バ・リカルド(6)とシルバ・アイネ
    (11)が十与に気付く。
    リカルド「あ、お姉ちゃんだ!」
       ブランコを止めるアイネ。
       アイネとリカルドに近づく十与。
    十与「遊んでたの?」
       頷くアイネ。
    十与「お母さん具合どう?」
    アイネ「‥今日も寝てる」
    十与「そっか‥お父さんは?」
           -51-

       首を横に振るアイネ。
    十与「‥」
       十与、バッグの中からパンやおにぎり
       の入ったビニール袋を取り出しアイネ
       に渡す。
    十与「これ‥ウチのコンビニで余った物だけ
     ど‥賞味期限は切れてないから。まだ食べ
     れるから食べて」
       黙って見ているトドク。
    アイネ「‥ううん。お母さんに怒られるから」
           -51-

       首を振り拒否するアイネ。
    十与「今日だけだから‥お母さんには言わな
     いで。ね、お願い」
       十与、ビニール袋を無理矢理アイネの
       手に握らせる。
    アイネ「…」
    トドクの声「それ‥駄目だろ‥」
       十与、トドクの方を振り向く。
       ブランコから降りたリカルドがアイネ
       の腕を握り俯く。
           -52-

    十与「リカルド君‥あのね、お土産なの‥」
       じっと俯いたままのリカルド。
       腕で涙を拭うリカルド、しゃくり上げ
       始める。
       十与、慌ててリカルドの前にしゃがむ。
    十与「ごめん‥ごめんね‥」
       泣き顔で必死に笑うリカルド。
        
    ○団地・アイネの住むアパートの前(夕)
       団地の中の一つのアパート。
           -52-

       5階建てのアパートの4階の通路から
       手を振っているアイネとリカルド。
       下から手を振り返す十与とトドク。
       アイネとリカルド、ドアを開け家の中
       へ入っていく。
        
    ○住宅街の中の道路(夕)
       無言のまま歩く十与に並ぶトドク。
    トドクの声「知ってる子?」
    十与「‥うん。半年くらい前に会ったの。駅
           -53-

     から自転車で帰ってる途中で、二人で夜暗
     い中を歩いてるところに会って‥こんな暗
     いのに子供だけでどうしたんだろうって声
     を掛けたんだ」
        
    ○(回想)富士望駅前・大通り(夜)
       駅前の新しい街並み。二車線の道路を
       挟んだ両側に、二階建てや三階建ての
       建物が連なっている。建物の一階には
       と飲食店やコンビニ、ファーストフー
           -53-

       ド店等が点在している。
       車が行き交う車道を自転車に乗った十
       与が通っている。十与の乗った自転車
       が、歩道を歩いているアイネとリカル
       ドの横を通り過ぎる。
    十与「え‥」
       ブレーキをかけ自転車を止める十与、
       振り返るとアイネとリカルドが手を繋
       いで歩いて行く後ろ姿が見えている。
       十与自転車を降りて引き返し、アイネ
           -54-

       とリカルドの横に歩きながら声を掛け
       る。
    十与「‥どうしたの?二人だけ?どこか行く
     の?」
       声を掛けられ驚くアイネ。
    アイネ「‥」
       リカルドの手を引き、俯いて歩いてい
       く。
    十与「あ、急にごめんね。大丈夫ならいいん
     だ‥駅に行くの?」
           -54-

    リカルド「お母さんがもうすぐお仕事から帰
     って来るから駅に迎えに行ってるの」
    十与「そうなんだ、偉いね。お母さん電車で
     帰ってくるの?」
    リカルド「うん!」
    十与「じゃあ、私も駅に用事があるから一緒
     に行ってもいい?」
    リカルド「いいよ!」
       十与、自転車を押しながらアイネとリ
       カルドと並んで歩いて行く。
           -55-

        
    ○(回想)富士望駅・外観(夜)
       塗り替えられたばかりの新しい駅。
       線路を跨いだ陸橋の上が駅の入口にな
       っており、大きな階段が線路の両側に
       ある。駅の入口の前は広場のようにな
       っており、端っこにベンチがいくつか
       ある。
    十与の声:いつもはお父さんが先に帰ってき
     て三人で家でお母さんを待ってるんだけど
           -55-

     たまにお父さんが遠くのお仕事に行かれる
     らしくて‥そんな時リカルド君がお母さん
     に会いに行くって泣いちゃうんだって‥
    
    ○(回想)同・北口ロータリー(夜)
       北口側の階段を降りると大きなロータ
       リーがありタクシーが数台停まってい
       る。見晴らしのいい新しい街並み。
    十与の声:お母さんは家で待ってなさいって
     言うけど、リカルド君が勝手に出て行こう
           -56

     とするから仕方なくアイネちゃんがリカル
     ド君を連れて駅で待ってるらしくて‥
        
    ○(回想)同・北口前広場(夜)
       ベンチに座っているリカルドとアイネ
       。その前に立ち二人と話をしている十
       与。
    十与の声:それから二人を見掛けた時は駅で
     一緒にお母さんを待つようになったの‥
        
           -56-

    ○住宅街の中の道路(夕)
       並んで歩いて行く十与とトドク。
    十与「だけど、二か月くらい前からお父さん
     が帰ってこないらしくて‥それでお母さん
     が土日もアルバイトをして身体を壊された
     らしくて‥お仕事も今行けてないみたいで
     ‥」
    トドクの声「‥でも今日、お前があの子達に
     食べ物をあげてそれで解決すんの?」
    十与「‥お腹が空くって辛いことだよ。何も
           -57-

     出来なくなるくらい辛い」
    トドクの声「じゃあ、これを毎日続けるの
     か?」
       首を横に振る十与。
    十与「もうしない‥」
    トドクの声「他に何か出来ることないの?‥
     どこか相談するとか何かないのかな?」
    十与「‥役場とかに行けばいいのかもしれな
     いとは思ってる」
    トドクの声「じゃあ、それが先だろ」
           -57-

