立てとこ
うか?」
吾六「そうですね。明日運びましょうか?」
時蔵「それがよかけど、明日から肥前さん行
って水車ば見てこようかと思っとるとよ」
吾六「え?肥前の水車、見に行きんしゃあと
ですか?」
時蔵「うん、代官には許可ばもろたとやけど
‥六さんも一緒に行ってくれんやろか?」
-287-
吾六「え?‥いいとですか?一ぺん見てみた
かち思っとったんです」
時蔵「なら一緒に行ってこい」
吾六「はい!」
村人1「六さん、肥前さん行くとね?」
吾六「仕事で行くんちゃ」
村人1「分かっとるよ」
笑う人々。
時蔵、藍太に手招きする。
藍太「はい」
-288-
時蔵「もしよかなら明日から木材ば置き場ま
で運んでもろていいね?それでそれが終わ
ったなら菜種と麦ば植えてもらうとよかば
ってん」
藍太「分かりました」
時蔵「よし、なら今日はお終いにしよう。皆
ご苦労さんでした」
村人1「おー」
村人2「お疲れさん」
声を掛け合い帰って行く人々。
-288-
吾六と時蔵、丸太を確認している。
村人3「六さーん」
吾六振り向くと、手を振っている人々。
村人3「待っとるけんねー。ちゃんと帰って
こなんばーい。怪我せんごつねー」
吾六「はいよー」
手を振り返す吾六。
微笑む時蔵。
○藤沢家・診療所(夕)
-289-
乾燥した薬草を擂り潰している五日。
扉が開き、呼十が入って来る。
呼十「久爾子先生が母屋に来て欲しかて言い
よんなはったです」
五日「ああ、分かりました」
呼十「もうこげん出来たとですか?」
薬の包みが山積みにされている。
五日「うん。助かったよ。ありがとう」
呼十「いえ‥」
五日「これば全部薬に出来たら一回長崎に持
-289-
って行こうと思いよる」
呼十「なら島原に寄りなはるとですか?」
五日「うん。住職に会いたかね」
呼十「はい」
五日「いつか小夜も連れて行ってやりたかな」
呼十「そげんですね」
○同・表(夕)
玄関へと入っていく五日。
呼十「なら、帰りますけん、久爾子先生にま
-290-
た明日来ますって言うとってください」
頭を下げて帰って行く呼十。
○同・玄関(夕)
声に振り返る五日、玄関から身を乗り
出す。
五日「え?大丈夫と?」
呼十の声「はーい!」
五日「‥」
五日、玄関から上がろうとすると小夜
-290-
を抱っこした久爾子が立っている。
五日「わっ」
久爾子「送ってやらんと」
五日「え?戻って来いって言うたとじゃなか
とですか?」
久爾子「あ‥それはもう済んだけん、送って
来てよかよ」
五日「‥」
久爾子「早よ、暗くなりよるよ」
五日を押し出し、扉を閉める久爾子。
-291-
○藤沢家から続いている道(夕)
並んで歩いている呼十と五日。
呼十「何か皆勘違いしとんなはるとです」
五日「ああ‥まあ、いいとじゃない‥」
呼十「いいとですか?」
五日「あ、嫌と?」
首を横に振る呼十。
呼十「嫌じゃなかです」
五日「昔、この林のとこで薬草ば採りよった
-291-
ら、あんたが八算ば言いながら歩いて行き
よるとば見たとよ」
十与「え?八算?」
五日「うん。やけん久爾子さんが女ん子が手
習所に来たかとげなって言いよらした時、
すぐにああ、あん八算の子やろなって思っ
たと」
十与「はあ‥他にそげんか子おらんですもん
ね」
五日「そうやね‥」
-292-
十与「自分でも分かっとるとです。ウチがこ
げんした方がいいとになって思っとること
は、皆とは違っとったり、皆がよかって言
うことがウチにはよかとは思えんやったり
‥何で皆に出来ることがウチには出来んと
やろうって、何かそげんか時、自分一人し
かおらんとこにおるごたる気がして心が小
さくなるとです」
五日「‥俺も時々そげん思う時のあった」
十与「そげんとですか?何でん出来なはると
-292-
に‥」
五日「あはは‥でん何度か、自分の居場所が
ないごたる気がして、このままおらんごと
なれたらいいとにって思ったことのある‥」
呼十「‥ウチ、島原におった時意外に思った
とです。小夜ちゃんば負んぶして子守唄ば
歌いよんなはった時、あ、この人一人だ‥
って何でか思ったとです‥」
○(回想)海守寺・庭(夜)
-293-
小夜を負んぶして子守歌を歌っている
五日。
呼十の声「こげん周りに人のおんなはって光
の中におんなはるごとしか見えんとに、何
でそげんか風に思うとか自分でも分からん
くて‥」
○藤沢家から続いている道(夕)
五日「うん‥」
呼十「あ、それで帰る前の時、変なことば言
-293-
うてしまって‥」
五日「え?ああ、あん時‥まあ俺もやけど‥」
呼十「でんあん時言うたことやけど、今はち
ょっと違っとって‥やっぱり誰でんいいと
言われるのはちょっと嫌やというか‥」
