伝えに来ました。また何かあったら立ち寄
     らせて貰いますね」
       忙しく立ち上がる吉沢。
    ルース「すみません。宜しくお願いします」
       丁寧に頭を下げるルースとアイネ。
       十与、襖の近くに立つ。
    十与「あ、私もそろそろ帰るね。オムライス
     本当に美味しかった。ご馳走様でした」
       アイネにお礼を言う十与。
       アイネ、嬉しそうに頷く。
           -151-

    十与「こんばんは。お邪魔してました。突然
     伺ってしまってすみません‥」
       ルースに挨拶をする十与。
    ルース「ああ‥いつも駅で‥ありがとうござ
     います。会社もお友達のお母さんに聞いて
     ‥明日から行けるので‥すみません」
    十与「いえ‥ご相談もせず勝手なことをして
     しまってすみません」
    ルース「ううん‥ありがとうございます」
       頭を下げる十与に優しく笑うルース。
           -151-

    ○同・外の階段(夜)
       吉沢の後ろを歩いて階段を降りている
       十与。
        
    ○同・駐車場(夜)
       駐車場へ入って来る吉沢と十与。
    吉沢「じゃあ」
    十与「はい、失礼します」
       車へと向かう吉沢と、自転車の鍵を開
       けている十与。
           -152-

       車に乗った吉沢が窓を開け、声をかけ
       る。
    吉沢「夜遅いから乗っていきなさい。家は近
     く?」
    十与「はい、近いので大丈夫です」
    吉沢「何かあったら行けないから、乗りなさ
     い。自転車は明日取りに来れるでしょ」
    十与「‥すみません」
    
    ○吉沢の車内(夜)
           -152-

       運転する吉沢の後部座席に座っている
       十与。
    吉沢「学生さん?」
    十与「はい」
    吉沢「そう。頑張って勉強してね」
    十与「はい。私、在日外国人の人を支援する
    お仕事があるって知りませんでした。素敵
     なお仕事ですね」
    吉沢「いやー、全然素敵じゃないですよ。辛
     いことばっかりよ」
           -153-

    十与「すみません‥」
    吉沢「いやいや、ありがとうね。自分でもい
     い仕事をしよるんじゃないかって勘違いし
     そうになるんですよ。そうするとね、ガツ
     ンと神様にやられるんだよね。中途半端な
     正義感なら無い方がいいって。理想だけじ
     ゃダメなんだよね‥」
    十与「‥でもいて貰わないと困る人も多い気
     がします。私もいつかそんなことが出来た
     らいいなって漠然とだけどそう思いました」
           -153-

    吉沢「悲しいことばっかりに直面するよ。ど
     うにも出来ないことばっかりよ。私は自分
     の娘には勧めないな」
    十与「‥」
    吉沢「相手の人生の片方の柱を持つような重
     いことだからね‥私は恥ずかしながら使命
     感とかは無くてね、自分の思っていること
     をやっていってたらいつの間にかここにい
     たような感じで‥」
    十与「意外です‥私は使命感を感じてやって
           -154-

     らっしゃるのかと思いました」
    吉沢「いや‥いつもね、この問題が片付いた
     ら止めようって思って、でも解決しないう
     ちにまた次の問題が起こって、今度こそこ
     の問題が何とかなったら止めれるって、そ
     う思いながら毎日来てるんだよね‥誰かが
     やらんと駄目だとは思ってるんだけどね。
     それが私なのかは今でも分からない‥」
    十与「‥」
    吉沢「ごめんなさいね‥あ、勿論時々良いこ
           -154-

      ともありますよ。そんな時は本当に嬉しい」
    十与「そうですか」
     吉沢「うん、嬉しいね」
       噛みしめるように微笑む吉沢。
       つられて微笑む十与。
    十与「‥何か私でも出来ることがあったら手
     伝わせて貰えませんか?」
    吉沢「本当に?」
    十与「お願いします」
    吉沢「いえいえ、嬉しいな。こちらこそ」
           -155-

       ミラー越しに頭を下げる十与と吉沢。
        
    ○昭和大学・講義室(朝)
       授業を受けている十与、熱心にノート
       をとっている。
        
    ○富士樹海の中・地下の洞窟
       洞窟の中を歩いているトドク、入口へ
       着く。
       入口を塞いでいる蔦を手でどけると光
           -155-

       が差し込んで来る。
        
    ○昭和公園内(夕)
       学校帰りの十与が公園に入ってくる。
       ブランコに座っていたアイネ、十与が
       入って来たことに気付き近づいてくる。
    アイネ「お姉ちゃん」
    十与「アイネちゃん!」
    アイネ「お父さん、戻って来れたの」
    十与「本当?!良かったね!」
           -156-

    アイネ「うん!それとお母さんもお仕事行け
     るようになった。深琴ちゃんのお母さんが
     ね、毎日送り迎えしてくれてる」
    十与「そうなんだ。良かった」
    アイネ「うん、お母さんもお父さん帰ってき
     たら何か少し元気になったみたい」
    十与「そっかー、良かったね。お母さん不安
     だったんだろうね‥頑張ってらしたんだね」
    アイネ「うん、私もそう思う」
       歩き出す十与とアイネ。
           -156-

    ○大学と公園の間の公園側の道路(夕)
       手を繋いで歩いている十与とアイネ。
    十与「アイネちゃんも頑張ったね」
    アイネ「ううん‥」
    十与「私も何か分かんないけど‥色んなこと
     知りたいと思う。せっかく生まれてきたん
     だから、この人生の内に一つでも多く何か
     掴みたいって思う。ずっとぼんやり大学に
     通ってたけど、ようやくもっと勉強したい
     って思えるようになったんだ」
           -157-