    十与「でも役場が本当に助けてくれるのか
     な?手続きとか書類とか期限とか、そんな
     こと言われて待たされて‥いつ助けてくれ
     るのかも分からなくて。今お腹が空いてる
     のに。今苦しいんだよ」
    トドクの声「‥苦しいのはお前だろ。自分が
     楽になりたいんだろ?」
    十与「…だとしたら駄目なの?」
    トドクの声「俺は駄目だと思う。あの子達を
     傷つけてる」
           -58-

    十与「…うん」
       黙って歩く十与とトドク。
        
    ○コーポ富士見・十与の部屋・リビング(夕
     方遅く)
       玄関の鍵を開ける音。
       開いた出窓から遠くの富士山を眺めて
       いるトドク。
       買い物袋を持った十与が姿を現す。
    十与「お薬あったよ」
           -58-

    トドクの声「ありがとう。助かったよ」
    十与「あ、遠いけど富士山見えるでしょ?そ
     こが気に入ってここにしたんだ」
    トドクの声「へえ‥」
       窓を閉めるトドク。
    十与「ねえ、最後にオセロやらない?」
    トドクの声「いいよ」
       オセロを準備しているトドク。
       十与、キッチンカウンターでコーヒー
       メーカーをセットしている。
           -59-

    トドクの声「‥あいつさ‥ケケレヤツって言
     ってただろ?」
    十与「ああ‥うん‥」
    トドクの声「俺が住んでる所なんだ‥」
       ふと手を止める十与。
    十与「‥大丈夫?話さなくてもいいんだよ‥」
    トドクの声「うん‥俺も話さない方がいいっ
     て思ってたんだけど‥でも何か今は話した
     方がいいって言うか、分からないけどそん
     な気がしてきてて‥」
           -59-

       トドク、オセロの駒を両側にセットす
       る。
    十与「‥本当に大丈夫?」
    トドクの声「うん‥」
       コーヒーがコポコポと音を立て、ビー 
       カーに落ちていく。
    トドクの声「俺達一族はずっとケケレヤツっ
     てところで暮らしてるんだ」
       コーヒーをカップに注いでいる十与。
    十与「‥一族?」
           -60-

       トドク、駒を真ん中に四枚置く。
    トドクの声「信じられないかもしれないけど
     ‥ずっとずっと大昔、人間には伝心といっ
     てテレパシーでコミュニケーションをとる
     能力があったんだ。だけど人は話すことを
     選んで、その代わりに伝心という能力は消
     えていってしまった‥」
       十与、コーヒーをコタツの上に置き座
       る。
    トドクの声「だけど、俺達一族の先祖は話す
           -60-

     ことを選ばす、伝心を守り続けたんだ」
    十与「‥じゃあ、その一族では皆テレパシー
     話すの?」
       最初に黒を置き、白を一枚裏返す十与。
    トドクの声「うん‥」
      (フラッシュ)富士山の樹海の中を荷物 
       を背負って歩いて行く長い行列。
    トドクの声「ケケレヤツは富士山の樹海の中
     にあって千年前に樹海に辿り着いたらしい。
     それまでは日本中を転々としてたんだって
           -61-

     ‥」
    十与「‥富士の樹海って解明されてない所も
     あるって聞いたことあるけど、でも千年も
     ずっと発見されずにいられるの?」
      (フラッシュ)木の幹に触れ祈っている
       人。洞窟の中に木材を運んで行く人。
    トドクの声「樹海の森の中にずっと住んでた
     んだけど今から百年くらい前、日本で飛行
     機の開発が始まった頃に更に洞窟へと移り
     住んだんだ」
           -61-

      (フラッシュ)樹海の上から見た風景。
    トドクの声「ケケレヤツにはなぜか特有の磁
     場があって上空からでも地形が分かりづら
     いんだ‥それに洞窟内には温水が流れてて、
     一年を通して一定の温度が保たれてる」
      (フラッシュ)洞窟の中に湯気の立つ小
       さな川が流れている。
    トドクの声「あの一帯の中でなぜかケケレヤ
     ツの洞窟だけ地熱の影響を受けていて、そ
     れは説明がつかないくらい不思議なことな
           -62-

     んだと思う。一族が移り住んでから段々と
     自然にそう変わっていったって伝え聞いて
     る‥」
    十与「すごい‥」
    トドクの声「うん‥何か不思議な出来事が幾
     つも重なってるような気がしてる‥」
    十与「何で伝心を守ろうって思ったんだろう
     ‥」
    トドクの声「説明するの難しいんだけど、俺
     達は相手の意思を感じ取れるんだ。何も聞
           -62-

     かなくても分かり合えてしまう。喜びも悲
     しみも寂しさも、寄り添えてしまえる。あ
     んなに優しい繋がりは外では持てないと思
     う‥」
    十与「へえ‥何か羨ましい‥行ってみたいな
     ‥誰かそこに行けた人とかいないのかな?」
    トドクの声「‥俺達一族には植物とか天気と
     か、周りの自然と繋がれる能力があって、
     だから外の人間がケケレヤツに入って来よ
     うとしても、木々が立ちはだかったり、暴
           -63-

     風や霧が立ち込めたりして守ってくれるん
     だよ。外の人間は絶対に辿り着けない」
    十与「そうなんだ‥本当にすごいね‥」
    トドクの声「俺の話信じれるの?」
    十与「うん‥だって実際声が聞こえてるし‥」
    トドクの声「そっか‥」
    十与「信じるよ。初めて会った時から何か少
     し不思議な、説明出来ない物があって‥だ
     から怖かったの。ごめん‥」
    トドクの声「いや‥ありがと‥」
           -63-