五日「‥うん」
呼十「‥傍で過ごせたらいいというのは本当
やけど、ただ普通に傍におれるだけとはち
ょっと違うというか‥どげん言ったらいい
とか分からんけど‥」
-294-
五日「うん‥分かった‥」
歩いて行く呼十と五日。
○藤沢家・五日の部屋(夜)
布団を敷いている五日。
襖が開き、吾六が姿を見せる。
五日「どげんしたとですか?」
吾六「いや‥一緒に寝ようかと思って‥」
五日「は?」
吾六「あはは。嘘やき、そげん驚かんで」
-294-
五日「驚くですよ。‥明日肥前さん行きなは
るとでしょ?」
吾六「うん。ありがとね。あんたに会えて良
かったと思っちょる」
五日「‥こっちこそ、六さんに会わんやった
ら水車とか思いもせんかったです。皆感謝
しとります」
吾六「俺、色んな村ば見て来たっちゃけど、
この村はそん中で一番の村やち思っとるっ
ちゃん」
-295-
五日「‥ありがとうございます」
吾六「やけん、いっちゃんはもっと皆に我儘
言うてもよかち思うよ。こん村の人達なら
受け入れてくれるっちゃ」
五日「‥我儘は確かに言えんかもしれんです」
吾六「皆言うて欲しかとやろうと思うよ」
五日「そげんとですかね‥」
吾六「うん。やき、今日は語り明かそう」
五日「いや‥大丈夫かです」
吾六を部屋から押し出し、襖を閉める
-295-
五日。
笑っている吾六の足音が遠ざかる。
五日「‥何やろう。気になるやないですか‥」
天井を見上げる五日。
○同・表(朝)
出発していく時蔵と吾六を見送ってい
る五日と小夜を抱いた久爾子、えつと
千吉。
-296-
○藤沢家・台所(朝)
お握りを握っている久爾子とえつ。
久爾子「すみません。こげん人数分‥」
えつ「うんにゃですよ。昨日こっそり見に行
ったら皆で歌ば歌いながら木ば伐りよんな
はって、何か楽しかごたったです」
久爾子「そげんですか。吾六さんすっかり馴
染んどんなはるごたるですね」
えつ「そげんでしょ?あん子は昔から何かそ
げんかったとです」
-296-
嬉しそうに笑うえつ。
久爾子の足元で小夜の遊び相手をし
ている千吉。
久爾子「えつさん、もうこっちの言葉になり
なはったとですね」
えつ「ああ、ウチの父は小さか頃田中村にお
ったとですよ」
久爾子「そうとですか?」
えつ「はい。だけん時々こっちの言葉が出よ
んなはって、それで何かすぅぐ馴染んだと
-297-
です」
笑う久爾子とえつ。
久爾子「お父さん、いつまでここにおんなは
ったとですか?」
えつ「‥十二歳の時の台風で、住んどった家
が土砂崩れにあったらしかです」
久爾子「‥え?」
○(回想)えつの父の家・外観(夜)
普通の一軒家。強風が吹き、大雨が降
-297-
っている。
裏山の木々が次第に傾いてきて、土砂
と一緒に家へとなだれ落ちる。
○(回想)同・和室(夜)
貫助(33)、ふみ(30)、甚兵衛(
10)、忠兵衛(12)が布団に寝て
いる所に土砂が流れ込んでくる。
一番端に寝ていた忠兵衛、自力で土砂
から抜け出す。
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半身が埋まり泣いている甚兵衛を助
け出す忠兵衛。
忠兵衛「お父ちゃん!お母ちゃん!」
必死に土砂を掻き出す忠兵衛。
ふみの腕が見えて周りを掘り起こす
と、土砂に埋まったふみが苦しんでい
る。
激しく泣き始める甚兵衛。
○(回想)畦道(夜)
-298-
風雨の中、畦道を必死に走って行く忠
兵衛。
○(回想)近くの家(夜)
玄関を叩く忠兵衛、出て来た人に事情
を話す。忠兵衛と一緒に走り出す人。
○(回想)えつの父の家(朝)
台風の去った朝。晴れ間が見えている。
土砂に潰された家に数人の人が集ま
-299-
っている。
泣いているふみと甚兵衛。
大人達と話をしている忠兵衛。
えつの声「お父さんは土砂の下敷きになって
亡くなったらしかです。お母さんは何とか
助け出されたけど、それから歩くことの出
来んごつなんなはったらしくて‥」
○(回想)田んぼ(朝)
田んぼを耕している人。
-299-
その様子を遠くから見ている忠兵衛。
えつの声「田んぼば売るしかなくてそのお金
と、父がよその家の手伝いで貰った食べ物
とで暫く小屋で親子三人で暮らしよったけ
ど、それだけで三人食べていくとは難しか
ったげなです」
○(回想)えつの父の家の小屋・外観
小さな小屋。
-300-
○(回想)同・小屋の中
戸が開き、村人が入って来る。
外へと出て行く忠兵衛。
○(回想)同・小屋の外
忠兵衛「分かったです。弟はまだ小さかけん、
俺が奉公に出るけん、その分食べ物ば渡し
てやって下さい」
頷く村人。
× × ×
-300-
※一切の無断転用を禁じます。