「テンダーテレパシー」

   登場人物
  善行地十与(19)(21)大学生
  トドク(18)(20)(21)富士樹海ケケレヤツ
     (12)(15)(16) 住人
  ヒビク(22)(19)(18)(15)トドクの兄
  ムクナ(22)(19)ヒビクの妻
     (9)
  バア(70)(60)ムクナの祖母
  カガク(43)(40)トドクの父
  ジイ(65)(68)トドクの祖父
  善行地千鶴(46)(31)十与の母
  善行地哲郎(46)(31)十与の父
  シルバ・アイネ(11)小学生
  ルース(36)アイネの母
  リカルド(5)アイネの弟
  戸川深琴(11)アイネの同級生
  戸川深夏(36)深琴の母


  吉沢満(60)在日外国人支援団体の代表
  阿世(40)(42)十与の大学の准教授
  関口海斗(30)(15)哲郎の元上司の息子
  宮本(31)哲郎の元同僚
  関口晃(50)哲郎の元上司
  矢内仁美(19)十与の同級生
  オウガ(50)ケケレヤツの住人
  ミヤコ(24)(37)ケケレヤツの住人
  ミヤギ(3)(16)ケケレヤツの住人
  社員
  守衛の人
  小学生
  女性1
  女性2
  女性3
  女性4
  同級生
  学生
  女の子

  ○善行地家・外観(夕)
     しとしとと雨が降っている。
     一階がコンビニ、二階が住居となって
     いる二階建て住宅。角地にあり十台程
     の駐車場スペースに車が二台停まって
     いる。

  ○同・表(夕)
     道路に面して南向きに立っているコン
     ビニ。
     西側の少し離れた所に駅が見えている。
     その駅へと続く道に途中小さなお土産
     屋さんやカフェや商店が数軒ある。
     道路を挟んだ向かいに駅利用者のため
     の広い駐車場があり、その先の駅側に
     小さな駅前公園がある。

  ○花舞駅・外観(夕)
     コンクリートで出来た小さな箱型の古
     い駅。
            -1-

      終点にある為、車庫となっており列車
      が沢山並んでいる。

   ○同・駅前(夕)
      駅前に小さなロータリーがあり、その
      向こうに花舞町の町並みが見えている。
      古くからあるような区画整理されてお
      らず、少し寂しくなった感じの町並み。
      家々や空き地、畑などがあちこちに見
      えている。
      西側には雨雲の中富士山の形が、薄っ
      すらと見えている。

   ○善行地家・表(夕)
      駅方向からビニール傘を差した善行地
      十与(19)が歩いて来る。

   ○同・一階コンビニ・店内(夕)
      来客を告げる効果音が鳴りビニール傘
      を入口の傘立てに入れ、十与が入って
            -2-

      くる。
      レジカウンターの向こうで段ボールを
      積んでいる善行地哲郎(46)が振り
      返りながら声をかける。
   哲郎「いらっしゃいませ」
      十与に気付き表情が少し緩む哲郎。
   哲郎「裏から入れって言ってるだろ」
      構わずレジに向かう十与。
   十与「あれ?お父さんレジ?鈴木さんは?」
   哲郎「子供さん熱があるそうなんだ。急いで
    れ」
   十与「分かった」
      従業員用控室の扉から事務所へ入って
      いく十与。

   ○花舞駅前ロータリー(夕)
      あまり人けのない小さなロータリー。
      真ん中に花舞町の石碑があり、駅前に
      タクシーが一台停まっている。
      乗用車用の乗降場所、バス停等があり、
            -3-

      時々登山姿の観光客が行き交う。

   ○同・バス停(夕)
      バス停に『富士神原樹海方面・花舞駅
      前』の文字。
      『富士神原樹海入口→花舞駅』とプレ
      ートに表示されたバスが止まる。
      バスから降りてくる青のチェックのコ
      ートを着たトドク(18)、雨が降っ
      ている空を見上げる。
      トドク辺りを見回し、コンビニの看板
      を見つけその方向へ走り始める。

   ○善行地家・一階コンビニ・店内(夕)
      店内で一人、お菓子の棚に商品補充を
      している十与。
      自動ドアが開き、少し雨に濡れたトド
      クが入ってくる。来客を告げる効果音。
      十与「いらっしゃいませ」
      十与とトドクの目が合う。
            -4-

   トドクの声「傘どこかな‥」
      トドク心の中で呟き、辺りを見回す。
   十与「‥」
      トドクに近寄る十与。
   十与「傘ならこちらです」
      驚くトドク。
      移動して行く十与の後に続くトドク。
   十与「ここに置いてあります」
      コピー機近くに並んでいる傘。
   トドクの声「…何でわかったんだろ?あ、雨
    が降ってたからか‥」
   十与「え?」
      トドク、十与に軽く会釈し、透明の傘
      を一本手に取る。
   トドクの声「風があるからな‥透明のより茶
    色の方が頑丈かな‥でもこっちのが安いし
    な」
   十与「このくらいの風なら透明のでも大丈夫
    だと思います」
   トドクの声「‥え?」
            -5-