    アイネ「‥夢?」
    十与「そっか‥これが夢か‥」
        
    ○大学と公園の間の大学側の道路(夕)
       大学の脇の歩道を歩いているトドク。
       反対側の公園の脇の歩道を十与とアイ
       ネが手を繋ぎ歩く後ろ姿が見える。
    トドクの声「おーい!善行地十与!気付け
     ー!」
       アイネと話している十与、角を曲がり
           -157-

       見えなくなる。
    トドクの声「こっちに気持ちが向いてないん
     だから、聞こえる訳ないか‥」
       再び歩き出すトドク。
        
    ○昭和大学・門の前(夕)
       トドク、大学へと入っていく。
        
    ○団地・横の道路(夕)
       深夏の車が止まり、深夏が降りてきて
           -158-

       ルースの体を支えながら二人歩いてい
       る。
       十与とアイネが、そこへ歩いてくる。
       アイネに気付くルースと深夏。
    深夏「アイネちゃん‥こっちにおいで」
    アイネ「あ、こんにちは!お帰りなさい」
       ルースの傍へ駆け寄るアイネ。
       十与、ルースと深夏に頭を下げる。
    深夏「アイネちゃん、お家に入って」
    アイネ「‥どうしたんですか?」
           -158-

    ルース「リカルドが待ってるから‥」
    アイネ「分かった。ありがとうございました」
       深夏に頭を下げるアイネ。
    アイネ「お姉ちゃんまたね」
    十与「うん、またね」
       アイネ、ルースの体を支えながらアパ
       ートの方へ歩いて行く。
       深夏、十与の元へ近づく。
    深夏「すみません‥今、会社であなた方親子
     のことが噂になってます。あなたのお父さ
           -159-

     んが会社に恨みを持ってて、何か会社にし
     ようとして近づいて来てるんじゃないかっ
     て言う人がいて‥」
    十与「そんなこと少しも思ってません‥父は
     自分のしたことにずっと苦しんでます」
    深夏「ごめんなさい‥でもあの事件から本当
     に会社全体で皆で乗り越えてやっとここま
     できたんです。世間からもああ、あの会社
     ってずっと言われながら来たんです。あな
     たのお父さんが辞めた後も‥」
           -159-

    十与「‥」
    深夏「ルースさんのことは本当に有難く思っ
     ているし、あなたを悪い人だとは思ってま
     せん。でもこのままあなたと仲良くしてい
     ることはルースさんにとって良くなくて‥
     職場の人達からも付き合わない方がいいっ
     て言われて小さくなってて、可哀想で‥」
    十与「…すみません」
    深夏「‥嫌なこと言ってしまって‥」
       涙声になる深夏。
           -160-

       頭を下げ、急いでその場を離れる十与。
        
    ○昭和大学・阿世准教授の部屋(夕)
       一人、机の上のパソコンに向かってい
       る阿世。ノックの音。
    阿世「どうぞ」
       ドアが開き、トドクが入ってくる。
       パソコンに向かったまま、ちらりとト
       ドクを見る阿世。
    阿世「ああ…何?と言っても話せないんだっ
           -160-

     け」
       トドク、リュックからノートを取り出
       してマジックで書き込み、パソコン画
       面の前に差し出す。
       『あんたに聞きたいことがある』
    阿世「大学に入る方法?」
       驚くトドク。
    阿世「教える訳ないだろ。どれだけ苦労した
     と思ってるんだ」
       ノートを手で払いのける阿世。
           -161-

       落ちたノートを拾うトドク。
    阿世「ケケレヤツ、出ない方がいいぞ‥駄目
     になった奴の方がずっと多い。帰りたくて
     帰りたくて‥でも帰れなくて、樹海でさ迷
     ったまま音信不通になった奴もいる。あの
     心と心で繋がれたケケレヤツで過ごしてき
     た人間が、外の世界で生きていくのは過酷
     だ。南国育ちのやつが薄着で北極に放り出
     されるようなものだ」
       トドク、ノートに書き込む。
           -161-

       『あんたは何がしたいんだ?』
    阿世「そうだな‥事業でも起ち上げようかな。
     世の中を変えたいなら政治家になるよりも
     経済を変えた方が早そうだしな」
       ページをめくって書き込むトドク。
       『世の中を変えたいのか?』
    阿世「別に退屈だからな‥お前は?」
       書き込んだノートを見せるトドク。
       『森を元に戻したい。地球に自然を返
       したい』
           -162-

    阿世「環境問題か?」
       再びノートに書き込むトドク。
    トドクの声「高度経済成長期時代の人達は、
     環境破壊の事を考えなかったのかってずっ
     と思ってきた」
    阿世「‥まあ当然の選択だろ」
       ページをめくり見せるトドク。
    トドクの声「でもあの時代、海外に追いつく
     為に必死で頑張ってくれた人達が今の豊か
     な日本を作ってくれた。お蔭で今、毎日お
           -162-

     腹いっぱい食べれるようになった。それを
     間違ってたとは思いたくない」
    阿世「‥で?」
       書き込んだノートを見せるトドク。
    トドクの声「今、環境が破壊されつつあるけ
     ど、それは次の世代の俺達に残された問題
     なんだと思ったんだ」
    阿世「どこまでもあまいんだな…」
       トドク、阿世のパソコンのキーボード
       を使い、打ち込む。
           -163-