    十与「‥だけど、阿世先生は何でケケレヤツ
     って言葉を知ってたんだろう?」
       白を置き黒を裏返すトドク。
    トドクの声「ケケレヤツでは二十歳になると
     そこに残って伝心を受け継いでいくのか、
     外の世界に出るのか選ぶことになってる」
      (フラッシュ)洞窟の中を歩いて行く若
       い頃の阿世。
    トドクの声「あいつはもしかしたらケケレヤ
     ツから出たやつなのかもしれない‥」
           -64-

    十与「でも喋ってたよ?」
    トドクの声「伝心の力は外の世界に長くいる
     と消えていくんだ」
    十与「そうなんだ‥」
       明らかに白が優勢なオセロ板。
    十与「ねえ、ここから白と黒反対にするって
     どうかな?」
    トドクの声「やだ」
    十与「ここから挽回できたらすごくない?」
    トドクの声「仕方ないな」
           -64-

       黒を打つトドク。
    十与「え?いいの?」
    トドクの声「次早く打って」
    十与「うん」
       嬉しそうに白を打つ十与、黒を打つト
       ドク。
    十与「…何で?」
       黒ばかりになったオセロ板。
    トドクの声「こっちが聞きたいよ。どうやっ
     たらあそこから負けれるんだ」
           -65-

    十与「不思議だね‥」
       納得いかない十与、立ち上がるトドク。
    トドクの声「‥そろそろ帰るよ」
    十与「あと1回。次は勝てる気がする」
    トドクの声「いや、負けるの難しいって分か
     ったから‥えっと薬どこだっけ?」
    十与「う‥お薬ね、待ってて‥」
       十与、立ち上がり本棚の上にある薬の
       袋を取る。
    トドクの声「‥それ貰っても大丈夫かな?」
           -65-

       トドク、オセロのコマを一個手に取る。
       薬を持って振り返る十与。
    十与「勿論。えっとね‥こっちが鉄剤でこっ
     ちが葉酸だって。あととにかく生まれるま
     では絶対安静で動いちゃダメなんだって。
     大丈夫かな‥」
    トドクの声「頑張ってみるよ。ありがとう」
    十与「ううん、本当は病院行った方がいいん
     だろうけど‥役に立てなくてごめんね‥」
    トドクの声「いや‥お世話になりました」
           -66-

       ぺこりと頭を下げるトドク。
    十与「いえ‥」
       頭を下げ返す十与。
        
    ○富士望駅・改札前(夜)
       帰宅時間で大勢の人が行き交っている
       改札口。
       十与の前を歩いているトドク、振り返
       り立ち止まる。
    トドクの声「じゃあ‥何かやりたいこと見つ
           -66-

     かるといいな」
    十与「ああ‥うん」
    トドクの声「あと、あの公園の女の子達、ほ
     んとどこかに相談した方がいいと思う」
    十与「うん‥」
    トドクの声「それと俺‥本当は紙漉に知って
     る人がいて、そこに行くつもりだったんだ
     ‥」
    十与「そうなの?」
    トドクの声「でもどうしても病院に行きたく
           -67-

     て‥ごめん‥」
    十与「そっか‥でも確かに心配だもんね‥少
     しでも役に立てたのなら良かった」
    トドクの声「それから‥」
    十与「‥何?」
    トドクの声「お互い頑張ろうな」
    十与「‥うん」
    トドクの声「じゃあな」
       少し頷く十与、改札の中に入っていく
       トドクを見ているが人波に紛れていく。
           -67-

       寂しそうにため息をつき踵を返す十与。
        
    ○富士樹海の森・外へと繋がっている洞窟
    (夜)
       懐中電灯を持って、洞窟の中を歩いて
       いくトドク。(F・I)
        
    ○(回想)富士樹海の中
       タイトル『約4年前』
       樹海の中にある大きな岩。
           -68-

        
    ○(回想)富士樹海の洞窟の中にあるケケレ
     ヤツ・トドク達の住む家・トドクの部屋
       丸太の壁に囲まれた部屋。木の色で明
       るいが窓はなく、北側にシンプルな木
       製の机と椅子がある他、本棚には本が
       二百冊程並んでいる。子供向けの絵本
       や教育本から小説や広辞苑、工業・生
       物・地学・天体等多岐のジャンルにわ
       たっている。
           -68-

       西側の壁際には木枠に藁のベッド。藁
       の上に固い毛布とシーツが敷かれてい
       る。
       机で和弓の本を読んでいるトドク(1
       6)。ノックの音。
    ヒビクの声「トドク、入るよ」
       トドク、ドアの方を振り返るとヒビク
       (19)が部屋へ入ってくる。
    トドクの声「ニイ丁度良かった。シンから頼
     まれた祭事用の和弓だけど梓の木で作って
           -69-

     みようと思うんだ。この写真見て。どうか
     な?」
       和弓の説明の本を覗くヒビク。
    ヒビクの声「ああ、梓なら森にあるし弾力が
     あって弓にいいかもな」
    トドクの声「うん。昔も神事用に使われてた
     らしくて、この辺りの梓なら気も宿ってて
     ピッタリだと思うんだ」
    トドクの声「次にシンのとこに行く時までに
     サンプル出来るかな?」
           -69-

    トドクの声「うん、やってみるよ」
    ヒビクの声「ありがとう‥トドク今忙しい?
     炭、作りたいんだ。注文が多いらしくて、
     今度来る時は少し量増やして欲しいってシ
     ンに頼まれたんだよ」
    トドクの声「そうなんだ。木材もそろそろ乾
     いてる頃だし作ろうか。窯も少し大きめに
     作ってみるよ。でも何か嬉しいね」
       立ち上がるトドク。
        