   十与「私もそれ使ってて、結構丈夫ですよ」
      戸惑いながら頭を下げるトドク、傘を
      持ったままレジへ向かうと十与が慌て
      てレジに入る。
      十与とトドク、レジカウンターを挟ん
      で向かい合う。
   トドクの声「あれ?いくらだったっけ‥どっ
    かに値札が‥」
      値札を探すトドク。
   十与「ボタン付近についてます」
      トドク、傘のボタン付近を見るとバー
      コードのついた値札がついている。
   トドクの声「本当だ‥よく知ってるな‥」
   十与「いえ、さっき別の方が同じ傘買って行
    かれたんです」
      驚いて十与を見るトドク。
      十与、傘を手に取り、バーコードリー
      ダーを値札にかざすとピッと音がする。
   十与「税込で380円です」
      ポケットからお財布を出すトドク。
            -6-

   トドクの声「これって‥もしかして聞こえる
    のか?」
   十与「はい?」
      トドクを見る十与。
   トドクの声「俺の声‥聞こえてる?」
      十与、トドクの口元が動いていないこ
      とに気付く。
   十与「‥え?何?何ですかこれ?‥あ、そっ
    か腹話術?すごいですね!」
   トドクの声「‥違う。‥何で聞こえんだ?」
      ハッとする十与。
   十与「何かヤバいかも‥。怖い、何か怖い」
      トドクから目をそらし、傘の柄にテー
      プを貼る。
   十与「大丈夫‥落ち着こう‥聞こえない、私
    は聞こえてない‥」
      トドク、お財布から千円札を出す。
   トドクの声「80円ある」
   十与「‥千円からで大丈夫ですか?」
   トドクの声「いや、80円あるって」
            -7-

   十与「千円からですね!」
      十与、千円札を受け取ろうとするが離
      さないトドク。揉み合いになる。
   十与「離してください!」
   トドクの声「小銭だらけになんの嫌なんだよ」
      千円札から手を離す十与。
   十与「‥でも、小銭って便利ですよ。自販機
    でジュース買う時だって釣り銭切れ心配し
    なくていいし、それに何度入れても戻って
    来る百円があっても、何枚も持ってたら色
    んな百円玉試せるし、小銭持ってた方がい
    いです」
   トドクの声「‥でも小銭重いし、財布膨れる
    し、自販機は別の探せばいいから‥」
   十与「そうだけど‥でも小銭には重さの分の
    価値があります。損はしません」
      自信満々に答える十与。
   トドクの声「‥つまり聞こえてるんだな」
   十与「‥聞こえてはないけど‥」
      トドク、1080円をトレーに乗せる。
            -8-

   トドクの声「…デブ」
   十与「くっ‥」
      唇を噛みしめ首を横に振り、トレーの
      お金をレジに入れる十与。
   トドクの声「あ、そうだ。だったら大声出し
    てやる。アーーー!!!」
   十与「わっ!」
      思わず耳を押さえる十与。
   十与「‥」
      ふと耳を押さえている手を外す十与。
   十与「あ‥意味ないんだ‥」
      トドクを睨む十与。
   十与「ビックリさせないで下さい」
   トドクの声「お前、何なんだ?」
   十与「いや‥こっちが聞きたいです」
   トドクの声「何で俺の声聞こえんの?」
   十与「‥そんなの私も分かんないよ」
      700円とレシートを渡す十与。
   十与「値札切りましょうか?」
   トドク「ああ、お願いします‥」
            -9-

      十与、ハサミで値札を切る。
      トドクその十与の腕を掴む。
   十与「え!何?!」
   トドクの声「頼みがある」
   十与「やっぱり‥どこに振り込めばいいんで
    すか?」
   トドクの声「違う。‥人助けだと思っ
    て頼まれて欲しいんだ」
      頭を下げるトドク。
   十与「人助け?無理です‥ただのアルバイト
    なんです。人助けなんて出来ません」
      頭を下げ返す十与。
   トドクの声「大丈夫だから力を貸して欲しい」
   十与「嫌です嫌です‥絶対無理です」
      掴まれた腕を無理矢理振りほどく十与。
      反動でトドクの手がレジにあたる。
   トドクの声「いっ‥」
   十与「あ、すみません!」
      驚いて謝る十与。
      手の甲を押さえ、ため息をつくトドク。
            -10-

   トドクの声「そうだね‥何か無理そうだね‥」
      トドクの手が赤く腫れている。
   十与「…すみません」
   トドクの声「気にしないで‥‥何か変なこと
    言ってごめんね‥傘どうも」
      トドク、反対の手でビニール傘を取り
      ドアから出ていく。
   十与「‥」
      十与、レジからお菓子の棚に戻り商品
      を補充し始めるが、動揺でお菓子がボ
      ロボロと落ちる。
   十与「…気にしない、気にしない。関係ない、
    関係ない‥無理だよ‥」
      お菓子を拾う十与、ふと手を止めドア
      へと走る。

   ○同・一階コンビニ・店の前の駐車場(夕)
      店内から出て来る十与、雨の中、辺り
      を見回すと、少し先にビニール傘を差
      して駅方面に歩いていくトドクの後ろ
            -11-

      姿が見えている。
   十与「何だろう‥気になるな‥嫌だな‥」
      お客さんが来る。
   十与「あ、いらっしゃいませ」
      十与、店内に戻る。

   ○同・二階住宅部・キッチン(夜)
      長在家千鶴(46)、野菜炒めを作っ
      ている。
      カウンター越しにぬっと現れる十与。
   千鶴「わ!ビックリした!」
      十与、身を乗り出しカウンター越しに
      千鶴の顔をべたべた触る。
   千鶴「…何?」
   十与「お母さん‥ちゃんと喋ってるよね?」
   千鶴「え?」
   十与「いや‥あ、野菜炒めだ」
   千鶴「十与の分ないけど」
   十与「えー、苦学生なのに」
   千鶴「ウチでバイトしてるじゃない」
            -12-