       画面に『退屈してるあんたに言われた
       くない』の文字。
    阿世「‥じゃあ退屈凌ぎにその能力を研究さ
     せて貰うっていうのもいいかもな」
       阿世、立ち上がりドアの前に立ちふさ
       がる。
       後ずさりするトドク、窓を確認する。
       窓へ駆け寄るトドク、外へ出ようと窓
       の鍵を開ける。
       近づいてくる阿世を目掛けて近くにあ
           -163-

       った観葉植物が突然倒れる。
    阿世「うわっ!」
       植木鉢の割れる音。
       その隙に窓を開けるトドクの洋服を、
       立ち上がった阿世が掴む。
    阿世「外には色んな世界が広がってるなんて
     幻想だ。外に出たって何も変えることなん
     て出来ない。だったらあそこにいてあの温
     もりの中に身を捧げた方がどれだけ幸せか
     ‥」
           -164-

       トドクが窓を開けると急に突風が部屋
       の中へ入ってきて、本棚から本がこぼ
       れ落ちる。思わず手を離す阿世。
    阿世「お前一人出てきたところで何も変わら
     ない。ビクともしない」
       強風が吹きつける中、阿世を睨むトド
       ク。
       トドク、窓枠を飛び越え外へと走り去
       って行く。
       静かに風が止み、阿世が窓の外を見る
           -164-

       と走っていくトドクの後ろ姿が見えて
       いる。
    阿世「出ない方がいい‥こんな所来なくてい
     い‥」
       トドクの姿が見えなくなる。
        
    ○住宅街の中の道(宵の口)
       日が沈み暗くなりかけた住宅街の中の
       道を一人トボトボと歩いているトドク
       。
           -165-

        
    ○コーポ富士見・十与の部屋・リビング(夜)
       灯りが点いていない暗い部屋にテレビ
       の光だけが点いている。
       テレビの光でコタツで一人、オセロを
       している十与。高校の緑のジャージ姿。
       ぼんやりとしながらただオセロをして
       いる。
        
    ○コーポ富士見の前の道路(夜)
           -165-

       灯りが消えている階の右角にある十与
       の部屋の窓を見上げているトドク。
       ポケットから1枚のオセロのコマを取
       り出し見つめる。
    トドクの声「あいつオセロ弱かったな‥」
        
    ○コーポ富士見・十与の部屋(夜)
       白黒半分くらいのオセロ板、最後の板
       面。
    十与「あれ?1枚足りない‥」
           -166-

       コタツ布団をめくって探す十与。
    十与「あの時までは有ったのに‥」
    (フラッシュ)オセロに大敗している十与と
     呆れ気味のトドク。
       コタツの上のオセロ板を眺め、ため息
       をつく十与。
       するとトドクの声が聞こえる。
    トドクの声「あいつオセロ弱かったな‥」
    十与「‥‥え?」
       十与、辺りを見回す。
           -166-

    十与「‥トドク君?」
       十与立ち上がり、窓を開けて外を見る
       が誰もいない道路。
    十与「…」
       十与、駆け足で部屋を出ていく。
        
    ○富士見駅・改札前(夜)
       ジャージ姿のまま駆けつける十与。
       人混みの中に青色のチェックのコート
       を着たトドクを見つける。
           -167-

    十与「トドク君!」
       気付かないトドク。走る十与。
    十与「善行地トドクー!18歳!」
       周りの人に奇妙な目で見られる十与。
       気付かず改札の中に入っていくトドク。
    十与「ああ‥そうだ」
       十与、手に持っている鍵のキーホルダ
       ーの中からお札を取り出す。
    十与「お財布忘れたときの為にお金入れとい
     たんだった」
           -167-

       小さく折り畳まれた二千円を広げる。
    十与「日頃の駄目さが役に立ったな‥」
       辺りを見回し切符の販売機を見つける。
        
    ○同・電車内(夜)
       ドアから電車に乗りこむトドク。
    車内アナウンス「5分間停車いたします」
       開いたドアからホームの方をぼんやり
       見ているトドク。
       ホームを十与が走って通り過ぎていく。
           -168-

        
    ○同・ホーム(夜)
       驚いて電車のドアから顔を出し十与の
       姿を確認するトドク。
       十与が電車の中を見ながら走っている。
    トドクの声「善行地十与!」
       トドクの声が届き、振り向く十与。
       トドクが電車のドアから身を乗り出し
       ているのが見える。
       ホッとする十与、ベルが鳴り慌てて電
           -168-

       車に乗る。動き出す電車。
        
    ○同・電車内(夜)
       トドクの車両に十与が歩いてくる。
       ドアの近くに立っているトドク。
    トドクの声「何かすごい色だな」
       十与、自分が高校の緑のジャージ姿な
       のに気付く。
    十与「あ‥」
       トドク、コートを脱ぎ十与に掛ける。
           -169-

    十与「いいよ、大丈夫」
    トドクの声「それ大丈夫じゃないでしょ」
       周りの人の視線に気づく十与。
    十与「すみません‥」
       コートの袖を掴み突然ボロボロと泣き
       出す十与。
    トドクの声「どうした?!」
    十与「ううん‥何か人の優しさって本当に温
     かいんだなって思って‥」
    トドクの声「‥何かあったの?さっきあの子
           -169-