           -70-

    ○(回想)富士樹海の森・大きな岩から少し
     離れた所にある空き地
       ヒビク、籠を背負って木材を運んでく
       る。
       土を四角く掘り、周りと底にレンガを
       敷き詰めて炭焼き窯を作っていくトド
       ク。
       ヒビク、レンガの窯の中に木材を縦に
       並べていき、焚口部分に杉の葉を詰め
       る。
           -70-

       トドク、天井部にアーチ型に木枠を作
       りその上に大きめの石を組んでいく。
       ヒビク、煙突用の竹の筒を立て、天井
       部の石の上に更に土を被せる。
       弓きり式で火起こしをするトドク。
       ヒビク、小さな木の枝を集め倒木の上
       に腰掛ける。
    ヒビクの声「マッチもライターもあるのに‥」
    トドクの声「こうやって点けるのが好きなん  
     だ‥それに何となくだけどこうやって点け
           -71-

     た方が良い炭が出来る気がする‥」
    ヒビクの声「そっか。確かにトドクの炭は少
     し違うもんな」
    トドクの声「ジイが出来る限り自然に寄り添
     えって言ってたんだ」
    ヒビクの声「トドクはジイに似てるな。ジイ
     も器用で何でも上手かったよな‥」
    トドクの声「うん‥色んなこと教えて貰った」
       火きり板から煙が出始める。トドク、
       火種にそっと息を吹きかける。
           -71-

       ヒビク、細い枝をトドクに渡す。
       トドク、ヒビクに貰った細い枝で火種
       をそっと包み、手元で火種を絶やさぬ
       よう息を吹く。
    ヒビクの声「もうする俺がここを出て行って
     も大丈夫なのかな‥」
       トドク、強くなった火種を窯の中へ入
       れ、木の棒で更に奥の方へ押し込む。
    トドクの声「大丈夫だよ。ごめん‥心配させ
     てる?」
           -72-

    ヒビクの声「信頼してるんだけど、それでも
     心配は消えなくて‥怖い」
       トドク、焚口から中を見ると窯の中に
       炎があがり始めているのが見える。
    トドクの声「‥怖いってどういう事?」
    ヒビクの声「‥ここのことも、出て行くこと
     も何か漠然と怖い‥」
    トドクの声「でもニイ、子供の頃からあんな
     にずっと準備してきてたじゃん。俺、ニイ
     は少しも怖くないんだと思ってた」
           -72-

       トドク、焚口から団扇で風を送る。
    ヒビクの声「うん‥ここまで少しも迷わなか
     ったんだけど、ここにきて何でか怖いと思
     うようになったんだ‥」
       竹筒から煙が上がり始める。
       二人で空気口を作りながら焚口をレン
       ガや粘土で固めていく。
    トドクの声「ニイなら大丈夫だよ。外からケ
     ケレヤツを守ってくれる。ニイ程、最適な
     人はいないよ。昔からそうだった。ニイは
           -73-

     そんな力がある人だ」
    ヒビクの声「‥でも俺が出ていくことがトド
     クにここに残ることを強いてしまわないか
     って、少し気になってもいて‥」
    トドクの声「俺はここが好きだしここでしか
     生きていけない。俺はニイと違って知らな
     い世界の中に入っていこうなんて思わない
     ‥俺は外には向いてないよ」
       焚口の空気口から中の炎を確認するト
       ドク。
           -73-

    トドクの声「ここに残ってやりたいこともあ
     るし、俺のことなら心配しないでいいから
     ね」
       トドク、ヒビクの手を取り自分の胸に
       当てる。目を閉じるヒビク。
    トドクの声「‥分かった?」
       目を開けるヒビク。
    ヒビクの声「うん‥分かった‥」
       トドク安心したようにヒビクの手を離
       し、二人並んで倒木に座り煙を眺める。
           -74-

    トドクの声「‥先にムクナが出発するんだも
     んね。5カ月間は二人離れ離れか‥」
    ヒビクの声「うん‥シンがムクナと久しぶり
     に兄妹一緒に住めるって喜んでる」
    トドクの声「そっか」
    ヒビクの声「でも俺、ムクナとそんなに長く
     離れるのって初めてで‥ここにいて会えな
     い5ヶ月とは全然違うんだなって思って‥ 
     5カ月後、もうムクナはテレパシーが使え
     なくなってるかもしれないし‥外の世界で
           -74-

     全く違った環境で、しかもテレパシーが出
     来なくなって、今まで通りでいられるのか
     とか‥テレパシーが使えなくなって喋れる
     ようになれるっていう保証だって無いし、
     不安だらけだよ。色んなこと考える‥」
    トドクの声「そっか‥考えてみればそうだな
     ‥ごめん。俺全然分かってなかった‥」
       竹筒から立ち上がる煙が森を抜け、そ
       の上空まで届いている。
       煙を隠すように霧が立ち込め始める。
           -75-

    ヒビクの声「俺‥トドクと、こうして通じ合
     えなくなるって思うこともすごく怖いんだ。
     今、森は味方になってくれるけど、ここを
     出たら俺は森に敵だって思われるのかなっ
     て思うとすごく寂しくて‥考えれば考える
     程、もう出るのやめようかって思ってしま
     う‥」
    トドクの声「だけどニイ‥ムクナの誕生日ま
     でそんなにないよ‥大丈夫?」
    ヒビクの声「うん、分かってる‥子供の頃か
           -75-

     ら勉強も準備もしてきて、シンも待ってて
     くれてムクナも行くって言ってくれて‥分
     かってるんだ」
    トドクの声「‥俺ずっとすごいな、人はこん
     なにも努力出来るんだなって思ってニイの
     こと見てた‥少し羨ましかった‥」
       ヒビク、棒を持ったトドクの腕を不意
       に掴む。驚くトドク。
    ヒビクの声「‥トドク、一緒に来ない?」
    トドクの声「‥俺が?」
           -76-