   十与「そうだ、こないだお父さんの『(低い
    声で)いらっしゃいませ』で引き返してる
    お客さん、また見たよ」
   千鶴「あはは。また?」
   十与「ただでさえデカくて見た目怖いのにさ、
    更にあの低い声だよ。注意してあげた方が
    良くない?」
   千鶴「いいの、あのままがいいの」
      嬉しそうに言う千鶴。
   十与「‥そう思ってるのお母さんだけだよ」
   千鶴「本当?地球上に一人だけか。嬉しいな」
   十与「‥46の人が言うセリフじゃないって。
    結構気持ち悪いんだよ」
      十与、カウンターの中へ入ってくる。
   千鶴「あはは。本当だ、気持ち悪いね」
      食器乾燥機を開け、お皿を取り出す十
      与。
   十与「‥でも幸せなのかな?気持ち悪いのと
    幸せじゃないのとどっちがいいかな?」
   千鶴「気持ち悪い方がいいでしょ」
            -13-

   十与「いや‥私幸せじゃない方を選ぶ」
      野菜炒めを皿に移す千鶴。
   千鶴「あはは。確かに気持ち悪いけどさ、で
    も仕方ないよ。そうなんだもん」
   十与「ふーん‥でも辛くない?好きって良い
    ことばっかりじゃないじゃん。不安とか嫉
    妬とか会いたくない自分と会わなきゃいけ
    ないし‥」
   千鶴「そうだね‥」
      千鶴フライパンを洗う。
   十与「好きって気持ちと不安って気持ちは反
    比例しそうなのに、なぜか比例するんだよ
    ね。何でなんだろう」
      乾燥機の中のお皿を後ろの食器棚にし
      まう十与。
   千鶴「なるほどね…でも好きなことは嬉しく
    ない?好きって言いたいし、言われたら嬉
    しいでしょ?」
   十与「そうかな‥私は何でだか悲しくなる気
    がする。その人が持ってる好きは人生で何
            -14-

    回ってきっと回数が決まってて、それが一
    回減っちゃったようで寂しくなるような。
    とっておいて欲しいって思うかな‥」
      フライパンを乾燥機へ立てかける千鶴。
   千鶴「‥でもそしたら回数的に減るよ?」
   十与「うん‥でもそれでも取っておいて欲し
    いって気持ちの方が強いな‥」
      千鶴、お鍋から煮物を小鉢によそう。
   千鶴「確かに‥」
      十与、冷蔵庫からリンゴをとる。
   千鶴「何となくだけど‥好きって伝えちゃう
    と自分の心の中から相手の心の中へ好きが
    移って行ってしまうような感じがして、だ
    ったら自分の中にずっと好きを持っておき
    たいような気はするかもしれない‥でもそ
    したら伝わらないんだよね‥」
      リンゴを洗う十与。
      千鶴まな板と包丁を準備する。
   十与「うん‥そうなんだよ‥難しいね‥」
      リンゴを等分に切る千鶴。
            -15-

   千鶴「でも、やっぱりお母さんは言い続ける
    けど」
      果物ナイフでリンゴの皮をむく十与。
   十与「やめて。気持ち悪い」
      笑う千鶴。
   十与「‥まあ、私は全部妄想なんだけどね」
   千鶴「うわ、それが一番気持ち悪い」
      笑い合う十与と千鶴。

   ○花舞駅へ向かう道路(夜)
      ビニール傘を差して歩いている十与、
      駅前公園の前に差し掛かる。
      ふと公園の方を見ると木々の間から、
      トドクが屋根付きの休憩所のベンチに
      座っている姿が見える。
   十与「あ‥」
      十与、立ち止まる。

   ○駅前公園内(夜)
      木に囲まれた公園内。遊具は鉄棒しか
            -16-

      なく、他には角に屋根の下にテーブル
      とベンチが置かれた小さな休憩所があ
      るだけの広場に近いような公園。
      わざと足音を立てて近づく十与。
      足音に気づくトドク。

   ○同・休憩所(夜)
      屋根の下に入り傘を畳む十与、トドク
      の前に立つ。
   十与「‥何でここにいるんですか?家に帰ら
    ないの?‥あの‥何か困ってるの?」
      十与をじっと眺めるトドク。
   トドクの声「‥ああ、さっきのコンビニの‥
    もしかして探してくれてたの?」
   十与「‥見つけない様に探してた。見つから
    なければ納得できるなって思って‥」
   トドクの声「何か分かんないけど‥いいヤツ
    だな」
   十与「ねえ‥絶対そんなことないと思うけど、
    こんな事聞くこと自体馬鹿げてるけど‥仮
            -17-

    に仮にだけど‥まさか行くとこなくてここ
    にいるとか言わないよね?泊まるとこある
    んだよね?まさか行くとこないなんて、そ
    んな人いる訳ないよね?」
   トドクの声「ほんといいヤツなんだな」
   十与「いや、無理無理!私全然いいヤツじゃ
    ないから!」
   トドクの声「大丈夫、俺いいヤツだから」
   十与「‥ええ?」
   トドクの声「よし、行こう」
   十与「え?」
   トドクの声「近く?あ、もしかして駅行くと
    こ?違う?」
   十与「‥ああ、駅には行くけど‥」
   トドクの声「あ、じゃあ50分に乗るの?急
    がないと」
      自分のビニール傘を差し、歩き出すト
      ドク。
   十与「え?嘘?え?」
      慌てて傘をさす十与。
            -18-