     と大学の横の道歩いてただろ?」
    十与「え?あそこにいたの?何で声かけてく
     れなかったの?」
    トドクの声「かけたけど気付かれなかった。
     思いがお互いに向かってないと届かないん
     だよ」
    十与「そうなんだ‥あ、トドク君さっき、私
     の事オセロ下手だったって思ったでしょ?」
    トドクの声「‥え?うん思った‥」
    十与「聞こえて来たんだよ。だから追いかけ
           -170-

     て来たの」
    トドクの声「家にいたのか?電気がついてな
     かったからいないのかと思った‥」
    十与「あ‥そっか‥」
    トドクの声「でも良かった‥」
    十与「うん。‥それとね私、こないだ思い出
     したんだけど‥小学生の時に、声が聞こえ
     たことがあるんだ」
    トドクの声「‥どういうこと?」
        
           -170-

    ○(回想)善行地家・二階住宅部・リビング
       ドアからランドセルを背負った十与
       (10)が入って来る。誰もいないリ
       ビング。
    十与の声「ある日家に帰ったらお父さんとお
     母さんがいなくて、何でかその時他の部屋
     を見なくても二人がいないことが分かって
     ‥瞬間的にあっ、きっと香ちゃんちだって
     思ったの。家族ぐるみで仲良しでいつも行
     き来してたから」
           -171-

    トドクの声「‥うん」
       リビングの入口でぼんやりと立ち尽く
       す十与。
    十与の声「そしたら次の瞬間、お母さんの声
     で『十与ももう帰って来たかな』って聞こ
     えて、お父さんが『うん』って答えるその
     会話が部屋の中に聞こえてきたんだよ」
    トドクの声「‥え?」
    十与の声「声が聞こえて来たのに少しも怖く
     なくて、会話の内容からやっぱり香ちゃん
           -171-

     ちだなって思ってそのまま向かったの。
       普通にドアから出て行く十与。
        
    ○(回想)道路
       考えことをしながら走って行く十与。
    十与の声「あれ?今声が聞こえた‥何だろう
     これ‥すごい、すごいって思いながらドキ
     ドキしながら走って‥」
        
    ○(回想)香ちゃんち・玄関の前
           -172-

       インターホンを押している十与。
    十与の声「それで香ちゃんちに行ってみたら
     ‥」
        
    ○(回想)同・リビング
       テーブルを囲みお茶を飲みながら談笑
       している千鶴と哲郎、香と香の両親。
    十与の声「やっぱりお父さんとお母さんがい
     て、それで声が聞こえて来たって話をした
     の」
           -172-

       話しをしている十与と驚いている千鶴。
    十与の声「そしたらお母さんが『うん、さっ
     き二人で同じこと喋った』って言ってくれ
     て、それで私が家の中に聞こえてきたって
     言ったら『すごい』ってお母さんは言った
     んだけど」
       笑っている哲郎。
    十与の声「お父さんは『どこかで聞いてたん
     だろ。そんなことある訳ない』って信じて
     くれなくって‥」
           -173-

    トドクの声「うん‥」
       少し寂しそうな十与。静かにほほ笑む
       千鶴、十与の頬を撫でる。
    十与の声「その瞬間お母さんの気持ちが変わ
     ったのが分かったんだよ。お母さんの気持
     ちがお父さんと同じになったの。そっか世
     の中では、本当のことが本当な訳じゃない
     んだなって思ったんだよ。一人でも多くの
     人が本当って思うことが本当になるんだっ
     て」
           -173-

    トドクの声「うん‥」
        
    ○電車内(夜)
       窓の外を見ながら話をしている十与と
       話を聞いているトドク。
    十与「でも嘘じゃない。あの時の光景を今で
     もはっきり覚えてる。部屋の中の家具の配
     置も、エコーがかかったような二人の声も、
     走っていった時のドキドキも、伝えようと
     必死に話したのも、信じて貰えなかった時
           -174-

     の落胆も」
    トドクの声「うん、信じるよ」
    十与「ホント?じゃあ‥今のところ二対二だ
     ね」
    トドクの声「でも信じれなかった気持ちもわ
     かるけど‥」
    十与「うん‥私も逆だったら絶対信じない」
    トドクの声「‥はは」
    十与「でもそっか‥確かにあの瞬間お互いに
     思い合ったから聞こえたのかもしれない‥」
           -174-

    トドクの声「うん」
       電車の窓から遠くに見える富士山のシ
       ルエットを眺める十与とトドク。
        
    ○花舞駅前ロータリー・バス停(夜)
       バス停『富士神原樹海方面・花舞駅前』
       時刻表を見ているトドク。
    トドクの声「あと30分ある‥」
    十与「‥折角だから見送るよ。そうだ、公園
     で待ってる?」
           -175-

    トドクの声「‥大丈夫?遅くならない?」
    十与「バイトより早い時間だし全然平気‥あ
     の公園久しぶりだな‥」
    トドクの声「そうだったな‥」
       少しむくれる十与に笑うトドク。
    十与「コーヒー買って来るね。言ったっけ?
     あのコンビニ、ウチのお父さんのお店なん
     だよ」
    トドクの声「え?そうなのか?俺前に行った
     時、低い声の人がいて一瞬驚いた‥」
           -175-

    十与「そう、その人!」
       笑うトドク。
       
    ○善行地家・一階コンビニ・店内(夜)
       ドアが開き、十与が入ってくる。
       レジに立っている哲郎。
    哲郎「いらっしゃいませ‥あれ?どうした?
     今日バイトの日じゃないだろ?」
    十与「うん。近くに来たから寄っただけなの」
       十与、温かい飲み物の前に立つ。
           -176-