    ヒビクの声「うん‥」
    トドクの声「‥ごめん、考えたことなかった
     ‥」
    ヒビクの声「勝手なこと言ってごめん‥トド
     クにはトドクの夢があるんだもんな‥」
    トドクの声「夢って程じゃないけど、俺もケ
     ケレヤツの為に少しでも何か出来たらいい
     なって思ってる‥ここに残って、ジイ達か
     ら学んだ昔からの技術を継承していって、
     新しい技術も作りたい」
           -76-

       立ち上がるヒビク。
    ヒビクの声「分かった‥ごめん、何か急に不
     安が大きくなってさ‥このまま外に出たら
     後悔しそうに思って‥言えて良かった。少
     し不安が減ったよ。ありがとう‥」
       ヒビク、トドクの手を取り自分の胸に
       当てる。
       心配そうにヒビクを見るトドク。
        
    ○(回想)富士樹海の洞窟の中にあるケケレ
           -77-

     ヤツ・ムクナ達の住む家・居間
       ベッドにバア(70)が寝ている。
       ベッドの横で心配そうにしているムク
       ナ(19)。オウガ(50)がバアの
       手をそっと布団の中に入れる。
    オウガの声「ムクナ‥バアはもう分かってる。
     お前はまだ残された先も生きていかないと
     いけないんだ。だから悔いが残らないよう
     にしろ。今出て行く機会を逃すな」
       ムクナ、オウガに頷く。ムクナの頭を
           -77-

       クシャっと撫でるオウガ。
       ムクナ、寝ているバアの布団の上に顔
       を埋める。玄関の鈴の音が鳴り、ゆっ
       くり立ち上がるムクナ。
       ×   ×   ×
       寝ているバアの手を取るヒビク。
       バアが目を開ける。
    バアの声「ヒビク‥ムクナは?」
    ヒビクの声「熱下げの枝を摘みに行くって‥
     俺が行くって言ったんだけど、何か森に行
           -78-

     きたかったみたい‥」
    バアの声「ケケレヤツにいられるのもあと少
     しだからね‥」
    ヒビクの声「そっか‥」
    バアの声「‥ムクナは私を一人残していくの
     が心配みたいだけど、もう私もいなくなれ
     るから、ムクナの心残りが薄れて本当に良
     かった‥」
    ヒビクの声「駄目だよ。バアにはまだここで
     やって貰わなきゃいけないことがいっぱい
           -78-

     あるんだから。それにトドクがここに引っ
     越してくるって張り切ってるんだからね」
       バア、ヒビクの手に自分のもう片方の
       手を重ねる。
    バアの声「ヒビク‥もしもムクナが行くのを
     止めるって言い出しても、絶対に認めない
     でね。お願いね」
    ヒビクの声「バア‥俺分からなくなってる‥
     ムクナはバアの傍にいたいはずなのに、俺
     が二人を引き離してるみたいで‥」
           -79-

    バアの声「ちがうよ。ムクナが一緒に生きて
     いく人は私じゃない。ヒビクは間違ってな
     いよ。だからもしムクナが今の私を見て、
     ちょっとでも迷うようなことがあってもヒ
     ビクは絶対にぶれないであげて欲しい‥」
    ヒビクの声「バア‥難しいよ‥」
    バアの声「大丈夫。大丈夫よ」
       バア、ヒビクの手を優しく包む。
        
    ○(回想)富士樹海の森・大きな岩から少し
           -79-

     離れた空き地
       灰を掛けて冷やしていた白炭を手でそ
       っと掘り起こしているトドク。指で炭
       を弾き音を確認していると、人が歩い
       てくる音が聞こえ、振り向くとムクナ
       が歩いている。
       トドク、ムクナの方へ木の枝を投げる
       と、ムクナが気付いて近づいて来る。
    トドクの声「どこ行くの?」
    ムクナの声「バアの熱が下がらないから熱下
           -80-

     げの枝を摘みに行こうと思ってさ‥」
    トドクの声「熱?俺採ってくるから、ムクナ、
     バアのとこに行ってあげなよ」
    ムクナの声「ありがとう‥でもちょっとこの
     辺歩きたいんだ‥」
       出来上がった白炭を布袋に入れていく
       トドク。
    トドクの声「そっか‥そうだな‥じゃあ、一
     人じゃ危ないから俺も一緒に行くよ。ちょ
     っと待ってて」
           -80-

        布袋を抱えて運ぶトドク。
        
    ○(回想)富士樹海の森
       森の中を歩いているトドクとムクナ。
    トドクの声「あと一週間だね‥」
    ムクナの声「そうだな‥」
    トドクの声「ニイ少し不安がってたよ。5か
     月後大丈夫かなって‥テレパシーが使えな
     くなって変わるのが怖いって言ってた‥」
    ムクナの声「大丈夫だよ。テレパシーが使え
           -81-

     なくなったって気持ちが変わる訳じゃない。
     ヒビクがいるんならどんなでも頑張れるよ。
     怖くても全然平気さ」
    トドクの声「そうだな‥ヒビクとムクナなら
     ここを守ってくれるって思ってる」
       ムクナとトドク、ナナカマドの木の前
       に立つ。
    ムクナの声「あのさ‥もしも私が残るって言
     ったらヒビクはどうすると思う?」
       ナナカマドの枝を摘み始めるトドクと
           -81-

       ムクナ。ムクナは枝切バサミを使い、
       トドクは素手で摘んでいく。
    トドクの声「‥ムクナ残りたいの?」
    ムクナの声「いや、全然‥ただもしそう言っ
     たらヒビクはどうすると思うか、トドクに
     聞いてみたいと思ってさ‥」
       ムクナ、腕に下げた籠に摘んだ枝を入
       れていく。
    トドクの声「‥もしムクナが行かないんだっ
     たら、ニイも行かないんじゃないかな‥」
           -82-