      線路沿いにある入口から出て行くトド
      ク。

   ○線路沿いの道・横断歩道(夜)
      走って横断歩道を渡っていくトドク。
      十与、渡ろうとして車にクラクション
      を鳴らされる。
   十与「わっ‥」
      10メートル程先を走っているトドク、
      十与の方を振り返る。
   トドクの声「大丈夫?」
   十与「‥あんなに離れてるのに聞こえる」
      歩きながらぼんやりとトドクを見てい
      る十与。

   ○花舞駅・駅舎内(夜)
      静かな駅内。
      入口で傘を閉じている十与。
   十与「‥何でこんなことになったんだろう?
    あれ?いや、やっぱり無理だよ」
            -19-

      駅の中の切符売り場の前に立っている
      トドクを見る十与。

   ○同・切符売り場の前(夜)
      駅員室で事務作業をしている駅員。
      木製のベンチが四つ並んでいるだけの
      待合場所。
      壁には観光ポスターが貼られており、
      端っこに自販機が一台、他には切符売
      り場と改札だけがある。
      トドクの元へ近づく十与。
   十与「あ、あのやっぱり‥申し訳ないんだけ
    ど‥」
      寒そうに手に息を吹きかけているトド
      ク、手の甲に赤く痣が残っている。
   十与「‥」
      路線と運賃の表示された地図を見上げ
      ているトドクの横に立つ十与。
   十与「手‥痛かったでしょ?ごめんね‥」
   トドクの声「ああ、全然平気。切符どこまで
             -20-

      買えばいい?」
   十与「えっと‥富士望駅‥」
   トドクの声「富士望駅?」
   十与「…420円です」
   トドクの声「420円‥あったっけ‥」
      お財布を取り出すトドク。
   十与「ね、小銭あるといいでしょ?」
   トドクの声「そうだな‥ごめん‥」
   十与「‥いえ」
      販売機にお金を入れて切符を買ってい
      るトドク。
   十与「‥コーヒー飲んで温まったら帰って貰
    おう。うん‥そうしよう」
      決意を固める十与。

   ○電車・車内(夜)
      まばらに人が乗っている車内。
      横向きの長い椅子に座っている十与と
      トドク。携帯の画面を見ている十与。
      雨の中、雲がかった富士山のシルエッ
            -21-

      トが向かいの窓の外に見えている。富
      士山をじっと見つめているトドク。
   トドクの声「ニイ‥聞こえる?」
   ヒビクの声「…トドクか?今どこ?」
   トドクの声「今、電車の中‥」
   ヒビクの声「そっか‥まだシンの所には着い
    てないんだ?」
   トドクの声「うん‥それが、何か変な女がい
    て、そいつんちに泊めてもらえることにな
    ったんだ‥」
   ヒビクの声「え?変な女?どういうこと?」
   トドクの声「何か知んないけど、俺の声が聞
    こえてるんだ‥」
   ヒビクの声「声が聞こえるって‥まさか俺達
    の声が聞こえるってこと?」
   トドクの声「あ、今はニイにしか開いてない
    から聞こえてないみたいだけど」
      十与、携帯でラインを打っている。
   ヒビクの声「やめた方がいい、トドク。今か
    らでもシンの所に行って。外の人間には関
            -22-

    わらないって分かってるだろ?」
   トドクの声「大丈夫、用心してるから」
   ヒビクの声「どうしたんだよ、トドク」
   トドクの声「だって、シンのとこ行っても病
    院には行けないだろ?」
   ヒビクの声「‥病院に行けるのか?だけど、
    危険過ぎるよ」
      電車が止まり、ドアが開く。
   十与「あ、ここで降りるの。ごめん急いで」
      慌てて立ち上がる十与。
   トドクの声「ごめん、閉ざすね。ニイ、また
    ‥」
      立ち上がり、電車を降りるトドク。
    
   ○富士樹海の中(夜)
      森の茂みの中にある大きい岩。
      岩から少し離れた所に大きな段差があ
      り、木々が茂っている。
      その木々の向こうに隠れるように洞窟
      がある。
            -23-

   ○富士樹海の洞窟の中にあるケケレヤツ(夜)
      広い洞窟の真ん中に、薄っすら湯気が
      立っている小さな川が流れている。
      岩壁からはあちらこちらに湧水がしみ
      出しており、受け水に大きな桶がいく
      つも置かれている。
      川を挟んだ両側に木で作られた箱家の
      ような建物が何軒も奥へと長く続いて
      いる。
       
   ○同・ムクナ達の住む家・リビング(夜)
      東側と南側に丸太の壁のあるリビング。
      テーブルにランプが置かれている。北
      側にダイニングキッチン、西側に一部
      屋あり、居間の南側の壁際に藁に硬い
      毛布とシーツを敷いているだけの簡易
      的なベッド。
      ベッドに寝ているムクナ(22)の手
      を握っているヒビク(22)。
      ふと目を開けるムクナ。
            -24-

   ムクナの声「トドク、着いたかな?」
   ヒビクの声「ん?大丈夫‥心配ないよ」
   ムクナの声「そうだね‥トドクだもんな‥」
   ヒビクの声「‥まだ眠ってていいよ」
   ムクナの声「うん‥迷惑かけてごめん‥」
      辛そうに目を瞑るムクナを心配そうに
      見ているヒビク。
        