    哲郎「そっか‥丁度良かった‥」
       十与の後ろに立つ哲郎。
    哲郎「十与‥」
       振り向く十与。
    哲郎「実はこの店、やめようと思ってるんだ
     ‥」
    十与「え?何で?だって‥どうするの?」
    哲郎「もしかしたらお店はこのまま他の人に
     やってもらうかもしれないけど‥俺、東岡
     電機に勤めようと思ってる‥」
           -176-

    十与「え?!そんなの駄目だよ!」
    哲郎「‥何でだよ?」
    十与「だって‥苦労するよ、きっと‥絶対今
     の方が良いよ」
    哲郎「うん‥分かってるけど、そうしたいん
     だ」
    十与「私はやめた方が良いと思う」
       十与、コーヒーを二本取りレジに向か
       う。
       レジに入る哲郎。
           -177-

    哲郎「‥誰かと一緒なのか?」
    十与「友達の分‥」
       コーヒーをレジに通す。
    哲郎「‥女の子?」
    十与「‥いや、男の子だけど‥」
    哲郎「‥そうか」
       十与、お金を払ってコーヒーを手に取
       る。
    十与「じゃあ‥また来るね」
    哲郎「うん‥」
           -177-

       十与、入口から出て行く。
    哲郎「男の子か‥そうか‥そうだよな、大学
     生だもんな‥そんなこともあるよな‥でも
     友達だって言ってたしな‥でも男の子か‥
     そうか‥」
       肩を落としため息をつく哲郎。
    
    ○駅前公園・ベンチ(夜)
       ベンチに座っているトドクの前に座る
       十与、コーヒーを渡す。
           -178-

    トドクの声「あ、ありがとう‥」
    十与「…お父さん、東岡電機に戻るって言っ
     てた‥」
    トドクの声「え?あの‥こないだ行ったと
     こ?」
    十与「うん‥やめた方が良いよね?だって無
     理だよ、そんなの‥」
    トドクの声「‥どうかな。お父さんだって全
     部考えてのことだろうし‥そうしたいって
     自分で思われたってことなんじゃないの?」
           -178-

     十与「何で?何でそうしたいのか全然分から
      ない」
    トドクの声「俺もよく分からないけど‥忘れ
     てないのに忘れたようにこの先もずっと生
     きていくって、結構他の人が想像するより
     本人はずっと辛いのかもしれない‥」
    十与「だけど実際会社に戻ったら、周りの人
     達全員が敵みたいなものなんだよ。その方
     が絶対辛いよ」
    トドクの声「そうかもしれないけど‥それで
           -179-

     も自分が納得出来る辛さの方が耐えられる
     んじゃないのかな‥」
    十与「‥そうしないとお父さんは納得出来な
     いままで生きてかなきゃいけないってこと
     になるのかな」
    トドクの声「…心と体が別々みたいな、違和
     感みたいな‥そんな感じなのかな‥でも本
     当にその人にしかきっと分からないんだろ
     うね‥ごめん、勝手なこと言って‥」
    十与「ううん、ありがとう‥」
           -179-

       コーヒーを開ける十与。
    十与「‥気になってたんだけど、トドク君は
     二十歳になったらどうするか決めてるの?」
    トドクの声「いや‥」
    十与「そっか‥」
       コーヒーを飲む十与。
    トドクの声「だけど‥何でお前にだけ聞こえ
     るんだろうな‥」
    十与「うん‥本当にそうだね‥」
       バスの音が聞こえる。
           -180-

    十与「あ、あのバスじゃない?」
       時計を見るトドク。
    トドクの声「あと五分だ‥」
       急いでコーヒーを飲み干すトドクと十
       与。
    トドクの声「‥例えば人との出会いの中で離
     れてしまったとしても、それで人は成長出
     来るって出会いに意味はあるって言うけど
     、成長する為に出会うなんて寂し過ぎる気
     がして、でもそう思わないとやり切れない
           -180-

      こともあるのかなって思って‥」
     十与「それが私が声が聞こえることとどう関
      係があるの?」
       立ち上がるトドク。
    トドクの声「やばい、行かないと‥」
       立ち上がる十与。
    十与「ねえ‥そういえば、トドク君は今日学
     校に行ったの?阿世先生に会ったの?」
    トドクの声「うん会ったよ‥」
       十与の空き缶を受け取り、ゴミ箱へと
           -181-

       走るトドク。
    十与「‥」
       後に続く十与。
        
    ○花舞駅前ロータリー・バス停(夜)
       『花舞駅→富士神原樹海入口』とプレ
       ートに表示されたバスが止まっている。
       4・5人並んでいるバス停。その一番
       後ろにトドクが立つ。トドクの後ろに
       進む十与。振り返るトドク。
           -181-

    トドクの声「じゃ‥気を付けて」
    十与「うん‥大丈夫?何かあった?」
    トドクの声「頑張れよ。‥これから色んなこ
     とあるかもしれないけど、お前らしくぶつ
     かっていけばきっと大丈夫だから」
    十与「‥また来るよね?」
       少し微笑んでバスに乗りこむトドク。
       席へと進み窓から手を振るトドク。
       窓の下へと歩いて行く十与。
    十与「そうだ。アイネちゃんのお父さん戻っ
           -182-