    ムクナの声「でもずっとヒビクの夢だったん
     だ。小さい頃から自分は出ていくんだって
     ずっと言ってただろ?私が行かなくてもヒ
     ビクは行くんじゃないかな‥」
       トドク、摘んだ枝の束をムクナの籠に
       入れる。
    トドクの声「確かにニイの夢だったけど、で
     もムクナが一緒にいることが大前提で、ム
     クナがいないとその夢は成立しないような
     気がする」
           -82-

    ムクナの声「そうなのかな‥」
       ふとムクナの腕を掴むトドク。
    トドクの声「‥もしかしてバア、良くない
     の?」
    ムクナの声「‥もうかなり悪い。今生きてい
     るのが不思議なくらいだってオウガに言わ
     れた‥」
    トドクの声「嘘?!」
    ムクナの声「ごめん‥トドクに言ったらきっ
     とバアに付きっきりでいてくれそうに思っ
           -83-

     たから、ヒビクに黙っててって言ったんだ」
    トドクの声「そんな‥‥だってこないだまで
     あんなに元気だったのに‥」
    ムクナの声「うん‥」
    トドクの声「‥ムクナ、こんな時に外に出る
     のか‥きついな‥」
    ムクナの声「少しな‥」
    トドクの声「ムクナの代わりに俺がいるから。
     バアの傍からずっと離れないよ。俺にとっ
     てもバアは肉親と同じだから‥」
           -83-

    ムクナの声「ありがとな‥」
       枝を摘み続けるムクナを心配そうに眺
       めるトドク。
        
    ○(回想)富士樹海の森の洞窟の中にあるケ
     ケレヤツ・ムクナの家・キッチン
       枝をすり潰しているムクナ、粉末をお
       粥にいれ、煮詰めている。
        
    ○(回想)同・居間
           -84-

       ベッドに寝ているバア、酷く咳込んで
       いる。意識が混濁しているバア。
       寝ているバアの背中を擦っているヒビ
       ク。その横で心配そうなトドク、キッ
       チンに立っているムクナに声を掛ける。
    トドクの声「ムクナ、そろそろ出発しないと
     間に合わなくなるよ‥」
       振り返り頷くムクナ、バアの傍にしゃ
       がみバアの手を握って祈るように胸の
       前で手を組む。
           -84-

       頷くムクナ、立ち上がりバアの手を握
       る。意識のハッキリしていないバア。
    ムクナの声「バア、行くよ‥本当にありがと
     う‥バア‥」
          ムクナを見ているヒビク。【F・I】
        
    ○(回想中回想)同・ミヤコの家・寝室(夜)
       ベッドに寝ているミヤコ(24)。赤
       ん坊を取り上げようとしている昔のバ
       ア(60)。
           -85-

       お湯の入った桶を持って来るムクナ
       (9)。
       ×   ×   × 
       朝。生まれたばかりの赤ん坊を抱いて
       いるミヤコとその横で嬉しそうに笑う
       ミヤギ(3)。
       タオルを片付けながら、ふとミヤコと
       ミヤギの姿をぼんやりと眺めるムクナ。
        
    ○(回想中回想)同・ムクナの家・キッチン
           -85-

     (朝)
       ご飯の支度をしているバアとムクナ。
       お米を研いでいるバア。
       釜戸に火をくべようと火打石を打って
       いるムクナ。点いた火を素早く綿でく
       るみ、息を吹きかけ釜戸に入れる。火
       を強くするために炭を入れるムクナ。
       団扇で風を送り炎を確認すると、バア
       の横に立つ。
       ムクナ、バアの横でジャガイモの皮む
           -86-

       きを始める。
    バアの声「‥カアのこと思い出させてしまっ
     たね」
       驚いてバアを見るムクナ。
    ムクナの声「ちがうよ‥何か不思議だったん
     だ‥私はバアのお腹の中から生まれたよう
     に思ってる。カアがいなくて寂しいって思
     ったこと無いんだよ‥変かな?」
    バアの声「‥バアがカアのこと話さなかった
     からなのかもね‥これからはちゃんと話そ
           -86-

     うかね」
    ムクナの声「いいよ。話すってことは思い出
     すってことだろ?バアが悲しい思いをする
     のを感じる方が私には辛い‥カアは掟を破
     って外の世界に行ったんだ‥それだけ分か
     ってれば十分だから」
    バアの声「結果だけみればそうだけど‥それ
     だけじゃなくて‥」
    ムクナの声「分かったよ‥それだけじゃない
     ってことで納得出来るから」
           -87-

    バアの声「ムクナが気遣ってくれるのは有難
     いけど、カアのこと伝えておいた方がいい
     んじゃないかって、それも辛くて‥だから
     ‥」
    ムクナの声「‥私はカアのこと全然想像がつ
     かなくて、話聞いても多分ピンとこないと
     思う。それよりバアが産んでくれたって思
     う方が何かしっくりくるんだ‥」
    バアの声「話さない方がいいってこと?」
    ムクナの声「いつか、聞きたいと思ったらそ
           -87-

     う言う」
    バアの声「分かった‥」
    ムクナの声「カアのこと怒ってる訳じゃない
     んだよ。カアの人生なんだからそれでいい
     と思ってる」
    バアの声「‥そう」
    ムクナの声「うん。私にはバアがいてくれる。
     それがすごく嬉しい。バアが大好きなんだ」
       ジャガイモを剥きながら噛み締めるよ
       うに呟くムクナ。【F・O】
           -88-

        
    ○(回想)富士樹海の中・地下の洞窟(夜)
       洞窟の中を手を繋ぎ歩いているムクナ
       とヒビク。大きなリュックを背負った
       ムクナ。ヒビクはもう片手に松明を持
       ち、ムクナは懐中電灯を持っている。
    ムクナの声「‥ヒビクの誕生日まで5カ月間
     離れ離れになるけど、毎日ヒビクを思って
     る。いつかテレパシーが使えなくなっても 
     私は変わらない‥」
           -88-