   ○コーポ富士望・外観(夜)
      坂の途中にある住宅地の中の三階建て
      アパート。三階の右角の部屋の灯りが
      点く。
        
   ○同・十与の部屋・リビングルーム(夜)
      部屋の入口にドアがあり、ドアの向こ
      うに玄関へ繋がる廊下、廊下の西側が
      キッチンという造りになっておりキッ
      チンカウンターがついている。リビン
      グの東側の壁に出窓がありベッドが置
      かれている。コタツとテレビ、本棚の
            -25-

      ある学生の住むワンルームアパート。
      真っ直ぐ仰向けに寝転んでコタツに入
      っているトドク、首から上と足がコタ
      ツから出ている。
      近くに立ち、不思議そうに眺めている
      十与。
   トドクの声「これがコタツかー‥あったけー
    ‥すげー‥足も温めよう」
      トドク足を温めようと、きをつけの姿
      勢のそのまま真っ直ぐ上にずれる。
   トドクの声「あー‥温まる‥」
      心地よさそうなトドク。
   十与「‥面白いからこのままにしておきたい
    けど‥座って入るんだよ。こうやって‥」
      十与、コタツに入って座る。
      トドク、起き上がり十与の真似をする。
   トドクの声「おー‥そう言えば見たことある」
      床に置かれたトドクのコート。
      十与立ち上がり、コートをハンガーに
      かけ壁際のホックに掛ける。
            -26-

   トドクの声「あ、ありがとう。俺ブラックで
    す」
   十与「すごい!何でコーヒー淹れるの分かっ
    たの?テレパシー読む力もあるの?」
   トドクの声「‥いや、今俺が飲みたかっただ
    けだけど」
   十与「‥私がテレパシーだったね」
      十与、コーヒーをテーブルに置く。
   トドクの声「ありがとう。いただきます」
      美味しそうにコーヒーを飲むトドク。
   トドクの声「コタツにコーヒーって最強だな
    ‥」
   十与「うん」
   トドクの声「‥でも何かこの姿勢から動けな
    くなるな」
   十与「うん」
   トドクの声「いかん、話を聞いて貰わないと
    」
   十与「‥さっきの話?」
   トドクの声「迷惑は絶対に掛けない。ただ病
            -27-

    院を受診して欲しいんだ」
   十与「病院?何か怖いよ‥」
   トドクの声「知り合いに寝込んでいる人がい
    て、病名が知りたくて‥それに出来れば薬
    が欲しいって思ってる」
   十与「‥何でその人が病院に行かないの?」
   トドクの声「その人は行けない‥だから代わ
    りに病院に行って俺が言うのと同じ症状を
    医者に言ってくれる人が必要なんだ」
   十与「だったら自分で受診したらいいのに。
    症状言ってくれれば、私が伝えるよ‥」
   トドクの声「俺も行けない。保険証が無い。
    っていうか戸籍がない」
   十与「え?!‥どういう事?」
   トドクの声「うん‥えっと‥」
   十与「あ、ごめん‥聞かない方がいいかな‥」
   トドクの声「いや‥手伝って貰うんだから事
    情話すべきなのかなって思ったけど、秘密
    抱えさせて悩ませると悪いしなとも思って
    ‥」
            -28-

   十与「‥ちょっと暗い話だったりするのか
    な?」
   トドクの声「いや、むしろいい話だと思う」
   十与「いい話なんだ‥じゃあ良かった。じゃ
    あそれでいいよ」
   トドクの声「本当に?」
   十与「うん」
   トドクの声「‥病院、明日行けるかな?」
   十与「明日午前中は、学校行かなきゃいけな
    いから、午後からなら行ける」
   トドクの声「学校ってどこ行ってるの?」
   十与「この近くの昭和大学」
   トドクの声「学校、いっぺん行ってみたかっ
    たんだ」
   十与「‥行ったことないの?」
   トドクの声「戸籍ないからね‥」
   十与「確か1限目の阿世先生の講義が一般公
    開だって言ってた。誰でも受講できるから、
    じゃあ行こうよ」
   トドクの声「いいのか?」
            -29-

   十与「そうだ、教科書見る?」
   トドクの声「教科書?いいのか?」
      十与、本棚から教科書を数冊取り出し、
      コタツの上に広げる。
   トドクの声「わー‥すげー‥本物だ‥」
      手に取り眺めるトドク、ふと教科書の
      裏に書かれた名前に気付く。
   トドクの声「ぜんぎょうち‥とよ?」
   十与「うん。善行地って読める人少ないんだ
    よ」
   トドクの声「十与って祖母ちゃん?」
   十与「‥私が十与です」
   トドクの声「は…ごめん‥」
   十与「いえ‥よく言われる‥そっちは?」
   トドクの声「俺‥トドク」
   十与「トドク?‥へえ、良い名前だね」
   トドクの声「何か申し訳ないな‥」
   十与「あはは。十与ってね、10個全てを相
    手にあげるって意味なんだって」
   トドクの声「へえ‥」
            -30-

   十与「9個じゃダメなんだって。10個全部
    じゃなきゃ辿り着けないんだって」
   トドクの声「どこに?」
   十与「わかんない‥」
   トドクの声「10個全部か‥不安じゃないか
    な‥」
   十与「うん、出来る気がしない‥」
   トドクの声「俺も‥でも良い名前だな」
   十与「うん、お祖母ちゃんがつけてくれたん
    だ」
   トドクの声「へえ‥」
   十与「半分当たってたね」
     頭を書くトドクに笑う十与。
      ×   ×   ×
      オセロをしている十与とトドク。
      黒を置く十与。白が優勢。
      トドクが白を置き黒が5枚白に変わる。
   十与「‥そろそろ止める?」
   トドクの声「途中で止めるルールなんだ?」
   十与「‥違うけど」
            -31-