     て来たんだよ」
    トドクの声「そうか‥良かった。やっぱりお
     前はそのまま進めばいいと思う。祈ってる」
    十与「‥」
       少し心配そうに怒ったようにトドクを
       見る十与。
       バスが出発する。
    十与「‥何それ」
       遠ざかっていくバスを見ている十与。
        
           -182-

    ○コーポ富士見・十与の部屋・リビング(朝)
       窓から朝日が差している。
       ベッドに寝ている十与、じっと考えて
       いる。
       壁にトドクに借りたコートが掛かって
       いる。
        
    ○富士望駅前・アーケード通り(夜)
       車道を自転車に乗った十与が走ってい
       る。
           -183-

       離れた所にアイネとリカルドが並んで
       歩いて来ているのが見える。
       慌てて角を曲がり身を隠す十与。
       アイネとリカルドが二人で駅へと向か
       っていく。
    十与「‥」
       二人に気づかれないようにずっと後ろ
       を自転車を押しながら歩いて行く十与。
       時々、十与を探すように辺りを見回し
       ているアイネとリカルド。
           -183-

        
    ○富士望駅・北口前広場(夜)
       寂しそうにベンチに座っているアイネ
       とリカルド。建物に隠れて二人を見守
       っている十与。
       リカルドとアイネの前に警察官が立つ
       。
    警察官「二人?ここで何してるの?」
    アイネ「あ‥えっと‥」
       言葉に詰まるアイネの前に立つリカル
           -184-

       ド。
    リカルド「何?」
    警察官「僕はいくつ?」
    リカルド「6歳」
    警察官「どこから来たの?住所言える?」
    リカルド「住所?‥」
    アイネ「‥富士望市」
    リカルド「僕、電話番号言えるよ。080-
     1212-3434」
       警察官を睨むリカルド。
           -184-

       急いで二人の元へ駆け寄る十与。
    十与「ごめんね。トイレ混んでたんだ」
    アイネ「お姉ちゃん」
    リカルド「お姉ちゃん!」
       十与、リカルドを抱きしめる。
    警察官「お姉さん?」
    十与「いえ、近所の子でお母さんが帰ってく
     るまでいつもここで一緒に待ってるんです
     」
    警察官「そう。目を離さないように気を付け
           -185-

     て下さいね」
    十与「はい。すみません‥」
       去っていく警察官。
    リカルド「お姉ちゃん、ずっと探してたんだ
     よ」
    十与「‥ごめんね」
       少し涙目のアイネ。
    十与「大丈夫?怖かったね。ごめんね‥」
       リカルド、涙をこらえてアイネの頭を
       撫でる。
           -185-

    リカルド「大丈夫?」
       頷くアイネ。
       十与、二人の様子に微笑む。
       アイネ、ポケットから小さな袋を出し、
       十与に渡す。
    アイネ「今日家庭科でクッキー作ったの。先
     生が感謝している人に渡しなさいって言っ
     てたからお姉ちゃんに渡したいと思って‥」
    十与「‥ありがとう。嬉しい‥」
       袋を受け取る十与。
           -186-

    アイネ「お母さんもそうしなさいって言って
     くれたの。‥ごめんね」
    十与「何で?すごく嬉しいよ」
    アイネ「良かった‥話してくれなかったらど
     うしようってちょっと怖かったの‥」
    十与「私も‥」
    アイネ「良かった‥」
    十与「‥ありがとう。本当にありがとう‥」
       十与を見上げてにっこり笑うリカルド。
       リカルドの頭を撫でる十与。
           -186-

       ×   ×   ×
       ベンチに座っているアイネとリカルド
       と十与。
    アイネ「‥こないだお姉ちゃんがうちに来て
     くれて、オムライス一緒に食べるって聞い
     た時ちょっと怖かったの‥遠慮して食べな
     いって言われるかもしれないって思って‥」
    十与「‥そっか」
    アイネ「でもお姉ちゃんが、いいの?って嬉
     しそうに言ってくれて本当に美味しそうに
           -187-

     食べてくれて、嬉しかった‥」
    十与「‥私、アイネちゃんと話してると何か
     自分が恥ずかしくなる。アイネちゃんの方
     が大人で‥ああ、私何も知らないんだなっ
     て思う‥」
    アイネ「‥」
    十与「でも時々はアイネちゃんも子供になっ
     てね」
       アイネの手をぎゅっと握る十与。
       戸惑うように頷くアイネ。
           -187-

    リカルド「お姉ちゃん、僕たちペルーに帰る
     んだよ」
    十与「え?そうなの?」
    アイネ「来年、今住んでる団地が取り壊され
     るんだって。お父さんのビザも切れるし‥
     ペルーに帰ろうかって‥」
    十与「そうなんだ‥アイネちゃん達は帰りた
     いの?」
    アイネ「友達と離れるのは嫌だけど、ペルー
     にはお祖母ちゃん達もいるし‥それにお父
           -188-

     さんがあれからずっと元気がなくて、それ
     がすごく心配で‥」
    十与「そうか‥何かごめんね‥せっかく日本
     に来てくれたのに‥」
    アイネ「ううん、私日本大好きだよ。いっぱ
     い勉強して、いつか日本の学校に来たいな
     って思ってる」
    十与「本当?嬉しいな。大人になったアイネ
     ちゃんに会えるのすごく楽しみ」
    アイネ「頑張る」
           -188-

    十与「うん。でも寂しくなるな‥」
    アイネ「お母さんの携帯からメールするよ」
    十与「本当?」
    アイネ「うん」
    リカルド「あ、お母さんだ」
       遠くからルースが歩いてくるのが見え
       る。十与を見つけ頭を下げるルース。
       立ち上がり会釈する十与。
        