    ヒビクの声「うん‥」
    ムクナの声「‥もしも向こうで何かの手違い
     で会えなかったりしたら‥その時は花舞駅
     でいつも待ってる。あのバスから降りた駅
     分かるだろ?」
    ヒビクの声「うん、分かるよ‥」
    ムクナの声「絶対見つけ出すから、大丈夫だ
     からな‥」
    ヒビクの声「ムクナ‥」
       立ち止まるヒビク。
           -89-

    ヒビクの声「やっぱり戻ろう。このまま行っ
     たらこの先ずっと後悔し続けるよ。きっと
     想像以上に辛いと思う」
    ムクナの声「‥いや、今行かないと出れなく
     なってしまう。私まで掟を破ることは出来
     ない」
    ヒビクの声「掟はケケレヤツを守る為にある
     けど、それはそこに住む人達の為の掟で、
     住む人が幸せじゃなくなるのならそんな掟
     には意味がない。掟を破った人を絶対に責
           -89-

     めないのも掟だろ‥」
    ムクナの声「皆私にカアは悪くないんだから
     気にするなって言ってくれたけど、気にせ
     ずにはいられなかったよ。皆の優しさがそ
     のまま皆の傷の深さに思えた‥」
    ヒビクの声「‥掟は破らなくていい」
    ムクナの声「‥何言ってるんだ?」
       怒ったようにヒビクを睨むムクナ。
    ヒビクの声「もし今戻ってもバアの意識は戻
     らないかもしれないけど、でもバアとムク
           -90-

     ナの最期の時は、この先の何十年より重い
     気がする‥」
    ムクナの声「そんなことない‥」
    ヒビクの声「ムクナは今そのことに背を向け
     て出て行こうとしてる。でもきっといつか
     嫌でも向き合う時が来る。後悔で心が覆わ
     れる時が来る」
    ムクナの声「背を向けなきゃいけない時だっ
     てあるんだ。後悔にだって耐えれるよ‥だ
     って未来だってやっぱり大切だ。ずっと二
           -90-

     人で思い描いてきた未来だろ?」
    ヒビクの声「もし、このままムクナがここを
     出たとしたら‥俺が来るまでの五カ月間、
     ムクナ一人なんだって思うと、何か怖いん
     だ‥こんな状況で出て行ってたった一人で
     本当に耐えられると思う?」
    ムクナの声「‥外にはシンニイがいる」
    ヒビクの声「シンがここを出てもう7年だよ
     ‥シンにはシンの日常がある」
    ムクナの声「分かってる」
           -91-

    ヒビクの声「‥シンはバアのこと悲しむだろ
     うけどムクナと同じ濃度では悲しめないよ
     ‥それは仕方のないことだけど、それはム
     クナの悲しみを更に深くする気がするんだ
     ‥」
    ムクナの声「大丈夫だ。出来る。私を信じろ。
     頼むからもう言わないでくれ‥」
       前を歩き始めるムクナ。ヒビク、後に
       続く。
    ヒビクの声「ムクナ‥俺の夢のこと抜きで、
           -91-

     自分のことだけ考えてみて‥」
    ムクナの声「自分のことを考えて決めたんだ」
    ヒビクの声「ムクナ、俺は今、残りたいと思
     ってる」
    ムクナの声「‥誰も自分のことだけなんて考
     えられないんだ。ヒビクがそうじゃないか」
       怒ったように急ぎ歩きになるムクナ。
       暫く行くと洞窟の中に岩の柱がある。
       立ち止まるムクナとヒビク。
    ヒビクの声「ここから先は俺は行けないから
           -92-

     ‥何か色々言ってごめん。ムクナがこれか
     ら頑張ろうとしてる時に‥」
    ムクナの声「いや‥ヒビクの気持ちは嬉しい
     んだ。ありがとう‥」
    ヒビクの声「俺も行くから‥それまで頑張っ
     て‥毎日祈ってる」
       頷くムクナ。
    ムクナの声「行ってくる‥」
       ヒビクを残し歩き始める。
       ムクナ、暫くして振り返ると遠くで心
           -92-

       配そうに見ているヒビクが見える。
    ムクナの声「‥聞こえるか?」
    ヒビクの声「聞こえるよ‥」
       再び歩き始めるムクナ。ヒビクの姿が
       小さくなっていく。
    (フラッシュ)大きなクマに遭遇し、小さな
      頃のムクナとシンを後ろに庇ってクマに
      念を送っているバア。ワナにかかり気が
      立っていたクマが静まり、バアがワナを
      外して近くの薬草を摘み手当てをする姿
           -93-

      を見ている小さなムクナ。夜中にぐった
      りした子供を抱いた女性を家に入れ、子
      供の背中を叩いてのどに詰まっていた木
      の実をとるバア。泣きながらお礼を言う
      女性を見ている小さな頃のムクナ。森の
      間から見えている星空を眺めて大きな岩
      の上で泣きながら眠る小さな頃のムクナ
      とシンを抱き締めているバア。出て行く
      シンの後ろ姿を見送っているバアとムク
      ナ。夜一人で涙を拭っているバア。カレ
           -93-

       ンダーにムクナの二十歳の誕生日を○で
       囲んでいるバア。一人お薬を煎じて飲ん
       でいるバア。ベッドで酷く咳き込んでい
       るバア、背中をさするムクナを振り返り、
       何か言いたげにするが寂しそうに微笑む。
       泣きながら洞窟を歩いているムクナの
       視線の先に、木々で覆われた出口が見
       えてくる。
    ムクナの声「‥バアはカアのことを話してお
     きたいのかもしれない‥」
           -94-