       立ち上がる十与。
   トドクの声「あ、俺2杯目はミルク入りでお
    願いします」
   十与「すごい、やっぱりテレパシーだね‥で
    も何かトドク君って人懐っこいね」
      コーヒーカップを持ち、キッチンカウ
      ンターに向かう十与。
   トドクの声「え?俺すごい人見知りだけど」
   十与「嘘?今の所全くそんな感じしないけど
    ‥」
      コーヒーメーカーに水を入れている十
      与。
   トドクの声「そうかな?‥確かに‥変だな‥」
    十与「でも人の命が掛かってるんだもんね。
    そんなこと気にしてられないよね‥」
   トドクの声「ああ、そっか‥」
      コーヒーを淹れて十与が戻ってくると、
      ベッドの上で眠っているトドク。
   十与「え?寝てる‥」
      ×   ×   ×
            -32-

      高校の緑のジャージ姿に着替えた十与。
      ベッドの上で寝ているトドクに毛布を
      掛ける。
   十与「結局帰って貰えなかったな‥明日学校
    行くって言ったし仕方ないか‥今日一日の
    我慢我慢‥」
      仕方なくコタツに入る十与、目を瞑る。
      ×   ×   ×
      コタツでぐっすり眠っている十与。
      ベッドから上半身を起こし、出窓のカ
      ーテンを開けるトドク。
      雨が上がり月明かりが出ている。遠く
      にうっすらと見える富士山の影に目を
      凝らしているトドク。
   トドクの声「ニイ‥」
   ヒビクの声「‥トドク?今どこ?」
   トドクの声「ニイ‥大丈夫だから。明日病院
    に行って薬貰ったら戻ってくる」
   ヒビクの声「病院行けそうなのか?その女の
    人、いいって?」
            -33-

   トドクの声「うん」
   ヒビクの声「大丈夫なのか?その人お前の声
    が聞こえるんだろ?」
   トドクの声「そうみたい‥何でかずっと話せ
    てる‥」
   ヒビクの声「何か騙されてるんじゃないの
    か?」
   トドクの声「そんな風には見えないけど‥」
   ヒビクの声「でも外の人間だ‥」
   トドクの声「‥まあ、何か変な感じだったら
    逃げるから大丈夫」
   ヒビクの声「すぐやめた方がいいと思う」
   トドクの声「でも、こうでもしないと、今ム
    クナには俺達しかいないんだよ‥」
   ヒビクの声「うん‥ごめんな‥」
   トドクの声「いや‥ムクナ具合どう?」
   ヒビクの声「‥まだ時々出血するみたいで。
    今は眠ってるけど、具合は良くない‥」
   トドクの声「分かった。ニイも無理しないで
    ね‥じゃ明日。おやすみ」
            -34-

   ヒビクの声「気をつけて‥トドク‥」
   トドクの声「うん‥」
      カーテンを閉め、ため息をつくトドク、
      ふとコタツでぐっすり眠っている十与
      を見る。
   トドクの声「変な女だな‥」
      トドク、布団にもぐる。
      ×   ×   ×
      太陽の光がカーテンから漏れている。
      眩しそうに目を覚ますトドク。
   トドク「すげー‥朝の光だ‥」
      カーテンを開け窓の外を見るトドク。
        
   ○昭和大学・外観(朝)
      『昭和大学』と書かれた門。
        
   ○同・構内(朝)
      中庭を走っている十与とトドク。
      トドク、あちこち見回している。
   トドクの声「な、学食ってどこ?」
            -35-

   十与「講義間に合わないから、急いで!」
   トドクの声「分かった」
      十与を追い抜いて走るトドク。
   十与「そこ右ー!」
      右に曲がるトドク。
        
   ○同・大教室(朝)
      教室に入ってくる十与とトドク。
      大勢の生徒で賑わっている教室内。
      所々に外部の人らしき、年齢が高い感
      じの人や制服を着た高校生、スーツ姿
      の人等が座っている。
      十与、矢内仁美(19)を見つけ手を
      振る。
      仁美と並んで座る十与とトドク。
   仁美「おはよ、十与ちゃん‥誰?」
   十与「あ、あの‥従弟。えっと‥ここ受験す
    るらしくて見学に来たの」
   仁美「へえ、高校生なんだ」
   十与「そう、高校生」
            -36-

      十与の腕にパンチするトドク。
   十与「痛っ」
   トドクの声「3月で19だ。ふざけんな!」
   十与「そうなの?!」
   仁美「え?何?」
   十与「ううん。あ、先生来た」
      ドアから阿世(40)が入ってくる。
      講義が始まる。
      前の席から出席簿が回ってくる。順番
      に名前と学年を書き込む仁美と十与。
      十与、出席簿と鉛筆をトドクに渡す。
      鉛筆を持ったまま考えるトドク。
   十与「‥従弟なんだから私と同じ善行地でい
    いんじゃない?あと、外部の人は学年のと
    こに年齢を書くの」
      トドク『善行地トドク、18歳』と書
      く。
      十与、出席簿を受け取り後ろへ回す。
      黒板の前に立っている阿世。
   阿世「近年問題視されている地球温暖化、環
            -37-