    ○富士樹海の森・大きな岩から少し離れた空
           -189-

     き地
       トドク、ノコギリで丸太を切っている。
       ヒビクがトドクに近づいて来る。
       足音に気付き振り向くトドク。
    ヒビクの声「何作ってるの?」
       じっとぼんやりとヒビクを見ているト
       ドク。
    ヒビクの声「‥トドク?どうした?トドク?」
       驚いているヒビクに気づかないトドク。
    トドクの声「ねえニイ‥ベビーベッド、そろ
           -189-

     そろ準備しておこうと思ってるんだ」
    ヒビクの声「ああ‥そっか‥ありがと」
       ヒビク、切りたての板を手に取り鑢を
       かける。
    トドクの声「ううん。俺が楽しみにしてるか
     ら」
       トドク、再び丸太を切り始める。
    ヒビクの声「‥昨日どうだった?何か答えに
     繋がった?」
    トドクの声「‥俺、自分は残る人間で絶対に
           -190-

     悩むことは無いと思ってた。外で生きてい
     こうなんて考えたこともなかった‥でも最
     近になって、何か自分にも出来るのかなっ
     て思い始めてきて‥でも昨日、やっぱり外
     に出て自分に出来る事なんて無いんじゃな
     いかって思い直して、だったらここに残っ
     た方が出来る事があるのかなって今は思っ
     てる‥」
    ヒビクの声「トドクは俺の方が外に合ってる
     って言ってたけど、俺も始めはそう思って
           -190-

     たけど、でもトドクの方が外に出て行くべ
     き人間なんじゃないかって思うようになっ
     てきたんだ‥」
       切った丸太を拾うトドク。
    トドクの声「それは違うでしょ。ニイは外向
     きの人で、でもここに残っても力を発揮で
     きる、オールラウンダーみたいな人だ」
    ヒビクの声「そんなことないよ‥ムクナにヒ
     ビクはトドクの前では絶対に兄だなって言
     われた。確かに俺トドクには強いとこしか
           -191-

     見せてこなかったのかなって思って‥俺本
     当は全然そうじゃないよ‥」
       丸太の長さを切り揃えていくトドク。
    トドクの声「‥俺にとってもニイは絶対に兄
     さんだな‥だけど前に一度、出ることが怖
     くなったって言ってくれたよ。驚いたけど
     ニイに認められたみたいで嬉しかった」
    ヒビクの声「そっか‥弱音はいてたな‥」
    トドクの声「どんなことがあってもニイはニ
     イだよ」
           -191-

    ヒビクの声「うん‥だけどトドクは自分が思
     ってるよりずっと皆に慕われてるんだよ。
     何だろう‥何か憧れるっていうのかな‥外
     でも輝けると俺は思う‥」
    トドクの声「兄弟だからそう思ってくれるだ
     けだよ‥実際外に出て何していいのかなん
     て全然分かんないし‥俺はずっと残る準備
     しかしてこなかったから‥」
       同じ長さの丸太を何本も集めるトドク。
       更に丸太を切り始める。
           -192-

    ヒビクの声「外に出てみて見えてくるものが
     あるかもしれないよ」
    トドクの声「でも無かったらどうしよう‥そ
     の時の自分のことを思うと、残れば良かっ
     たって思いそうで怖いんだ‥」
       トドクの切った丸太を雑巾で乾拭きし、
       更に鑢をかけるヒビク。
    ヒビクの声「怖いってことはそれだけ現実と
     して考えられてるってことなんだろうな‥
     まあ、あと1年ゆっくり考えればいい。最
           -192-

     後は自分の心が向かう方へ進むといいよ。
     俺もそうしたから」
    トドクの声「うん‥ありがとう」
       丸太が切れ額の汗をぬぐうトドク。
        
    ○コーポ富士見・十与の部屋・洗面所(朝)
       顔を洗っている十与。
       携帯の鳴る音が聞こえる。
        
    ○同・リビング(朝)
           -193-

       コタツの上の携帯をとる十与。
       画面に『吉沢さん』の文字。
    十与「もしもし、はい。おはようございます。
     はい‥え?‥本当ですか?」
       電話口で驚いている十与。
        
    ○吉沢事務所・外観(夕)
       雑居ビルの一階。ドアに『吉沢事務
       所・外国人支援』の文字。
        
           -193-

    ○同・事務所内(夕)
       書類に囲まれた狭い事務所内。隅っこ
       に小さなテーブルと椅子が置かれてお
       り、椅子の一つに座っている十与。
       吉沢、机で忙しそうに電話で話してい
       る。電話が終わり、十与に話しかける。
    吉沢「ごめんなさいね、せっかく来てもらっ
     たのに、ちょっとトラブルが起きてね‥こ
     れから出掛けないといけなくなってしまっ
     て‥」
           -194-

       机から書類を探している吉沢。
    十与「いえ、大丈夫です。そちらを優先して
     下さい」
    吉沢「ありがとう。あ、あった。これ、電話
     で話してた件です。もしやる気があるなら
     連絡下さい。急な話で申し訳ないけど、先
     方も急いでて。あなたが駄目なら、他の人
     を探すか募集をかけようと思いよるんです
     よ。でも、遠い国だし、ご両親もご心配だ
     ろうからよく話してみてください」
           -194-