       涙でグシャグシャのムクナ、立ち止ま
       りその場にうずくまり、しゃくり上げ
       る。
    ムクナの声「ごめん‥ヒビク‥」
       俯き泣いているムクナを包むように優
       しく風が吹いてくる。風に気づいたム
       クナ、顔を上げ出口の木々の間から見
       えている星を見つめ、ゆっくりと立ち
       上がる。
       ×   ×   ×
           -94-

       岩の柱にもたれ、力なく座り込んでい
       るヒビク、手に持った松明の火をぼう
       っと見つめている。
       足音が聞こえ、ふと洞窟の先を見ると
       懐中電灯の小さな明かりが遠くに見え
       ている。
       立ち上がるヒビク。
       次第に、泣きながら項垂れて歩いてき
       ているムクナの姿が見えてくる。
       ホッとしたように微笑むヒビク、俯い
           -95-

       て歩いてきたムクナの手を取る。
       手を繋ぎケケレヤツへと戻っていくヒ
       ビクとムクナの後ろ姿。
        
    ○(回想)同・ムクナの家・居間
       ベッドに寝ているバアの手を握ってい
       るムクナ。
    ムクナの声「バア、カアのこと聞かせて欲し
     い‥」
       ベッドに寝ているバアの頬が少し緩む。
           -95-

    トドクN:グシャグシャな顔で戻ったムクナ
     は一週間後バアの最期を看取った。
        
    〇(回想)同・ムクナの家・表
       ムクナの家を取り囲み、祈りを捧げて
       いるケケレヤツの大勢の人々。
        
    ○(回想)富士樹海の森・ケケレヤツから少
     し離れた場所(夕)
       森の中の少し高台になっている斜面に
           -96-

       祈りを捧げているムクナとヒビク、ト
       ドク、オウガ。
    トドクのN:オウガの話ではバアの意識が戻
     った形跡は無かったらしいけど、ムクナは
     バアと話したと言った。それから、ムクナ
     の男言葉が抜けた。ずっと男友達の中で育
     ってきたからなのかと思っていたけど、そ
     ればかりでは無かったのかもしれない‥ム
     クナの中で何かが融けたような感じがした。
     花を摘んでいるムクナ。
           -96-

       顔を見合わせるトドクとオウガ。
    トドクのN:ムクナの変化に少し戸惑ったけ
     ど、ニイだけは自然に受け入れていた。
       一緒に花を摘むヒビク。
        
    ○(回想)同・ムクナの家・居間
       二人で食事をしているヒビクとムクナ。
       ケーキのロウソクを吹き消すヒビク。
    トドクN:それから5か月後、ニイは迷わず
     ケケレヤツに残った。
           -97-

       少し寂しそうに嬉しそうに微笑んで拍
       手をするムクナ。
    トドクN:二十歳の誕生日の日、ニイにどう
     するのか尋ねる人は一人もいなかった。ケ
     ケレヤツの人達は皆そうだった。ニイは何
     年も準備してきた夢を迷いなくきっぱりと
     覆した。(F・O)
        
    ○富士樹海の中・地下の洞窟(夜)
       洞窟の中を歩いているトドク。
           -97-

    トドクN:人を想うことはこんなにも強いこ
     となのかと俺は少し怖い様にも思った。
        
    ○善行地家・一階コンビニ・店内
       お弁当を補充している十与、来客を告
       げる効果音に振り向く。
       関口海斗(30)が店内に入ってくる。
       十与に近づく海斗。
    海斗「あの‥すみません」
    十与「はい」
           -98-

    海斗「ここに善行地哲郎さんって方いらっし
     ゃいませんか?」
    十与「あ、はい。父です。今二階にいるので
     呼んできましょうか?」
    海斗「すみません。東岡電機工業の関口海斗
     といいます」
    十与「はい‥お待ちください」
       怪訝そうに海斗を見る十与。
        
    ○同・二階住宅部・リビング
           -98-

       テーブルに向かい合って座っている哲
       郎と海斗。
    海斗「突然お邪魔してすみません。もっと早
     く来たかったんですけど‥ずっと、どうし
     ても来れなくて」
    哲郎「いいえ‥そんな‥」
    海斗「あれから15年経って、ようやく来れ
     ました。あの時善行地さん達に酷いことを
     言ってしまって、ずっと気に掛かっていて、
     本当に申し訳ありませんでした」
           -99-

       頭を下げる海斗。
    哲郎「‥そんな風に思ってらっしゃったなん
     て‥こちらこそずっと重荷にさせてしまっ
     てむしろ申し訳ないです。あの頃まだ高校
     生だったんじゃないですか?」
    海斗「はい‥高校に入ったばかりでした‥」
    哲郎「そんなに若くにあんなことがあって‥
     辛かったですね‥」
    海斗「‥今、実は東岡電機で働いてるんです。
     ずっと交流のあった人事の方が勧めて下さ
           -99-

     って‥最初は絶対に無理だと思ったのです
     が、だからこそうちに来ないかって言って
     頂いて‥」
    哲郎「そうなんですか‥それはすごい‥」
    海斗「‥父のしたことで何で自分が苦しまな
     きゃいけないのか、あなた方を憎むことで
     しかあの時は解決できなかった。本当にす
     みませんでした」
       再び頭を下げる海斗の腕をつかむ哲郎。
    哲郎「私こそあの時他に方法があったんじゃ
           -100-

     ないかとあれからずっと考えています」
    海斗「いえ、大事故が起こる前に善行地さん
     達に止めて頂いて、有難かったと今は思っ
     てます。もしも大事故が起こってしまって
     いたら、もっともっと苦しかっただろうと
     思います」
    哲郎「高校生であんな経験をされて、本当に
     それだけで私はあなたを尊敬します。君は
     1つも悪くないのだから、もう楽になって
     欲しい‥」
           -100-

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