    境破壊についてこれから講義していきます
    が、現時点でどういう考えを持っているか、
    どなたか発表出来る方手を挙げて貰えませ
    んか?」
      しんとなる教室内。
      トドク、十与の右肩の後ろから自分の
      手を上げる。
   阿世「じゃあ君」
      手を下げるトドク。
      キョトンとしている十与。
   阿世「後ろから五列目の青のセーター着た女
    子」
      十与後ろを振り返り、自分が後ろから
      五列目で青のセーターだということに
      気づく。
   十与「え‥」
   仁美「‥十与ちゃん?」
   十与「え?いえ、私手上げてません‥」
   阿世「遠慮しなくていい。環境問題について
    君が思ってること、何でもいいから言って
            -38-

    みなさい。立って」
      恐る恐る立ち上がる十与。
   十与「‥あの、えっと‥」
      注目され緊張する十与。
   トドクの声「前に本で読んだのですが‥続け
    て言って」
   十与「え?」
      驚いてトドクを見る十与。
   トドクの声「早く」
   十与「あ、あの‥前に本で読んだのですが‥」
      小声で話し始める十与。
   トドクの声「人工知能に地球が滅びないよう
    にするにはどうしたらいいかって質問する
    と、人類がいなくなればいいって答えを出
    すそうです」
      十与繰り返す。
   トドクの声「人類が生き延びることが本当に
    必要なことなのか、分からなくなく思いま
    す‥」
       十与繰り返す。
              -39-

   阿世「君は人類が滅びてもいいと思ってるん
    ですか?自分達のことですよ?怖いと思わ
    ないんですか?」
   トドクの声「滅びるのも死ぬのも怖いです。
    分からないけど怖くなかったら駄目なんだ
    と思います。滅びないように努力するよう
    に出来てる気がします」
      十与戸惑いながら繰り返す。
   阿世「それで?」 
   トドクの声「エネルギーの社会になって、人
    類は自分の余暇の時間が持てるようになっ
    たのに、何故か時間に追われてばかりいる」
      十与繰り返す。
   トドクの声「便利になるということは、それ
    と同等の物を失っていくことなのだともっ
    と言って欲しいと思います。メリットだけ
    ではなくデメリットも知った上で、それで
    も便利を選択するのか‥皆で選べるような
    そんな世の中になって欲しいと思います」
   阿世「‥具体的に言えますか?」 
            -40-

   十与「何かそれとは少し違うと思うけど‥環
    境を良くするために森林を伐採してソーラ
    ーパネルを設置されているのを見ると私は
    矛盾を感じます。二酸化炭素を削減する為
    に、原子力発電を推奨されるのも何か変で
    す。原子力こそ最大の環境破壊なんじゃな
    いのかなって‥」
      トドク、驚いて十与を見る。
   十与「何か分からないけど、何か変‥ってい
    うモヤモヤが本当はすごく大切なんじゃな
    いかなって、何か今そう思って‥」
   阿世「じゃあ実際どうやって二酸化炭素を減
    らすのですか?産業をスライドすると職を
    失う人だっています。理想だけならだれで
    も語れる」
   十与「それは‥」
      十与、口ごもる。
   阿世「具体的に対策もないのに、批判だけす
    るのは良くないです」
      ムッとするトドク。
            -41-

   トドクの声「産業はずっと変わり続けて来た。
    人類は動物を狩ることから始めて、ここま
    で来たんだ」
      十与、トドクを見る。
   トドクの声「言って」
      阿世、十与の隣に座っているトドクに
      気づく。
      十与、小さな声で繰り返す。
   十与「産業は変わり続けて来ました。人類は
    狩猟することから始めて、現在に至ってい
    ます」
   阿世「‥社会に出たこともないお前に何が分
    かる」
      教室内に緊張が走る。
   阿世「理想を追い求める奴ほど潰される」
   十与「でも、理想は希望です」
   阿世「俺は理想には希望を持たない。ひとく
    くりに語るのはやめろ。これ以上俺の授業
    を聴いていても仕方ないだろう。出て行き
    なさい」 
            -42-

   仁美「(心配そうに)十与ちゃん‥」
   十与「わかりました」
   トドクの声「‥出て行くのか?」
      頷く十与、ノートと筆箱をバッグに入
      れる。
   トドクの声「ごめん‥」
   十与「違うよ。外で待ってるから授業受けて
    きて」
      立ち上がる十与。
   トドクの声「いや、俺も出るよ」
   十与「ううん。二人出たら変だよ。ありがと
    う」
      荷物を持って教室を出ていく十与を見
      ているトドク。ざわつく教室。
   阿世「静かに。今から配る用紙に書かれた問
    題について、意見を書いて提出しなさい」
      教壇にいる阿世のところに名前の書か
      れた出席簿が戻ってくる。阿世、『善
      行地トドク』という名前に目を止める。
   阿世「トドク?‥18歳‥」
            -43-

      阿世、トドクの方を見る。
      視線に気付くトドク、阿世を睨む。
        
   ○同・図書室
      人がまばらにいる図書室。
      大きなテーブルの席に座って本を読ん
      でいるトドク。チャイムが鳴る。
      向かいの席に十与が荷物を置く。
   トドクの声「4時間目終わったの?」
   十与「終わった。何読んでるの?」
      十与、トドクの本を見る。
   トドクの声「地熱エネルギーの活用」
   十与「へえ‥難しそうだね」
      数人で歩いてくる学生、十与を見て噂
      する。
   学生「あ、さっきの‥」
      あからさまに避けられる十与。
   トドクの声「ごめん‥俺、悪いことしたな」
   十与「ううん。言いながら私も、あーそうだ
    なって思ったから、全然平気」
            -44-