       書類を渡す吉沢。
    十与「はい‥分かりました」
       『人材急募・ネパール・学習支援の補
       助要員』と書かれた紙。
    吉沢「じゃあ、私はこれで。連絡待ってます」
       頭を下げ足早に出かけていく吉沢。
       頭を下げる十与。
        
    ○善行地家・二階住宅部・キッチン(夜)
       千鶴、チャーハンを作っている。
           -195-

       隣でお皿を拭いている十与、千鶴にお
       皿を差し出す。
    千鶴「すごい!何でわかったの?」
    十与「それぐらい分かるよ」
    千鶴「テレパシーだね」
       チャーハンをお皿に盛る千鶴。
    千鶴「‥十与覚えてないかもしれないけど、
     小学生の頃、声が聞こえてきたって言った
     ことがあるんだよ」
    十与「え?覚えてるよ。香ちゃんちに行った
           -195-

     時でしょ?」
    千鶴「ほんとに?」
    十与「うん。私もこないだ思い出したの」
       引き出しからスプーンを取り出す十与。
       鍋を洗っている千鶴。
    千鶴「そう、香ちゃんちでさ‥あの時お母さ
     ん言えなかったんだけど、実はお母さんも
     子供の頃、風邪ひいて休んで家で寝てた時
     に、教室で友達が話してる声が聞こえてき
     たことがあったんだ‥」
           -196-

    十与「嘘?!」
        
    ○(回想)成田家・千鶴の部屋
       小学生の頃の千鶴がお布団に寝ている。
    千鶴の声「寝ながら今頃皆給食食べてるのか
     なって思ってたら、友達の声でチーちゃん
     今頃寝てるのかな?明日は来れるかなって
     話声が聞こえてきたの」
       驚いてお布団から上半身を起こす千鶴。
    十与の声「‥うん」
           -196-

       お布団までお粥を運んで来た成田ハコ
       。
       千鶴、ハコに勢い込んで話し始める。
       お粥を置いて千鶴の両手を握り、真剣
       な顔で首を横に振るハコ。
    千鶴の声「でもそれをお祖母ちゃんに言った
     ら、絶対に誰にも言っちゃ駄目よって口止
     めされたんだよね。その様子が何だかいつ
     もと違ってて何か怖く思って、ずっと誰に
     も言えなかったの‥」
           -197-

        
    ○善行地家・二階住居部・キッチン(夜)
       チャーハンの入ったお皿を二つお盆に
       乗せていく十与。
    十与「‥そうだったんだ」
    千鶴「あの時、嘘じゃないって言ってあげれ
     なくてごめんね」
    十与「ううん‥そっか‥」
    千鶴「不思議なことってあるんだね」
    十与「うん、あるんだね」
           -197-

       十与、お皿をもう一つ出しチャーハン
       をよそう。
    千鶴「あ、駄目だよ。十与は自分ちで食べな
     いとお父さんに怒られるよ」
    十与「だって美味しそうなんだもん。お母さ
     ん娘が大事じゃないの?」
    千鶴「大事だけどお父さんの方が大事」
    十与「気持ち悪い!‥だけど、それもいいの
     かもね‥」
    千鶴「そうでしょ?だって十与の人生のパー
           -198-

     トナーは私じゃないもん」
    十与「‥親子って不思議だね‥子供の頃はお
     母さんがいないと死んじゃうって思うくら
     い自分の分身みたいに近い存在だったのに
     ‥いつからかそうじゃなくなってて‥」
    千鶴「‥仕方ないよ。ちょっと寂しいけど嬉
     しいことでもあるし‥自分もそうだったん
     だろうし‥その繰り返しなんだよ、きっと
     ‥」
    十与「うん‥」
           -198-

        
    ○同・ダイニング(夜)
       テーブルで一緒にチャーハンを食べて
       いる哲郎と千鶴と十与。
    十与「‥あのね、私ネパールに行ってもいい
     かな?」
    千鶴「え?ネパール?」
    哲郎「旅行?」
    十与「ううん‥在日外国人の支援をしてる人
     と偶然知り合って、その人が今ネパールで
     手伝いをしてくれる人を探してるんだって
           -199-

     ‥それで興味があるなら行ってみないかっ
     て言って貰って‥2年くらいなんだけど、
     その間学校休学することになるんだ。遠い
     国だし、ご両親と相談してみてって言われ
     て‥」
    千鶴「すごい!行ってきたらいいじゃん!」
    十与「‥ほんとに?」
    千鶴「うん。若い内にいっぱい経験しといた
     方がいいよ。すごくいいと思う。ねえ?」
           -199-

    哲郎「あ、ああ‥それって一人で行くのか?」
    十与「え?うん。でも向こうには日本人の人
     が何人かいるみたい」
    哲郎「ああ、そうか‥」
       ホッとしたように呟く哲郎。
    十与「何か意外‥止められるかと思った‥」
    千鶴「止めないよ。十与の人生だもん」
    十与「うん‥」
    千鶴「‥実はね、お母さん達もここ引っ越そ
     うと思ってるの」
           -200-

    十与「引っ越すの?」
    千鶴「お祖母ちゃんがまた入院したらしくて
     今回は長くなりそうで‥病院の付き添い美
     佐さんだけに任せる訳にいかないし、まだ
     玲君達も小さいしね‥」
    十与「看病か‥大変だね‥」
    千鶴「特に手伝うことがある訳じゃないんだ
     けど‥娘の私の方がわがまま言いやすいと
     思うし‥」
    十与「うん、そうだね」
           -200-

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