   トドクの声「病院行ったら帰るよ。迷惑かけ
    て悪かったな‥」
   十与「‥でも勿体無いね。本当はトドク君み
    たいな人が学校行くべきなのに。私なんか
    ボンヤリと人間開発学なんて選んだけど、
    何がやりたいって訳じゃないもん」
   トドクの声「そうなの?」
   十与「うん、昔っから将来の夢とか書かされ
    るのすっごい苦手だった。何も見えなかっ
    たな‥今もだけど‥」
   トドクの声「そっか‥」
   十与「小学生の時、人の役に立つ仕事がした
    いって子がいて、意味が理解できなかった
    んだ。先生は褒めてたけど、私はどういう
    ことなんだろうって何かピンとこなくて‥
    典型的な無目的人間なんだよね‥」
   トドクの声「これから見つかんじゃない?」
   十与「もう19なのに‥大丈夫かな。ずっと
    このままだったらどうしよう」
   トドクの声「仕方ないよ‥見つけようとして
            -45-

    見つかるもんじゃないし、とりあえず目の
    前の事やってくしかないんじゃないかな‥
    そこにどんだけ真剣に向き合えたかなんじ
    ゃないの?」
   十与「そっか‥」
      本棚の近くに立ち、二人のやりとりを
      見ている阿世。
   十与「私も何か読んでみよう」
      立ち上がる十与。
   トドクの声「あ、そこの『薬学の知識』って
    本取って」
   十与「え?どれ?」
      十与、阿世に気付き会釈する。
   トドクの声「上から2段目の右の方」
   十与「上から2段目の右?あ、これ?」
   トドクの声「いや、その3冊隣」
   十与「3冊隣?ああ、これか」
      十与、本を取り出しトドクに渡す。
      二人に近づき声をかける阿世。
   阿世「今会話してたよな?」
            -46-

   十与「え?」
      阿世、トドクを見つめる。
   阿世「お前‥ケケレヤツの人間だろ?」
      驚くトドク。
   十与「ケケレヤツ?」
   阿世「やっぱり‥」
      席を立つトドクの腕を掴む阿世。
   阿世「待て!お前俺の研究室で働かないか?」
      トドク腕を振り払おうとするが、離さ
      ない阿世。
   阿世「あんな山の中にいて何になる。外には
    数えきれないくらいの世界がある。何にだ
    ってなれる」
      トドク、逆の腕で阿世の腕を掴み返す。
   阿世「‥今18だったらもうすぐ決める時が
    くるだろ?お前は残る人間じゃない。出て
    いく人間だ。見れば分かる」
      阿世を突き飛ばし走り出すトドク、十
      与へ振り向き
   トドクの声「行こう」
            -47-

      驚いて頷き、机の上の荷物を片付ける
      十与。
   阿世「お前は何であいつと話せるんだ?お前
    はどう見ても外の世界の人間だろう?」
   十与「‥外の世界って何ですか?」
   阿世「‥知らないのか」
      十与、戸惑いながら阿世に頭を下げ荷
      物を持って、トドクの後を追う。
   阿世「‥」
      トドクの後ろ姿を見ている阿世。
       
   ○大学脇の道路
      十与とトドク、大学沿いの脇の道路を
      歩いている。道路を挟んだ向かい側に
      公園が見える。
   十与「‥病院、行かなきゃだね」
   トドクの声「ああ‥そうだな」
   十与「病気ってどんな感じなの?」
   トドクの声「‥兄貴のとこにもうすぐ子供が
    生まれるんだけど、奥さんが出血して具合
            -48-

    が悪そうなんだ。今までは誰かのお産の時
    は、その奥さんの祖母ちゃんが看てくれて
    たんだけど3年前に亡くなって、俺らで何
    とかするしかないんだ‥」 
   十与「え?待って、無理だよ。私妊娠してな
    いし、何か母子手帳みたいなのも持ってな
    いし、病院行っても多分診察してもらえな
    いよ」
   トドクの声「‥妊娠してるかもしれないって
    ことにしても駄目そうかな?」
   十与「駄目だよ。だってよく知らないけど、
    お腹の中とかも見られるんじゃないかな‥」
   トドクの声「お腹の中?」
   十与「超音波?私もよく分からないけど、エ
    コー画像とか聞いたことある‥」
   トドクの声「ああ、俺も聞いたことある‥そ
    っか、じゃあ駄目か‥薬だけでも欲しかっ
    たな‥」
   十与「…あ、いい人がいる。母が助産師なの。
    市販の薬で良ければ、症状とか言えば何を
            -49-

    飲めばいいか教えてくれるかもしれない」
   トドクの声「いいのか?」
   十与「うん、夜勤だと今頃寝てる時間かもし
    れないから、ラインしておくね」
   トドクの声「助かるよ。ありがとう」
      十与とトドク、角を曲がり、向かい側
      の公園沿いの道路へと渡る。
      十与、公園の方を見るとブランコを漕
      いでいる男の子と、男の子の背中を優
      しく押している女の子の後ろ姿が見え
      る。
   十与「あ‥ちょっと公園の中通って行っても
    いい?」
   トドクの声「うん」
      入口から公園へと入る十与とトドク。
        
   ○昭和公園
      広くて見晴らしのいい公園。子供向け
      の砂場や滑り台等遊具が多くある。
      十与とトドクが公園内に入るとシル
            -50-

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